「行き詰る」ということってないでしょうか?人によって「行き詰り」の内容は違うかと思いますが、私の行き詰りは、「もう何もしたくない」「何にも興味が湧かない」「全てに飽きた」「毎日同じ繰り返し(マンネリ?)」という類いのものです。これはたまにやってきます。特に毎年12月はこうした末期な気持ちになり、ついでに風邪を引き、寝込んだりしています(今年は気をつけているせいで風邪を引くことこそありませんが‥)。
- 行き詰まりの症状 『何もしたくない』『全部飽きた』
- 年齢的なものもある 「目新しいものは何もない気がしてしまう」
- とりあえずの解決法①「寝る」
- とりあえずの解決法②「時間がたつのを待つ」
- 自力救済①「新しいことをやるしかない」「別人格を生きる」
- 自力救済②「意味のないこと。理由のないことをしてみる」
- 自力救済③「やる気のある人間」を観察する。そして「何が今一番楽しい」のかを聞いてみる。
- 最後に(明日という日を取り戻すために)
行き詰まりの症状 『何もしたくない』『全部飽きた』
それまで興味のあったものにも「シーン‥」という感じになります。
気力が落ちたのか、心が疲れたのか‥。
【私の場合】
- 「食べ物も要らない」(そもそも「食」にあまり興味がない‥)
- 「近場に出かけるのはもう飽きた」(これはコロナで遠方を自主規制しているため)
- 「ポータルサイトの記事もつまらない、TVも面白くない。ネットの情報過多にもうんざり」
- 「毎日同じことの繰り返し」「3食のごはん作りももうイヤ」
- 「欲しいものも無い」
というような感じで、完全に行き詰っています。やさぐれています。
年がら年じゅう、目的をもち、明るい気持ちをもって、興味のあるものを追いかけていけるわけではないので、やっぱり、不完全なポンコツ人間だからしょうがない、というのはあるのですが‥。
年齢的なものもある 「目新しいものは何もない気がしてしまう」
「いろんなことに飽きた」「興味が湧かない」という問題は、年齢的なものもあると思っています。年齢を重ね、そこそこ経験してきたせいもあり、色んな事に飽きてしまうようです。
「あれもやった、これもやった」「それも知っている、これも聞いた」「もうそんなに面白くない」「目新しいことは無い」というような‥。
体とともに心も若さを失っている?
私は傲慢で、退屈な老人みたいになってしまっているのかもしれません‥。
こうして書いていて、
「世の中が退屈なのではなく、人生をつまらなくしているのは自分なのだ」
と、少し恥ずかしい気がしています。
とりあえずの解決法①「寝る」
「なにもしたくないんだから、寝たらいいじゃん」ということで、寝ます。
ひたすら寝ます。冬だし、いつもより長く睡眠をとってみることにします。
確かに、これで治る場合もあります。
でも、今回の「無気力の病」はなかなか手強く、寝た位では解消されません。
起きても、寝る前と変わらずやる気の出ない、そういうバージョンの時もあります。
(もう体の疲れでなく、気持ちの疲れ?)
とりあえずの解決法②「時間がたつのを待つ」
いつかは解消するだろうから、「時間がたつのをひたすら待つ」という方法。
確かにいつかは解消されるでしょうが、それがいつかは全然分かりません。
(かれこれ2週間くらいこんな感じですが‥)
しかし、これでは時間がもったいなさすぎる。強制的にでも自分を動かさなければ‥。
「誰かが喝破かっぱ*1してくれるといいんだけどなぁ」、と夢想したり‥。
でも、大人の自分を正面から叱りつけてくれる人は誰もいません。
結局、「自助(自分で自分を助ける)」しかないのです。2-3日寝て治らないなら、もう自分でどうにかするしかありません。
自力救済①「新しいことをやるしかない」「別人格を生きる」
「今までの日常に飽き果てている」のですから、「新しいことをやる」「したことのないことを敢えてやる」のがいいかもしれません。
「新しいこと」って何でもいいのですが、習い事を始めるとかでも勿論いいし、いつもは着ない服を着る。いつもは食べないものを食べる。いつもと違う道を歩く、でも十分だと思います。
(あまりに行き詰った私は、室内を後ろ向きに歩いてみたりもしました。「ムーンウォーク」?)
会社の人間に対して、まるで今日初めて会った人間のように振舞うのかもいいかもしれません。「自分にも飽きてる」のだから、「新しい人生、新しい人格を生きる」のもアリです。
自力救済②「意味のないこと。理由のないことをしてみる」
普段の生活では、自分にとって「意味のあること」「理由のあること」しかしないという人も多いのではないか?と思います。
「効率化」とか「時間短縮」とか「スムーズ」とか「それって意味あるの?意味がないのならやめておこう」とか、そういうことばっかり考えているから、私はなんか疲れてくるのかもしれません。
そうして疲れてやさぐれて時間をムダにしているなら、普段やらない「無駄なこと(?)」「意味のないこと(?)」をいっそのこと、この機会にやってみてもよさそうです。
「ただ夕日を追いかける」
「川の上流へひたすら歩いていく」
「知らない人の話をじっくりと聞いてみる」
「書店にレモン爆弾を置いてくる」
などなど。
自力救済③「やる気のある人間」を観察する。そして「何が今一番楽しい」のかを聞いてみる。
人にヒントをもらうやり方です。私の場合まず家族を観察して、質問をしてみました。
「今、何が一番楽しいのか」という問いに「八村塁」という答えが返ってきました。
これは驚いた、というのが正直なところ。この「八村塁」の話はかれこれ数か月聞かされています。毎日、長い時間動画を視聴して楽しんでいることも知っています。
(えぇ、いまだに⁉)と思ったのですが、
そこで気づいたことは、私はどうも「消費が早すぎるようだ」、ということでした。
すぐに結論だけ知りたがる。「飽き性」で、パッパッと見てすぐ飽きる。分かったつもりになってもうお終い。
いくら「面白いもの」があってもそんな速さで「消費」してしまっては、いくらあっても足りないのかもしれません。
(アリのエキスだけを吸う「アリジゴク」みたいなイメージです。それもチュチュって吸って、すぐペッみたいな‥)
「好きなものへの愛情も感謝もまるで足りてない」
「好きなものはもっと時間をかけて、じっくりと楽しもう」
と、少し自分を見つめ直す機会になりました。
最後に(明日という日を取り戻すために)
‥ということで、しばらく続く「無気力」「やる気が出ない」「全てに飽きた(気がする)」「マンネリ」を解決するため、自分なりに方法を考えてみました。
もちろん「解決法」は人それぞれだと思います(「好きな曲を聴く」とか「名言を読む」とか「運動をする」などもよく聞きます)。
こうして最後まで読んで下さった方は、きっと「全て飽きた、やる気でない」が思い当たる方ではないのかなと思います。
(この「記事」を読んでも全解消にはならないかもしれませんが、何か1つくらい解消するヒントがこの記事にあれば幸いだ、と思って書いています。)
時々やってくる「無気力問題」。寝ても解消しない強力な「無気力問題」に直面した時、どうするか?
「無気力で感情が希薄」になってしまっているのですから、「好きだったもの」にもう1度「愛情」を感じれるように、昔の自分の温かい気持ちを思い出してみて下さい。
どうか少しでも良い方向へ向かいますように‥とお祈りしつつ、
『行き詰まる、何もしたくない、やる気が出ない、無気力、全てのことに飽きた』時は一体どうしたらいいのか?』でした!以上です、ではまた!
*1:本当の正しいことをいってくれて、叱ってくれて、導いてくれる。