「日本1裕福な村」としてよくTVで紹介される【愛知県飛島村とびしまむら】ですが、話に聞くものの実際に行ったことはありませんでした。今回はその『飛島村』を歩き、「新田開発の歴史」「水害での度重なる被害」からの「財政力指数最高位2.18」(2018)の今を見てみたいと思います。
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①『飛島村』とは
『飛島村』は、東は「名古屋市」。北側・西側は「弥富市」。南側は海という立地の村です。人口は約4600人(2020)で、農業(米、野菜、花卉栽培)が盛んです。
特筆すべきは、名古屋港の一角のこの場所にコンテナふ頭、火力発電所、鉄鉱・木材関係の工場などが密集していることです。
こうした企業・建物があることで税金としての歳入があり、村の財政が飛躍的に潤うようになったわけですが‥。
②『新田開発』『海抜0m地帯』『伊勢湾台風』
(写真が見づらくて本当に申し訳ないのですが、)この辺りはもともとは河口に出来た砂洲でした。この砂洲に堤防を巡らして『新田開発』が江戸時代に始まりました。
濃い緑から→緑→ピンクというような順で、海に向かって順次干拓されていきました。
この辺り、平均海抜は「-1.5m」ということで海よりも低い。尾張地方は海抜0mの土地が多いのですが、さすがにもと海というだけあって、ずば抜けて低いです。
1879年に作られた「新正成しんまさなり新田」という場所に行ってみることにします。
今でも造成した当時の短冊のような細長い区画を見ることができます。入植するさいは保証人をたて「誓約書」などを提出して、入植したのだそうです。
この「新正成新田」の隅に『伊勢湾台風殉難之碑』がありました。
伊勢湾台風で当時の村域の大半が水没。死者132名、住宅の全半壊・流出など722戸。人口流出が相次ぎ、村内の小中学生は一宮市、稲沢市の学校に約3カ月間疎開。 (引用 wikipedia『飛島村』)
伊勢湾台風時の水位を示す電柱(後ろの家より高い)
wikiの記事によれば、
1959年(昭和34年)、伊勢湾台風では130名の犠牲者をもたらし、村長が県・国に数度対策を哀願するも、財政力の弱さから、復旧は「南海作戦」と呼ばれる海上自衛隊が着手した最後の伊勢湾台風復旧事業により被災から2ヶ月後まで水が引くことはなかった。村民の流出も相次ぎ、1960年(昭和35年)時点、財政力指数は0.22の貧しい自治体であった。(引用 wikipedia『飛島村』)
「当時の村長が県・国に対策を哀願するも」の文字にうるっとしてしまいます。
とても生活はできないので、もう離散するしかないかも‥。本当にこの『飛島村』の記事を読んでいくと泣きそうになります。
1944年(昭和19年)の東南海地震でも太平洋戦争下で甚大な災害を被りながら、軍部からの指令により、名古屋市の工場が攻撃される事を防ぐため、田や畑に裸電球を灯して大都市を装い矢面に立つことを余儀なくされ、空襲による犠牲も多かった。(引用 wikipedia『飛島村』)
かつては貧しい村であり、戦前から数度市町村合併の俎上に上るも、相手自治体から拒否された 。(引用 wikipedia『飛島村』)
この「新正成新田」を歩いていると突如、緊急警報のアラームが不気味に鳴り響き、「巨大地震が発生しました」というアナウンスがくり返し流れ始めました。
もちろん総毛立ちました。今居るのは「海抜0m以下の土地」。車じゃないし、とても逃げきれません‥。(「地震情報」をスマホで確認できなかったので、「訓練かも」と思いながらも動揺しました。結局、このサイレンは隣の「弥富やとみ市」で行われていた訓練であることが後で分かりました。)
③現在の『飛島村』の様子
「村役場」の建物にしては大きいなとは思うのですが、特別ぜいたくという感じでありません。
村役場の北にある『すこやかセンター』は、「図書館」「温水プール」「トレーニングルーム」が入った綺麗な施設でここだけはお金がかかっている気がしました(またお金をかけてもいいと思う)。
「図書館」内がとてもきれいで感心しました。「持ってていいよコーナー」に置かれた図書館本もこんなにたくさんの量を見たのは初めてでした。
「名画」のレンタルも初めて見ました。面白いです。
また、少し離れた『ふれあいの郷』という施設の中には、「天然温泉」や「日本庭園」などがあり、ここも充実していました。
施設がどこも綺麗だったのは、村民数がもともと少ないせい(4600人)もあるかもしれません。小さな村である分、手も十分かけれるのでしょう。
村内も同様に小ぎれいで、廃屋とかボロボロな家は見かけませんでした。『日本1裕福な村』などというと、一瞬村民もリッチなのかな?と思ってしまいますが、県内の「所得ランキング」で見ると54市町村中14位*1とそんなには高くはありません。村内で見た住宅もいたって普通のお家でした。
④日本1裕福な村『 飛島村』
『飛島村』が裕福になったのは、飛島村にある「企業」からの歳入(固定資産税など)によるものです。
(伊勢湾台風後、「臨海工業地帯」の建設が推進され、1971年、沖にできた「西2区」「西4区」が飛島村に編入されて以降、歳入が増加したようです)
よく取り上げられる『財政力指数』*2ですが、『飛島村』は抜群の「2.18」。
引用:総務省『全市町村の主要財政指標』(平成30年度)より抜粋
ちなみに都道府県で「1.0」を上回るのは「東京都」のみです。以前は「1.0」以上あった『愛知県』も陥落し、今は「0.9」(H30年度)という有様だそうです。*3
そのおかげで福利厚生が充実し、
〇「耐震改修費補助金」上限180万円(条件に合致する住宅に対し)
〇「こども医療費支給事業」18歳までの子供の医療費実質無料
〇「中学生の海外派遣事業」参加希望者の中からアメリカ研修(ホームスティなど)
〇「結婚内祝金支給事業」夫婦1組に5万円(年齢制限などあり)
〇「後期高齢者福祉医療費支給事業」医療費実質無料(1人暮らしで非課税の人等が対象)
〇「児童養育奨励事業」(1人につき10万円) 飛島村で生まれ1年居住した場合や、村に住み小・中学校に通学している児童に対し。
〇「長寿奉祝金支給事業」満90歳で20万。95歳で50万。100歳で100万円を支給。
‥など書ききれないほど、手厚く保護されています。
「いいなぁ」と思うのですが、「市街化区域」が少ないので「住宅」も少なく、転入は難しいのだそうです(年間260人ほど)。*4
⑤『飛島村郷土資料室』
『新田開発』『村の暮らし』『伊勢湾台風』などの展示が充実していて、今回大変参考になりました。
(江戸時代、「飛島新田」の干拓を推進した『津金つがね文左衛門』(1727-1802)の資料が充実しています。昭和にお墓が改葬のため、掘り起こされましたが、当時と変わらぬ遺体の写真(死蝋化していた)や埋葬状況・衣服などここでしか見られないものがあります)
最後に
『日本1裕福な村』ということで合併話などもあったりしたそうですが、H14年の住民アンケートで反対派多数だったそうです。*5
確かに「福利厚生の低下」は避けられなさそうですし、自分たちが苦しい時は合併拒否で、裕福になったら「合併しましょう」と言われるその胸中は‥。
「飛島村」の歴史を見ると「水害」との戦いで、これからもそれは変わらないでしょう(海抜0m以下で「巨大地震」と言われたあの恐怖!)。他を利するより、「自助」に使った方がいいのではないかな‥と個人的には思いました。
『日本1裕福な村』が何なのかまるで分からないまま出かけましたが、「飛島村の過去と今」を知ることができてよかったです。
最後に、『飛島村』の村民のみなさんの礼儀正しさが心に残りました。小学生から「村役場」の大人の方から、率先して挨拶をしてもらいました(どうもありがとう)。
知らない人に対しても挨拶するよう教育が行き届いているのかな?「村」であるからこその細やかな心づかいがある気がしました。
‥ということで、『日本1裕福な村ってどんなところ?』でした!以上です、ではまた!