行き詰まる、何もしたくない、やる気が出ない、無気力、全てのことに飽きた時は一体どうしたらいいのか?
「行き詰る」ということってないでしょうか?
人によって「行き詰り」の中味は違うかと思いますが、私の行き詰りは「もう何もしたくない!」「何にも興味が湧かない!」「全てに飽きた!」「毎日同じ繰り返し!(マンネリ?)」という類いのものです。
これはたまにやってきます。特に毎年12月はこうした末期な気持ちになり、ついでに風邪を引き、寝込んだりする始末。
今回はこうした「行き詰り・無気力」についての対策を書いていきたいと思います。
- 行き詰まりの症状「何もしたくない」「全部飽きた」
- 年齢的なものもある 「目新しいものは何もない気がしてしまう」
- とりあえずの対策①「寝る」
- とりあえずの対策②「時間がたつのを待つ」
- 対策③「自分の1番好きなことをする」
- 対策④「新しいことをやる」「別人格を生きる」
- 対策⑤「意味のないこと・理由のないことをしてみる」
- 対策⑥「やる気のある人間」を観察する。そして、何が今1番楽しいのか?を聞いてみる。
- 最後に(明日という日を取り戻すために)
行き詰まりの症状「何もしたくない」「全部飽きた」
それまで興味のあったものにも「シーン‥」という感じ。
気力が落ちたのか、心が疲れたのか。
【自分の場合】
- 「食べ物も要らない!」(そもそも「食」にあまり興味がない)
- 「近場に出かけるのはもう飽きた!」(これはコロナのせいですが)
- 「ポータルサイトの記事もつまらない!TVも面白くない!ネットの情報過多にもうんざり!」
- 「毎日同じことの繰り返し!」「毎回のごはん作りももうイヤ!」
- 「欲しいものも無い!」
というような感じで完全に行き詰っています。やさぐれています。
年がら年じゅう、目的をもち、明るい気持ちをもって興味のあるものを追いかけていけるわけではないので、やっぱり不完全なポンコツ人間だからしょうがない、というのはあるのですが。
年齢的なものもある 「目新しいものは何もない気がしてしまう」
「いろんなことに飽きた」「興味が湧かない」というのは、年齢的なものもあると思っています。齢をとり、そこそこ経験してきたのもあり、色んな事に飽きてしまうようです。
「あれもやった、これもやった」「それも知っている、これも聞いた」「もうそんなに面白くない」「目新しいことは無い」というような。
体とともに心も若さを失っている?
私は傲慢で退屈な老人みたいになってしまっているのかもしれません。
こうして書いていて、
「世の中が退屈なのではなく、人生をつまらなくしているのは自分」
と少し恥ずかしい気がしています。
とりあえずの対策①「寝る」
「なにもしたくないんだから、寝たらいいじゃん」ということで寝てみましょう。
ひたすら寝ます。冬だし、いつもより長く睡眠をとってみることにします。
確かに。これで治る場合も。
でも、今回の「無気力の病」はなかなか手強く、寝た位では解消されません。
起きても、寝る前と変わらずやる気の出ないそういうバージョンの時もあります。
(体の疲れでもないみたい?)
とりあえずの対策②「時間がたつのを待つ」
いつかは解消するだろうから、「時間がたつのをひたすら待つ」という。
確かにいつかは解消されるでしょうが、それがいつかは全然分かりません。
(かれこれ2週間くらいこんな感じですけど。)
しかし、これでは時間がもったいなさすぎる。強制的にでも自分を動かさなければ。
(誰かが喝破かっぱ*1してくれるといいんだけどなぁ)と都合のいいことを考えたり。
でも、大人の自分を正面から叱りつけてくれる人は誰もいません。
結局、「自助(自分で自分を助ける)」しかないのです。2-3日寝て治らないなら、もう自分でどうにかするしかありません。
対策③「自分の1番好きなことをする」
自分の1番のお気に入りを引っ張りだし(本でも映画でも服でも何でも)、もうそれしかしないという方法。
もともと愛着・愛情があるものだから、たしかに感情は少しづつ蘇ってきます。
対策④「新しいことをやる」「別人格を生きる」
「今までの日常に飽き果てている」のですから、「新しいことをやる」「したことのないことを敢えてやる」のもいいかも。
新しいことってもう何でもいいのですが、いつもは着ない服を着るとか、いつもは食べないものを食べるとか、いつもと違う道を歩くくらいのレベルの低さでもいいんじゃないかな。
(あまりに行き詰った私は、室内を後ろ向きに歩いてみたりもしました。)
また、会社の人間に対して、まるで今日初めて会った人間のように振舞うのかもいいかもしれません。自分にも飽き果ててるのだから、これを機に「新しい人格を生きる」のもアリかと。
対策⑤「意味のないこと・理由のないことをしてみる」
普段の生活では、自分にとって「意味のあること」「理由のあること」しかしないという人も多いのではないでしょうか?
「効率化」とか「時間短縮」とか「スムーズ」とか、「それって意味あるの?意味がないのならやめておこう」とか、そういうことばっかり考えているから、私はなんか疲れてくるのかもしれません。
そうして疲れてやさぐれて時間をムダにしているなら、普段やらない「無駄なこと・意味のないこと(?)」をいっそのこと、この機会にやってみてもよさそうです。
「ただただ夕日を追いかける」
「川の上流へひたすら歩いていく」
「全く知らない人の話をじっくりと聞いてみる」
などなど。
対策⑥「やる気のある人間」を観察する。そして、何が今1番楽しいのか?を聞いてみる。
人にヒントや熱をもらうやり方です。
私の場合まず家族を観察して、質問をしてみました。
「今、何が一番楽しいのか?」という問いに「八村塁」という答えが返ってきました。
うーん、これは驚いた、というのが正直なところ。
この八村塁の話はかれこれ数ケ月聞かされています。毎日、長い時間動画を視聴して楽しんでいることも知っています。
(えぇ、いまだに⁉)と思ったのですが、
そこで気づいたことは、私はどうも「消費が早すぎるようだ」ということでした。
すぐに結論だけ知りたがる。飽き性でパッパッと見てすぐ飽きる。分かったつもりになってもうお終い。
いくら「面白いもの」があってもそんな速さで消費してしまっては、いくらあっても足りないのかもしれません。
(私はアリのエキスだけを吸うアリジゴクみたいな生き物なのかもしれません。チュチュっと吸ってすぐペッみたいな。)
「好きなものへの愛情も感謝もまるで足りてない」
「好きなものはもっと時間をかけて、じっくりと楽しもう」
と、少し自分を見つめ直す機会にもなりました。
(こうした身近な人間でなく、『ガイヤの夜明け』『情熱大陸』に出てくる、熱のある人から熱をもらうのもけっこう効きます。)
最後に(明日という日を取り戻すために)
ということで、しばらく続く「無気力」「やる気が出ない」「全てに飽きた」「マンネリ」を解決するため、自分なりに方法を考えてみました。
もちろん「解決法」は人それぞれ(ほかに「好きな曲を聴く」とか「名言を読む」とか「運動をする」などもよく聞きます)。
こうして最後まで読んで下さった方は、きっと「全て飽きた、やる気でない」が思い当たる方ではないのかなと思っています。
周期的にやってくる「行き詰り・無気力問題」。寝ても解消しない強力な無気力に直面した時、いったいどうするか?を今回は書いてみました。
この記事を読んでも全解消にはならないかもしれませんが、何か1つでもかするものがあれば幸いだと思いながら、
『行き詰まる、何もしたくない、やる気が出ない、無気力、全てのことに飽きた時は一体どうしたらいいのか?』でした!以上です、ではまた!
*1:本当の正しいことをいってくれて、叱ってくれて、導いてくれる。