『下街道を歩く③』【多治見市~土岐市】【池田町屋郷土資料館】【本町オリベストリート】【池田宿】【高山宿】
前回、難所の内津峠(うつつとうげ・春日井市)を越した「下街道を歩く」ですが、今回は、岐阜県の多治見たじみ~土岐ときに入ります。
前回同様、面白かったところだけ、取り上げていきます。
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「池田宿」【池田町屋郷土資料館】(多治見市)
内津峠を越して、峠道を下っていくと、次の宿場・池田宿が見えてきます。
古い建物がちょこちょこ残り、昔ながらの細い道が続き、鄙びた風情がいい感じ、と思っていると、面白い建物に出くわしました。
「池田町屋まちや郷土資料館」とありますが、どう見ても一般の住宅。それだけでも面白いのですが、一般財団法人と書いてあります。*1
後で分かったことですが、町屋公民館が民家を購入し、平成15年に開館したとありました。
この公民館か地区かに財源があり、資料館を無料で開放しているという珍しさと、完全な一般住宅というギャップが気になり、中を見せて頂くことにしました。
中でお話を聞くと、もともと資産家の方のお住まいで、建材にも贅を尽くしたいいお家、とのこと。
住宅や建材に興味がある方は、色々見て愉しめる造りになっています。
建物は2階建てで、7部屋ほどの展示室があり、下街道の宿場として賑わった「池田宿の歴史」「郷土の偉人」「農具・民具」「池田町の文化財」などをガイドの方がゆっくりと丁寧に説明してくださり、印象的でした。
また行きたいです!ありがとうございました!
一般財団法人の話を伺うと、この地区に財源があるのは、もともと持っていた山を明治に売ったことから、ということでした。*2
現在も収益があるが、採石の石が掘りつくされれば、やがて収益も無くなるとの話で、石ができるかぎり長く採れますように、と心の中で念じる気持ちになりました。
しかし、地区に財源がある時、それをどう使うか考える中で、町の歴史を見てもらおうと思ったのはとても尊いなぁ、と思うのです。
歴史や文化財の公開なんて、市辺りに任せておけという考え方だってある。
自分が暮らす地区への愛情を感じた、印象的な資料館でした。
また、公民館が一般財団法人となり、設立された資料館ということ。一般住宅なこと(古民家という部類でもない)は相当珍しいので、もっと世の中にアピールしてもいいのになぁと同時に思いました。
この面白い来歴の資料館に興味がある方は、ぜひ1度訪れてみて下さい!(開館日は水・土日。a10-p4)。
ikedamatiya-localmuseum.blogspot.com
「本町オリベストリート」(多治見市)
さて、池田宿から、さらに進んできて、多治見市にある観光名所「本町オリベストリート」です。
明治初期~昭和初期の商家・蔵が残るこの通りは、現在、綺麗に整備され、入ってみたくなるような素敵な陶磁器のお店が並びます。手をつないだカップルが、散策してたりの楽しそうな場所です。
「下街道」は、このオリベストリートの1本北側ですが、現在では、下街道の方が裏道みたいになっています。
明治に入り、陶磁器問屋の通りとして繁栄する以前の本町は、いったいどういう感じだったのか?と想像するのですが、また、これは今後の課題にしたいと考えています。
【寄り道】
以下の記事も、多治見で寄り道した際の記事となっています。
上のように説明板が設置されたり、表示があったり、歩けるように整備されている「下街道」ですが、歩いている人を私は見たことがありません。
歩く人がいる、とも聞いていたのですが、東海道や中山道歩きの人の方がよほど多いな、というのが実感です。
「高山宿」(土岐市土岐津町)
さらに進み、土岐市ときしに入ります。
この「高山宿」も昔の雰囲気がちらほら残り、多治見~土岐間は、名古屋~春日井に比べると当時の面影が残り、歩いていて楽しい道でした。
下記のブログで、高山宿のすぐ側の「高山城址」に寄り道をしています。
また、もう少し足を伸ばすと、美濃源氏・土岐氏が住んだ「浅野館跡」「大富おおとみ館跡」などの館の跡をみることができます。
最後に
ウロウロ寄り道しながら、土岐の「高山宿」まで歩いてきました。(残すは8kmと思っていたが)あと30km。残る宿場「釜戸かまど」(瑞浪みずなみ市)1宿で、中山道に合流します。
もう残りわずかの「下街道」ですが、最後の部分は涼しくなってから、秋くらいの予定で、と考えています。
最後の恵那市えなしの部分の「下街道」のサイトを貼り、いったん下街道を終えたいと思います。
ということで、以上、『下街道を歩く③』でした!ではまた!
続きは下記となります。