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『関ケ原古戦場』を歩く 見どころとオススメ②【合戦時もあった大杉】【島津義弘陣・烏頭坂】【東西首塚】【関ケ原古戦場記念館とお土産】

先回に続いて『関ケ原古戦場を歩く 見どころとオススメ』のです。②は、東軍・福島隊の陣跡。西軍・島津隊の陣跡と脱出ルート。そして、開館したての「関ケ原古戦場記念館とお土産編となっています。

福島正則の陣跡(関ケ原合戦当時もあった大杉)

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福島隊が陣を置いた現在の春日神

東軍の先鋒、福島正則(40)の陣跡で、見どころは合戦当時もあった月見の宮の大杉」(樹齢800年)です。

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大事にされている様子が分かります

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立てかけてある福島隊の幟り(黒地に山道)がシュっとしててかっこいい

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関ケ原合戦図屏風」に描かれた大杉(関ケ原町歴史民俗資料館蔵1854)

「月見の宮」の名は、南宮山にあがる月がここから美しく見えたことからといいます。現在は、小さな社と大きな杉の木のある静かな場所となっています。

⑥不思議な動き 島津義弘隊(烏頭坂と捨て奸がまり)

 

もともと少ない配下*1で、甥の豊久とよひさ(28)と西軍側に参戦していた島津義弘(66)の陣の跡です。

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島津義弘陣跡(西軍の配置は、東から石田三成隊-島津隊小西行長隊ー宇喜多隊ー大谷吉継隊という並びだった)

遠く鹿児島からの参戦ということにやる気を感じますが、しかし、不思議なことに戦闘が開始されても島津隊は戦闘に参加することはありませんでした。打ち払うのみで西軍側の援軍要請も傍観したといいます。

理由はよく分らないのですが、もともと少ない手勢だったこともあるかもしれないし、西軍側の指揮系統に幻滅していたからともいいます。

 

味方の小早川隊の裏切りから大谷隊が壊滅。石田・宇喜多隊へ東軍が殺到する中、島津隊は戦場からの脱出を決意します。有名な島津の敵中突破(島津の退き口)です。

石田隊のように背後の伊吹山に逃げたらいいのでは?と思うのですが、東軍の真ん中(家康の本陣前)を通り抜けることを選択し、死に物狂いで駆け抜けます。*2

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北国街道を南下し、伊勢街道へ。南に脱出。

当然、東軍から追われ、追いつかれそうになった島津隊は烏頭坂うとうざかという場所で反撃をします。

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烏頭坂

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烏頭坂

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烏頭坂の島津豊久の碑

この時とられたのが「捨て奸がま」という戦法で、殿しんがり軍を出し、死ぬまで敵兵を食い止めさせ、この殿軍が全滅すればまた次の殿軍を出し‥という戦法であったといいます。戦場から遠くない烏頭坂で追いつかれた島津隊は、甥っ子・豊久が捨て奸りとなり、大将首の義弘を逃がしたといいます。*3

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島津隊が脱出した伊勢街道の細い道

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同じく伊勢街道

島津隊が脱出したという北国街道・伊勢街道の道をたどってみるのも関ケ原のおすすめルートの1つです。この後、薩摩までたどりついたのは、大将・義弘をはじめ80名ほどだったといわれます。関ケ原の諸将の中でも行動が興味深い武将の1人です。

 

⑦東西首塚

 

戦闘終了は、午後2時頃であったといいます。*4

西軍諸隊の壊滅により、西軍の残兵は戦場を逃亡していきます。討たれた将の首実験は、桃配山ももくばりやま*5陣場じんばの、藤川台*6と場所変えて行われ、関ケ原の領主竹中氏には家康から合戦場の後始末が命じられました。

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首塚

竹中氏により、首塚には陣場野(床几場)で首実験された首や決戦地付近の将兵たちの遺体が埋葬されたといいます。

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西首塚

西首塚には開戦地や藤川台、その他にあった遺体が埋葬されたといわれ、2つの塚にはそれぞれに近い遺体を収容したようです。また、東首塚には頭部を、西首塚には胴体も収容した、といった説明もみられました。

首塚は伊勢街道の横、西首塚中山道沿いと街道筋に位置しているので、供養を込めて街道筋なのかと思い、資料館の方にも聞いてみたのですが、位置が現在の場所とは違う、という話も聞きました。

 

⑧2020年開館 「関ケ原古戦場記念館」

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思わず入りたくなる陣屋風

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昨年10月開館したばかりのピカピカ記念館です。5階が展望室で、1-2階が展示になっています。訪問した12月も1階は要予約ということで、2階の展示と展望室のみを観覧することができました。

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5F展望室

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360°見渡せ、歩かずとも現地を一望できる

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2階「戦国体験コーナー」 銃や鑓をもってみたり、兜をかぶったりの体験ができる

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2Fの展示室は写真はNG

2F展示はレプリカが多いのですが、解説の文章が面白かったです。展示解説の本があったらいいなと思ったのですが、無い様子(?)でした。

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2Fの常設展示品目

また予約要の1階にはグラウンドビジョンシアターがあり、関ケ原の戦いの映像を堪能できるようです。

 『関ケ原古戦場記念館

【開館時間】9:30-17時 【休館日】 月曜

【入館料】一般500円 【場所】JR関ケ原駅前から徒歩10分

⑧おみやげ

 

お土産を買える場所は3ケ所。駅前の「関ケ原駅前観光交流館」。笹尾山にある「笹尾山交流館」。そして、「関ケ原古戦場記念館」のショップと豊富な物量で楽しめます。(また、「関ケ原戦国市場」というサイトで一部、通販で購入もできます)

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関ケ原古戦場記念館」のショップとレストラン

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ショップ内(光秀も信長も参戦中)

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石田三成の甲冑レプリカのディスプレイ
食品など

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人気の?「東西カップラーメン」食べ比べ

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お土産に手頃な感じ

家族にあげたところ、かつおだしと昆布だしの違いとか、グラム数がわずかに違ったという感想をもらいました(よく見てるなぁ)。

キーホルダー

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戦国武将の幟りキーホルダー

私が買ったのは宇喜多秀家の「児」の幟りですが、各武将のが揃っています。

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お土産袋が関ケ原らしくて嬉しい
文具(ノート・クリアファイル・手帳)

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プレゼントでつけてもらったもの。家紋モノグラム?がお洒落

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クリアファイル 各種あり(489円~367円)

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ペラペラだからいいかな‥と思わず何枚も買ってしまう

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「戦国手帳」(1320円)

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戦国武将の生没日が書きこまれている(必要はないが‥)。後半は戦国知識のページ。
書籍類

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関ケ原合戦図屏風の解説リーフレット(500円)

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2019年発行の新しい本(2200円)

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珍しい復刻本もある(「おあむ物語」は弘化2年の復刻本)
その他

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昔ながらの伊吹山の薬草の入浴剤

最後に


‥ということで、今回は見どころだけにしぼって載せました。

合戦場なので、やはり歩いて回るのがいいかな*7、と思うのですが山に登ったり、資料館に入ったりと時間もかかります。1回で回らず、2回位に分けて回ってみてもいいかもしれません。

また隣の駅垂井たるいにまで足を伸ばせば、西軍の大将・毛利隊が陣を置いた南宮山なんぐうさん南宮大社。同じく西軍の安国寺恵瓊長曾我部隊の陣跡。竹中半兵衛*8の陣屋跡・墓などを見て回ることもできます。

また、そうした垂井篇も書きたいなと思いますが、今回は以上です。『関ケ原古戦場を歩く 見どころとオススメ②』でした。ではまた!

butuyokuko.hatenablog.com

*1:1000-1500ほど

*2:この時点で200-300名の兵に減っていた、という話。

*3:豊久はさらに落ち延びて勝地峠で自害したとも諸説あり。

*4:正午とも

*5:家康最初の陣地

*6:大谷吉継の陣付近

*7:駅前でレンタサイクルもあり。

*8:1544-1579。秀吉の参謀として有名。子の重門しげかど関ケ原の戦場の後始末・供養をした。