物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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「うだつの町並み①」 戦国武将 「金森長近の城下町と上有知湊」(こうづちみなと)(岐阜県美濃市)

6月中旬、岐阜県美濃市に行ってきました。

美濃市と言えば、郡上八幡の南に位置する川湊と和紙の町のイメージです。そして、和紙や水運で栄えたうだつのある街並みで有名です。

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長良川鉄道名鉄美濃町線

 

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長良川鉄道の観光列車「ながら」に乗ることができた
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座席のシートの柄が少しづつ違っていて可愛い

美濃市駅で下車して、少し歩いたところに名鉄の旧美濃町駅を見ることができます。

勢ぞろいしている列車が微笑ましい。

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名鉄 旧美濃町駅(美濃町線は2005年全線廃止)

そして、駅前から7・8分も歩くと、伝建地区重要伝統的建造物群保存地区に入ります。

 

②うだつのある町並み

 

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いよいよ町並みがはじまる

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町並みの入り口にある「喜楽精肉店」さん(コロッケが有名)

8時からの営業なので、8時台でもコロッケを買うことができます。

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うだつコロッケ(1個100円)

特徴はジャガ芋と玉ネギに、飛騨牛・豚の旨みがシミシミしているところ。あっというまに食べてしまったのですが、食べやすかった。

旨味があるのでソースも不要なコロッケでした。

 

③金森長近の城下町「美濃町」

 

ここ美濃町は、金森長近(かなもりながちか・初代 飛騨高山藩主)によって、城下町として整備をされました。

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金森長近像(1524-1608)   東京大学史料編纂所データベース/ Link

長近の居城が小倉山城で*1、その城下町が美濃町です。町づくりの際、美濃町は目の字型(東西2本の通りと4つの横町でつないだ通り)に整備をされました。

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目のかたちをした町と小倉山城(ピンクの丸) “© OpenStreetMap contributors

飛騨高山の城下町を作ったのもこの長近ですが、飛騨高山の方は養子に譲り、自分はここ上有知(こうづち・今の美濃市に移り、上有知藩2万石の初代藩主となりました。

そして長近は、85歳という長命で亡くなります。

2代目藩主になったのは、長近82歳の時の子供()ですが、7歳で夭折してしまい、上有知藩は断絶してしまいます(その後、幕末まで尾張藩領)

という小さな城下町の始まりを想像しながら、散策していきます。

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小坂酒造場

1772年から酒造業をされている小坂酒造場さんで、この伝建地区で「最も優美なうだつ」と説明がありました。

両側に綺麗なカーブのうだつがあがっています。優しい曲線。

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おや、2つの卯辰が競っています(写真真ん中)

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競りあう2つのうだつ

左側が平田家住宅で、右側が古川家住宅です。

ほぼ同時期ですが、建築年は古川家が少し後だそうです。

両方とも明治時代のうだつで、とても立派で張りがあってかっこいいです。

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説明板

ここ美濃町はすぐ横を流れる長良川の水害をさけるため少し高い場所に築かれました。その分、水利が弱く防火対策としてのうだつが作られはじめたといいます。

その後は「美濃町」の発展とともに、商家の経済力の誇示としてうだつが盛んに上げられるようになったそうです。

 「卯建は一生に1度あげれるかどうかというしろもの」という話を聞いたことがありますが、当時は、商人としての一生の甲斐性の証しだったのでしょうか?

現代ではどうもピンとこないところもありますが。

江戸時代まで家屋の建築制限があり、明治に入ってそれもなくなり、以降うだつに乗る瓦は大きく装飾も華美になっていったそうです。

現在、伝建地区では20数軒がうだつをあげているそうで、確かにうだつだらけでした!

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いたるところに上がるうだつ

「経済力のある商家ぞろいの町だったんだなぁ」と感心しながら見て回る。

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うだつが珍しくなくなってきた

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川湊に行く途中にみかけた屋根の面白い家

③川湊・上有知湊

 

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長良川河畔 川船のひっきりなしの往来があった

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奥に美濃橋がみえるのんびりとした風景
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住吉灯台住吉神社

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絶好の写真ポイント 絵になる

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説明板

幕末の川湊の灯台が残っているのは珍しく、高さ8mの威風堂々としたもの。

明治末に電車が開通して船運が廃れるまで、相当に繁華な湊だったのでしょう。

うだつがそれを証明していると思うのですが、今では想像しづらい。

川湊から、今度は金森長近の小倉山の城跡に行ってみることにします。

『うだつの町並み』②へ続きます。

butuyokuko.hatenablog.com

*1:長良川川畔の小倉山に建てられた。