物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

【絶景】木曽川の作った巨大な中洲の町に感動する(三派川地区)(岐阜県・各務ヶ原市川島)

木曽川に周囲を囲まれた中洲に、その名も’川島かわしま’という町があります。

お隣の一宮市の138タワーからは、その川島の町の全貌をみることができ、現れる巨大な中洲の姿に思わず声が出てしまうものです。

そして現在のこの川島の光景は、’三派川さんぱせんと呼ばれる木曽川の流れを分流した大正~昭和の治水事業によって成ったものです。

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138タワー(愛知県一宮市

①中洲の町・川島

 

下の絵の、ざっくり‘みどりの丸‘で囲んだ地域がかっての川島町(現在は各務ヶ原市川島)で、2つの大きな島が確認できます。

下の大きな島が川島本島で、上の小さな島が笠田かさだの島です。

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“© OpenStreetMap contributors”

この2つの島の間を流れるのが木曽川本川

北側を流れる細い北派川ほくはせんと南を流れる同じく細い南派川なんはせん。幾多にも分流していた木曽川の流れをまとめた工事の結果、今のようなシンプルな川筋となりました。

ちなみに明治の姿はどうであったかというと、

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明治24年作成の地図(木曽川文化資料館’の展示より)

当時は、たくさんの島の集合体。まさに川中島で、往来には船が必要でした。

そしてこの場所、江戸時代、南側(愛知県側)に’御囲堤’おかこいづづみという堤防を作ったことも要因となり、この岐阜県側は洪水多発地帯となっていました。

この網目のような木曽川の流れを治める治水事業は、明治より行われ、大正~昭和の工事で完成をみることになります。

 

②138タワーからの眺望

 

さて、実際の138タワーから、巨大な中洲をみてみます。

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エレベーターで地上138mへ

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138タワーからの眺望(西側)

手前の川が南派川、奥に見えるのが木曽川本川です。島にかかる幾本もの巨大な橋。中洲の中にはたくさんの家並がみえます。すごい巨大な中州です!

いったい木曽川のような大河の中州に人が住めるものなのか?

中洲の大きさとそこに作られた町の大きさに驚く光景です。

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138タワーの写真より(西側)

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138タワーより(東側)

上の写真でも中洲に人家がびっしり。そして、町をしっかりと堤防が囲んでいるのがみえます。巨大な輪中わじゅうです。

ちなみにどれくらいの人が住んでいるのか調べてみると、川島地区の人口は約11800人(R2)と、結構な人口。

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138タワーの写真より(東側)

下の写真では、愛知県側尾張側)に作られた’御囲堤’がこんもりと続くのが見え、一見のどかな風景ですが、江戸時代に築かれたこの堤は美濃側へ水が流れる要因ともなっていました。

かっての不均等な洪水では、’川島にあった島がいくつか消えた’といいます。*1

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御囲堤(南側)

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木曽川文化資料館の展示より

’御囲堤’は上の図のように、現在でも高さのあるしっかりとした堤防として残っています。

 

木曽川の暮らしがよくわかる資料館「木曽川文化資料館」

 

さて、木曽川の暮らしや歴史、治水のことがわかる’木曽川文化資料館’という施設があるので見学させてもらいました。

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川島会館 onaonan , CC 表示-継承 3.0, Link

この川島会館の4階が’木曽川文化資料館’となっています。

ちなみに会館の向かいは木曽川岐阜城が見える素晴らしい立地。

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川島会館前 木曽川と奥にみえる山は岐阜城のある金華山

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川島会館前 ’三派川’の詳しい説明

【所在】各務ヶ原市松倉町1951-4

【営業時間】9-17時【定休日】月曜日 

【観覧料】無料

資料館の入り口です。今の川島のジオラマがあって、分かりやすいです。

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ジオラマ

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入り口の展示(玉石拾いや漁の様子)

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島をつないだ渡船の説明

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水害対策の’ごんぼづみ’という石垣

展示では、川島には美濃と尾張の様式が入り混じった独特の文化が形成されていたこと。輪中の砂地で米作ができず、生業は漁や養蚕、織物であったことなど、地形からくる地域性を知ることができます。*2

さて、木曽川の川筋の変化が図示されているのですが、右下の‘鎌倉・室町’の流路なんて、まさに蜘蛛の巣!(網状流路というらしい)

1585年(天正13)、木曽川は大洪水で流路を変え、美濃と尾張の国境まで変えてしまいますが、左下の天正14年は、洪水後の流路です。

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時代順に貼ってみます。

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大河’木曽川’がまるで生き物のように変化をしていることが分かります。

 

③中洲(川中島)について思うこと

 

ということで、国内でこのように大きな中州の町に居住する例は他にあるのだろうか?と思う川島についてみてきました。

中州の町と聞いて思い浮かぶのは、博多区’中洲’や大阪’中之島’ですが、両方とも巨大とはいえず、ほどよいサイズ(博多の中洲の長さは約1km)

対する’川島本島’の長さは8kmほどで、端から端まで歩くのも一苦労の大きさ。*3

しかし実は、日本最大の中州といわれるのは、四国・吉野川にある’善入寺島ぜんにゅうじとう’という中洲で、本島以外にも多くの川中島を従え、こちらは昔からの川の流れを伝えています。*4

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善入寺島 Copyright © 地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院, Attribution, Link

でも、個人的には今も木曽川とともに人の暮らす’川島’を押したい気持ちでいっぱいです。

 

最期に

 

ということで、138タワーから見る木曽川雄大な流れとそこにできた巨大中州の町’川島’をみてきました。

正直、138タワーの’連れてこられた宇宙人’みたいなビジュアルがイヤだったのですが、

もう「川島をみるために作られたんじゃないか?」という立地にあるので、巨大中洲を見て感動したい方にはぜひ、ここから見ることをおすすめします。

というわけで、『木曽川の作った巨大な中洲の町に感動する』でした。以上です、ではまた!

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138タワー

 138タワーパーク

【所在】愛知県一宮市光明寺浦崎21-3

【営業時間】9:30-17時

【定休日】毎月第2月曜日

【料金】おとな500円 こども200円

◯地上138mの眺望が楽しめる。タワー下は木曽川沿いの公園となっており、バラ園、子供用の遊戯施設、樹冠タワー、猿尾堤などカオスな施設がそろう。

ちなみに、このタワーの曲線は双曲線がモチーフなのだとか(ヘー)。

138タワーを逆さにし、y=ax2値を求める問題を作る先生もいたりで、そういう目でみると面白いタワーである。

*1:’川島町’より。wikipedia

*2:またこれ以外にも、秀吉の一夜城作りの拠点となった’松倉湊まつくらみなと’。関ケ原の戦いの前哨戦’木曽川渡河とこう戦’。各務ヶ原かがみがはら空襲など、興味深い内容の展示がみられます。

*3:ほかに長野の’川中島かわなかじま’も思い浮かびますが、こちらは犀川千曲川と挟まれた三角地帯をいい、川の中洲とは違う。

*4:現在は遊水地として整備されており、人の居住はないようす。