自分が人気がない理由「不人気のわけ」を考えた(それは「力」を人に与えられていなかったから)
みなさんは人気者でしょうか?私はもちろん人気がなく、学校でも職場でも浮いた存在でした。
人気が無い理由は1個だけでなく、複数あったかと思いますが、最近思うのは「自分は、与えるものが少ない人間だった」ということです。
あくまで個人的な考えで、「これを読めば人気者になれる!」という類いのものではありません。でも、もし参考になることがあれば幸いです。
①子供のころ、大人に親切にしてもらった記憶
子供のころ、どこかのおばさん・おじさんに親切にしてもらった記憶ってないでしょうか?
「大丈夫?」とか「1人で来たの?」とか「元気だね」と声をかけてもらった記憶。
最近、ふと思ったのですが、いい年になった私が今それをできているかというと「否」なのです。本当に愕然としました。*1
私が人から人気が無かった理由は、こうして人に「何か」を与えてこなかったことではなかったか、とふと思ったのです。
何かとは色々あると思いますが、例えば、上の場合は見知らぬ子に与えられた「親切」「気遣い」「優しい気持ち」だったと思います。
②「何か」を与えられること。「力」を分けれること。
人に「何かをしてあげられる」人は、やはり人気があります。
例えば「お金」(お金は「力」が物体化している例なので分かりやすい)。
「気前のいい人」はやはり人気でしょう。自分の力を分けてあげているのですから。
また、親から子への愛情。親は子供を常に気にかけ、助けます。これも自分の「愛情という力」を子供に注いでいるわけです。
これが自分の子供でなく赤の他人であったなら、与える「力」も当然少なくなるはずです。
③その他の色々な「力」
◯笑顔や挨拶
むすっとしてて、挨拶もろくにしてくれない同僚もいます。
笑顔で感じのいい挨拶を率先してしてくれるのも、その人の「力」を与えてくれているということではないのでしょうか?
◯「話かけてくれる」「楽しい話をしてくれる」も同様です。
◯(こちらが)相手の話を聞くこと
(内容のある話はいいけど)私はムダ話・長話・くり返し話に、自分の時間をとられるのがイヤな時間にケチな人間でした。
でも、気持ちよく聴いてあげれることも、自分の「力」を出し惜しみしないということではなかったかな?と今では思っています。
④人気のない自分
学生時代や昔の職場の私は、「頼まれたらやる」という受け身なスタイルでした。
(頼まれれば、助力は惜しまないつもりだったので、それがそんなに悪いという気もしていなかった。)
でも、率先して「どうしたの?」と声掛けしてくれたり、「何かあればやるよ」と自ら言ってくれる人の方が好まれるに決まっています。
これに対して私は、(これ位のことは多分1人でできるだろう)とか(困ってるんだったら言うだろう)とか。
その上、自信も無いときていました。
「私よりも他の人の方が詳しいんじゃないか?」「私に聞かなくても他にも人はいる」と率先して声をあげようともしませんでした。
こうした態度は「受け身」で「冷たい」。「まるで他人事」と思われていたことでしょう。
実際、私は人の役に立たなくてもよかったんだ、と今は思います。
「何か困ってない?できることがあればやるよ」という気持ちをみせるだけで。
⑤「あなたは何もしてくれない‼」
こんなセリフ、彼女や奥さんから言われたことないでしょうか?
または「全く頼りにならないんだから‼」と。
私は癇癪持ちの母に言われ、ギョッとなりました(世の男性の気持ちが少し分かる気がしました。)
これはやはり、相手「何か」を与えられていないということなのでしょう。「愛情」とか「優しさ」とか「気遣い」とか。*2
「人はそもそも個」という考えが強かった自分は、群れたり、人に干渉することも少なくきてしまいました。
でも、人に「力」を全く与えられないほど、「余力ゼロなわけでもないな」と最近ようやく思い始めました。
最後に
家族や友達には「力」を与えられても、それ以外の人にはケチになってはいないでしょうか?
もしかしたら、それが自分の不人気原因の1つかもしれません。
以前は私は挨拶1つでも、「あっちからは全然しないのに、なんでこっちから?」とまるで損をしているような気持ちになっていました。
一方、私に色々な「何か」を損得を考えずに与えてくれた人達のことを考えると、有難さや器の大きさを改めて感じます。
私が今さら「人気者」を目指すことはありません。でも余力が0なわけではない。
今まで頂いた親切に対して返していけたらな、と考えています。
私が昔助けられたように、見知らぬ誰かを助けれることもきっとあるでしょう。
そして自分が変われば、周囲の反応も変わるかもしれません。
ということで、『自分の人気がない理由・不人気のわけを考えた』でした!以上です、ではまた!