物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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【書籍】ルポ『土葬の村』(高橋繁行)の感想【なぜ土葬は消えたのか?】【近畿圏に残る土葬と現代の土葬事情】

今年(2021年)刊行された本の中に『土葬の村』という本があります。30年に渡り、土葬を追った記録ということで大変期待をしていました。

内容は、村落共同体の土葬を直接取材したもので、その取材された土葬はもうその村最後の土葬になるのではないか?と思われるようなものです。

風前の灯状態にある土葬のルポを読んだ感想を書きました。

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『土葬の村』講談社現代新書 2021

① 現代でも残る土葬地域

 

取り上げられていたのは近畿圏の土葬で、京都南山城村みなみやましろむら奈良の大保町おおぼちょう、同・田原たわら地区の大野町、同じく山添やまぞえ村、十津川とづかわ村、三重県月ヶ瀬つきがせ村などで、いずれも山の中にあり、町まで出るのに少し時間がかかる場所ばかりだ。

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今から約10年前(2010年頃)、100~80%の残存率だったこれらの村の土葬は、驚くような速さで減っているという。業者に頼み、火葬にする家が増えたのだ。

本の中の「田原地区にはまだ土葬が九割以上残っています(奈良田原地区・大野町の住職の言葉・2013年)からの、「田原にもう土葬は残っていません(2019年)への急激な証言の変化には目を見張るおもいだった。

 

②なぜ、土葬は廃れたのか?

 

ではいったいどうして、永年続いたこれらの村の土葬が廃れてきたのか?

選択枝が増えた

今でも土葬が行われている場所は山間部などで、もともとが不便な場所である。

近場に病院や葬儀場・火葬場が無く、このため村での葬儀が長く続いたが、お葬式サービスの充実もあり、遠隔地であることは以前より障害にはならなくなったのだ。

(日本の火葬率は99.9%。火葬が断トツの多数派ということももちろん作用しているはずだ。)

 

人員が確保できない

村での土葬は、家族だけではできない。葬儀に使う道具は1回切りのものもあり、その度に手作りしたり、野辺送りをはじめ、村の人間が役割を分担し、葬儀を行ってきた。

土葬用の穴も掘らなければいけないし、人出が必要なのだが、その確保が難しくなってきたのだ。

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野辺送りの様子 引用:『土葬の村』p79より

 

土葬できる場所が無い

 『土葬の村』で取り上げられた村は、村の中に土葬できる場所を持っている。しかし、これが都市部だと土葬可能な場所を探すのはかなり難しい。

東京、大阪、名古屋、長崎などの自治体では条例で土葬を禁じていたり、官民の霊園・お寺の墓地などは土葬を受け入れてないところが多いという。

もはやしたいと思っても、土葬できる場所を相当探さなければいけない状況なのだ。

 

そして遡れば、江戸時代は土葬が主流だった。土葬は火葬よりも安価で、遺体を埋葬する土地もまだ確保ができていた。*1 

しかし、明治に入ると、急激な人口増加で埋葬場所を確保するのが難しくなり、衛生観念の点からも火葬が奨励され、今に到っている。

世界をみると、「土葬国」のイメージだったアメリカでも近年は火葬が4.5割である(2013年)。国内外ともに全体的な潮流は火葬なのだと思う。

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Charles ThompsonによるPixabayからの画像

③令和に土葬を望む人たち

 

この本では、現在、土葬を望む人たちについても取り上げている。

それが、2001年発足の「土葬の会」だ。*2 

土葬を望む人たちに土葬可能な霊園を紹介したり、埋葬の手助け(棺の運搬・穴掘り、お経、墓石の取り扱い等)をしているという。

土に還りたい」と望む会員が多いというが、その気持ちは何だか分かるのだ(本来はそれが自然な循環の姿なのだから、特に奇妙だとは思わない)

また、下記の「土葬の会HP」の「よくある質問」を読むと、土葬への疑問の答えが書かれていて、これも得るところがあった。

dosou.jp

 

目次

 

さて、本の構成は、 

第①章 今も残る土葬の村

第②章 野焼き火葬の村の証言

第③章 風葬 聖なる放置死体

第④章 野辺送りの怪談・奇譚

となっている。

第②章では、野焼き名人の証言が真に迫って興味深かった。

第③章「風葬」では、沖縄に今も残る風葬を現地に取材している(沖縄には風葬の数年後、洗骨して甕に納める風習が残る)

第④章は、柳田國男らの昭和の文献に残る葬送儀礼・習俗を取り上げている。*3 

大正・昭和の昔話のつもりで読むと、今でもその葬送習俗がそのまま残っていて、結構びっくりすることがある。弔事に特徴的なサカサゴトの話も興味深かった。

第④章は、著者の高橋繁行さんが2020年10月に、柳田國男の『葬送習俗語彙』の絵解き辞典を出版されているので、そうした関連もあるのだろう。

 以下のブログではその「逆さごと」について取り上げています。

butuyokuko.hatenablog.com

最後に

 

特に第①章は、消滅寸前の村落共同体の土葬を取材した貴重な記録で、言葉ヅラでしか知らなかった土葬というものをリアルに浮かび上がらせてくれて目をみはった。

続く②章③章④章が「土葬村」から離れたため、少し散漫な印象も抱いたが、野焼きにしろ風葬にしろ、永年に渡る現地取材から同様に証言を得ていて、葬礼への深い思いがなければ続かないし、かなり凄いことだと感心した。

 

自分的には、座棺に入れる為に足の骨を折ったり、縄でぐるぐる巻きにしたりという手順や、葬式に使う品物1つ1つに意味があることなど随所に興味を引かれた。また、野辺送りの葬列や、凸凹した埋葬地の風景など(不謹慎かもしれないが)見てみたいという気持ちになった。

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丹波篠山の埋葬地 引用:『土葬の村』p128より

土饅頭の中の遺体は数か月すると棺ごと朽ち、土地が陥没して凸凹した風景を作るのだという

 

学生の頃、榛原町(はいばらちょう・現奈良県宇陀市)に住む友人が「自分が住んでる土地は土葬なんだよ」と教えてくれたことがあった。せっかく教えてくれたのに、弱冠二十歳ではお墓にはさすがに興味を持てず、深く聞かずじまいだった。

当時は榛原にも土葬が残っていたのだ。(彼女も将来、土葬で埋葬されるのかな?)とちらっと思ったことを憶えている。今でも土葬はあるのだろうか?、今はもうないのかもしれないな‥と思いつつ

以上、『土葬の村の感想  なぜ土葬は消えたのか?』でした!ではまた!

*1:火葬は燃えにくい人体を燃やすための大量の薪を必要とした。焼くにしても技術が要るため、人にお願いしなければならず、その分高くなった。

*2:会長:山野井英俊 本部:山梨県南巨摩郡富士川町

*3:『誕生と葬礼号』(月刊誌「旅と伝説」七月号・S8)。『葬送習俗語彙』柳田國男・S12。