物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

「京都の有名なお墓巡りがしたい①」(秀吉の眠る「阿弥陀が峰」・鳥辺山墓地・耳塚など)

京都の有名なお墓巡りがしたい、ということで、先日、京都に行ってきました。

朝鮮の役の際の「耳塚」。秀吉の眠る「阿弥陀ケ峰」。行きたかった清水寺の下にある鳥辺山墓地

また後編では、秀吉の甥・秀次の「悪逆塚」。信長のお墓のある「阿弥陀寺」と見たかったお墓巡りをしています。

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①巨大な塚はいったい誰の為?の「耳塚」

 

さて、京都駅で降り、崇仁などを通り、まず秀吉の眠る阿弥陀ケ峰に向かいます。

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阿弥陀ケ峰方向へ

豊国神社を目指して歩いていくと、神社の前に有名な耳塚がどどーんと現れます。

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耳塚

この耳塚、慶長・文禄の役(1592~・1597~)で殺害した朝鮮人の耳・鼻を供養した塚で、その数2万人分だとか。

しかし、予想以上に大きな塚!上にのる五輪塔もビッグですごい威圧感!

地図で測ってみるとその幅22m以上。また上からみると円ではなく、八角のような形をしています。

周囲が驚くほど端正なのは大正時代に整備したせいで、八角にしたのもその時なのでしょうか?

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手前より(中には入れず)

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説明板

【感想】秀吉のパフォーマンスを感じる巨大な塚。

1598年、完成したこの耳塚で秀吉の命により、盛大に「鼻供養」が行われたといいますが、巨大な塚やその盛大な供養は、自己の演出の1部だったのではないか、と思うと気味の悪さを覚える。

【所在】京都市東山区茶屋町

ということで、秀吉が巨大な物が好きという話は本当なんだな、と妙に納得しながら、今度はその秀吉の眠る阿弥陀ケ峰を目指します。

 

②秀吉の眠る「阿弥陀ケ峰」

 

京博の辺りから女坂を東へ登ると、豊国廟の二の鳥居が見え、登り口案内所がみえてきます。

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奥の建物が拝殿 左に登り口案内所がある

登り口で100円を納めて、石段にとりかかります。

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石段の登り口

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説明板

木々が鬱蒼と影をなし人気もなく、ちょっと怖く感じる参道ですが、565段ある階段の前半部分は踊り場部分が設けられ、若干登りやすくなっています。

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頂上はもっと先

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途上にある山門

けっこう階段がきつく、休み休み登ります。登り口の注意書きに「手すりがなく、街灯もないので夕方の参拝はやめましょう」とあった、あれは本当だな~と思ったり。

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頂上まであと少し

階段の最後は踊り場も消え、高所恐怖症の私は心の中で泣きながら、登りました。

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秀吉のお墓

さて、196mの頂上にある秀吉のお墓には超立派な五輪塔が建てられ、威容を放っています(高さは10mほど。設計は伊東忠太

大阪の役後、家康により、豊国神社・豊国廟は破壊されますが、明治に再興され、さきほど登った長い石段やこの立派な五輪塔はその時の整備によるもの。

そしてその整備の際、壺が偶然発見され、中には手足を組み、ミイラ化した秀吉の遺体が見つかったといいます。

自身の社殿・廟を破壊されたり、盗掘に遭い、副葬品を盗まれたり、石棺に納まっていたところ、いつのまにか壺に移しかえられたり、偶然発見されて遺体がボロボロにされたり、そうした秀吉の姿をイメージしつつ、頂上をぐるりと1周します。

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手前に清水寺がみえる

木々の合間からは京都の町がみえ、やはりここから秀吉が町を守護しているように思えたり。また、お墓の背後からはさらに山の奥へ行けそうで面白そうなのですが、先ほど上がった階段を(心の中でまた泣きながら)、下ります。

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秀吉のお墓

さて、最初に登りはじめた「登り口案内所」がある場所こそ、かって壮麗な社殿があった太閤坦たいこうだいらと呼ばれる場所で、その隅には秀吉の愛妾・松の丸殿京極竜子と処刑された国松(秀頼の庶子の供養塔がよりそうように置かれています。

それまで父に会うことすらなく暮らしていた国松が、会った数か月後には市中引き回しのうえ、斬首にされるというストーリーを思うと可哀そうでたまりません。

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(左)国松 (右)松の丸殿の供養塔

【感想】階段が大変。手すりもないし、年とったら、お参りできなくなるかもしれない。でも、京都を望める立地と人があまりいないのがとても魅力的な場所。

 

③清水の谷を埋める一面のお墓「鳥辺山墓地」「大谷墓地」

 

阿弥陀ケ峰をおり、今度はさきほど山頂からみえた清水の坂の下をめざします。

大谷本廟の北側の道ですが、観光客で混みあう産寧坂・茶わん坂とはまるで別世界。落ち着いた佇まいにホッとします。

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鳥辺山の道

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 途中にあった御荼毘所への参道(親鸞上人の火葬地)
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貼り紙がある(関係者がわからなくなったお墓も多いよう)

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墓参りしてる人もちらほら

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「大谷墓地」は下の区画

うわーすごい!清水の谷を覆う一面の墓・墓・墓。そしてそこからみえる京都の町

この上の清水寺や参道では今まさに観光客が生を謳歌し、坂下のこの道は千数百年来の死者を抱き続けるというものすごいギャップに少し頭が混乱します。

【感想】時間や空間を考えたり、空に浮かぶ雲のようにあっというまに消え去る存在なんだなという切ない気持ちやいろいろな想念の浮かぶ場所。

 

さて、「鳥部野とりべの」という古来有名な京都の葬送地は、もっと広範囲をさしたようですが、現在の鳥辺山墓地・大谷墓地もその中に含まれます。今あるお墓は江戸時代以降のもので、墓石の銘など江戸のものが多くみられました。

そして、その下には平安時代以来の骨が土と一体となり、きっと谷を埋めていることでしょう。

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鳥辺野の説明板

 

最後に

 

というわけで、見たかった京都の「お墓巡り」をしてきました。人がいない場所を行く、静かな京都旅行です。

後編では、豊臣秀次の「悪逆塚」(瑞泉寺)、信長のお墓のある「阿弥陀寺京都市上京区を載せる予定です。ということで、以上です!ではまた!