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【生駒屋敷(小折城)】【久昌寺】【吉乃の荼毘地】【宝頂山墓地】信長と生駒吉乃をめぐる旅(愛知県江南市)

今回は、愛知県江南こうなん市を歩いた際に寄った生駒屋敷跡信長の妻・吉乃の実家久昌寺(きゅうしょうじ、生駒家の菩提寺吉乃きつのを荼毘にした場所宝頂山ほうちょうざん墓地など、生駒家の史跡を見ていきたいと思います。

butuyokuko.hatenablog.com

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①生駒屋敷(小折城跡)

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「生駒屋敷」の石碑がのこる(現在は石碑のみ)

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説明板

この辺りは、生駒氏の在所で小折こおりというところです。生駒氏は室町~戦国にかけ、この地域の有力な武家商人であったといい、お屋敷がこの場所にありました。

かっての小折は、街道沿いの要衝の地で、馬借として財をなした生駒家の屋敷には、青年時代の信長・秀吉蜂須賀小六(後の徳島藩祖)らが出入りをしたといわれます。

 

そして、この生駒氏の娘・吉乃(1528?-66は信長の側室となり2人の間に信忠(1557-82)・信雄(1558-1630)・徳姫(1559-1636)と3人の子供が生まれています

20代のまだ若い信長が、清洲から吉乃のいる生駒屋敷へ馬で通ったのかな?と、幸せな様子を想像するのですが清洲~江南間はけっこう遠い(13km位か)。

 

②久昌寺

 

小折城跡のすぐそばに、生駒家の菩提寺久昌寺きゅうしょうじ」があります。

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Bariston , CC 表示-継承 4.0, Link

お寺の南側は公園になっており、北側にかなり広い墓地があります。

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立派な墓群に驚きます

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歴代生駒家当主が眠る久昌寺墓地

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「生駒氏墓地図鑑」という墓地の説明板(右側が久昌寺北の墓地の様子)

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生駒家当主夫妻の墓の並びに吉乃のお墓があります(青丸)

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吉乃のお墓(織田信長公室の字が右に読める)

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唐破風のついた趣きある墓石 石もとても良い石のようだ

墓地があまりに壮観で、確かにここに生駒家という一族が存在したんだなぁと迫ってくるものがありました。

 

③吉乃の方の荼毘地

 

そして、この久昌寺からすぐそばに吉乃の方が荼毘にふされた場所があります。

吉乃の方は若くして亡くなっており(39歳?)、30手前からの数年間が信長との蜜月の期間で、10年も一緒でなかった儚い感じがせつないです。

この荼毘地からは、吉乃と信長が暮らした小牧山城(愛知県小牧市も見えたことでしょう。

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吉乃の方の荼毘地(奥の観音を刻んだ石碑は小牧山を向いて建てられている)

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荼毘地の説明板

④宝頂山墓地

 

こちらも生駒家のお墓、宝頂山ほうちょうざん墓地です。

山とついているので、山の上にあるのかと思いきや、田んぼの中でちょっとびっくりでした。

宝頂山の方は、もともと5代目当主(吉乃の甥)の隠居所で、5代目を中心にお墓が構成されています(先ほどの久昌寺のお墓とメンバーが一部かぶっている)

家型石廟のお墓ど、なかなかお目にかからないいいお墓で嬉しくなります。

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宝頂山墓地
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家型の方は家紋が入り、彫りや造りが凝っていて見ごたえがある

 

龍神社(吉乃御殿跡)

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龍神

龍神社も久昌寺からすぐ側の場所にあります。ここに吉乃の方のお屋敷があったといわれ、織田信雄を生んだのもこの場所であったとか。

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吉乃御殿の説明板(ここには29歳没とあり、諸説ある?)

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同じく説明板

小折には、1㎞位の間に生駒家のお屋敷菩提寺氏神があり、昔の生活圏ってこんな感じだったのかな、と想像をさせてくれる面白い場所でした。

 

‥ということで、岩倉街道を歩いた際、寄り道した生駒家の屋敷跡、墓地などをのせました。『生駒屋敷・久昌寺・吉乃の荼毘地・宝頂山墓地 信長と生駒吉乃をめぐる旅』でした!以上です、ではまた。

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観光案内所でもらえる地図(信長・生駒(吉乃)コース)がかなり重宝

補足

news.yahoo.co.jp

今月(2021・8月)、久昌寺取り壊しのニュースが流れました。維持管理の難しさ・財政面から、寺(1925年築)を取り壊し、跡地は市が買い上げ、公園として整備をする予定とのこと(墓地はそのまま残る)。

1384年からの由緒あるお寺が消えることに衝撃を受けましたが、寺の経営が成り立たないなら、それも致し方のないことかもしれません。2022年度中に取り壊す予定といいます。興味のある方はいまのうちに久昌寺を訪れてみて下さい。