物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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『ヘキナン(碧南)?ドコナン?』【碧南には何があるのか?かっての『大浜』を観光してきました】

名鉄名古屋鉄道)の『ヘキナン(碧南)?ドコナン?』というキャンペーンが、昨年やっていたのですが、たしかに愛知県人でも「碧南ってどこ?何があるの?」っていうのはあります‥。ということで、『碧南』を代表するものを探しに出かけました。

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『ヘキナン?ドコナン?』キャンペーン 

昔、「碧南中央」という駅で降りて散策したことがあるのですが、‥何もなかった!ほんとに「ナニカアルノ?」という疑いのマナコ状態だったのですが、キャンペーンを見るとお寺があるみたいです、寺町が!‥ということで、6月の頭、碧南にいってきました。

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名鉄電車」の古い車両がいい感じ

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碧南駅前(「やっぱりなにもないのかな?」と不安になる佇まい)

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(奥の)海へ下っていく土地の傾斜にテンションが少しあがる

大浜の面白いところ

 

①大きな港があった

家康の『伊賀越え』の後のルート?

③「お城みたい可愛い警察署」

④たくさんのお寺のある『寺町』

⑤寺町巡りの、特に「西方寺」さんの御朱印が面白い!

⑥『九重みりん』

を順番にみていきたいと思います。

 

①大きな港があった

 

現地に行ってやっと分かったのですが、ここはかっては『大浜おおはまと呼ばれた、大きな港があった場所でした。

中世から「問丸といまる*1」として栄え、江戸時代は三河の国の有名な港で、「白子(三重)ー大浜」間、「伊勢の大湊おおみなとー大浜」間の航路があったそうです。

風が穏やかな港なのだそうですが、隣の知多半島が風を防いでいるのかな?

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今の「大浜漁港」(奥の橋の向こうが外海)

うーむ、今の海は遠い感じです。

家康の『伊賀越え』の後のルートは?

 

家康の『伊賀越え』*2有名ですが、「伊賀を越えたんだなぁ」位の認識でした。

そうか‥。言われてみれば、伊賀を抜けた後、どうしたんでしょうね?

家康一行は『伊賀越え』のあと、白子(三重県)あたりで乗船。

師崎もろさき(愛知県)を通り、大浜に上陸。そこから領地の岡崎へ戻った、ということでした。なるほど!伊賀から海に出、海路でここ『大浜』へ上陸したのか!

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家康一行の上陸地といわれる場所(奥は「大浜漁港」)

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上陸地付近の「熊野神社

③お城みたいな可愛い警察署

 

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(昔、こんな「お城のおもちゃ」を持っていたなぁ‥)

 「何でしょこれは?」と思ったら、大正13年に改築された大浜の「旧警察署」でした。

当時の人も「可愛い~!」と思ったのでは‥。塔からの景色を見てみたい!

なにしろ造形がキュートで、当時はさぞモダンな建物だったことでしょう。この警察署の裏手には、港町らしく「歓楽街」などがあったようです。

 

④たくさんのお寺

 

いくつもお寺があり、どれがどれだったか、ちょっと違いに迷う位なのですが‥。

「碧南にはなぜたくさんのお寺があるの?」とお寺の人に聞いてみました。

昔からの大きな港で、人が集まり、色々な宗派のお寺ができたんだよ」、との答えでした。

なるほど!納得です。その繁栄のあとを今も見ることができます。2つだけ、お寺を紹介します。

【西方寺】

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奥のお城みたいな「櫓」はいったい?

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西方寺の「太鼓楼」でした

この太鼓楼は、1863年の建立で学校の校舎として使用されたそうです(太鼓楼の右は「九重みりん」さんの建物です)。

称名寺

徳川家ゆかりのお寺です。

徳川家の前身・松平家からのなじみのお寺だそうで、家康のひいおじいさん(信忠)はこのお寺で亡くなったそうです。

また家康の幼名「竹千代」は、このお寺の連歌会の歌からとられたとか徳川家がらみの歴史が興味深いお寺でした。

(また、朝鮮出兵の船が秀吉の命により、この辺りで建造されたという話も伝わります。)

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きれいに整備された「徳川家祖廟」

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お墓のようす

松平家初代や信忠(家康のひいおじいさん)、信忠の娘さんなどのお墓群でした。

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いっけん地味ですがよく見ると、どのお寺も木彫の造作がすばらしいのです

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「瓦」もどのお寺も立派。近くの「高浜」産でしょうか?

お寺の造りこみをみると明治位はけっこう繁栄していたのではないかな?と思いました。

⑤「西方寺」さんの御朱印がすごい!

 

正直、1番のお目当てはこれだったかも。絶対他力』の御朱印

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絶対他力』の力強いフレーズ 字も上手でうれしいです

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もう1つ、『現前の境遇に落在』 珍しい文言です

この言葉、明治30年代に有名だった宗教哲学者「清沢満之きよざわまんしさんの言葉で、西方寺の副住職だった方だそうです。

絶対他力の大道」の意味、実は私、あまりよくわからないのですが、「他力(=仏様のお力)をひたすらに信仰する」、という意味でしょうか。

『現前の境遇に落在らくざい*3にいたってはさらに難しく、色んなサイトを見ていたら、頭がクラクラしてしまいました。

清沢さんは39歳と若くして亡くなっているので、もう少し長命であったなら、もっと分かりやすく解説してくれたのではないか、と想像したり‥。

 

さて、今回は⑥は飛ばし、残りの写真をあげて終わりにします。

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「大浜陣屋跡」 公園になっています

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「大浜」ぽいお寺のある小路

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「立ち葵」の家紋 (たしか‥本伝寺さん)

まとめ

 

「碧南」という地名に隠れたかっての『大浜』という場所がよくわかり、『大浜』の「大おお」は伊達ではない、といい勉強になりました。

(全国各地に「大浜」の地名がみられますが、いずれも歴史ある土地なのでしょう。)

「大湊」「大津」「大山」「大町」など、「大」を冠する地名は他にもあることだし、

これからはもっと「大」の字を持つ土地に注目していこうと思います。

…ということで『ヘキナンドコナン』でした!以上です、ではまた!

(『九重味醂』さんについては、下のブログでふれています。)

butuyokuko.hatenablog.com

*1:造船所、ドッグ、倉庫群、旅館が集合する大きな港

*2:本能寺の変」後、在阪していた家康が身の危険を感じて、本拠地・岡崎に戻った行動

*3:「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、現前の境遇に落在せるものすなわちこれなり」