今回は、前回ブログで訪れた「谷汲山華厳寺たにぐみさんけごんじ」で感じた疑問、「西国33ケ所の方が歴史が古いのに、なぜ四国88ケ所の方が有名なんだろう?」について書いてみたいと思います。
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①「西国33所」とは?
『西国33所』とは、関西圏がメインの、33ケ所の観音霊場巡りのことです。これらのお寺を参拝すると、現世の罪が消え、極楽浄土へ行ける、という中世以来の信仰によるものです(始まりは奈良時代という話も)。
(ちなみにこの33のお寺はかなりのビッグネームで、京都の清水寺や醍醐寺、滋賀の石山寺や園城寺、竹生島の宝厳寺、和歌山那智山などのお寺が並びます。)
こうして地図で見ると、なかなか広大です。全部回るのはかなり大変なはず、はじとか‥。
私は今までお寺を参拝する際、「西国33所」だと気づいても、特に深く考えることはありませんでした(あまり興味は無かったのです)。
②「谷汲山華厳寺」を参拝する巡礼さんたち
先日、根尾谷ねおだに(岐阜県)からの帰り、「華厳寺けごんじ」にも立ち寄り、その際、白装束の巡礼者さんたちとすれ違いました。
「巡礼者さんがいるなぁ」と、その時はそう思っただけで、境内の説明版を読んでいると、なんと「西国33所の満願の寺」と書いてあるではないですか!
それはすごい!さっきの人達は、32ものお寺を回ってきて、このお寺が最後の「満願」のお寺ってこと?と人ごとながら、興奮をおぼえました。
だって、あんな和歌山最南端から、兵庫から滋賀から全部回ったって、凄いことです。
そして境内には、「おいずる堂」や「満願堂」というあまり目にしないお堂がありました。
満願になった巡礼者は、本堂を参拝したあと、おいずる堂で白衣を納め、満願堂に「結縁けちえん*1 を報告する」といった巡礼形式であることも分かりました。
この「満願の寺」にひとしきり感動した後、疑問がわいてきました。
それは、「西国33所の方が歴史が古いのに、なぜ四国88ケ所の方が有名なんだろう?」というものです。「お遍路」と聞いて、私たちがまず思い浮かべるのは「四国88ケ所」で、これは一体どうしたわけなのでしょうか?
③「西国33所」と「四国88ケ所」の違い
2つの霊場を比べてみます。
歴史の古さ、都に近いことなど、かって人気だったのは、やはり「西国33所」と思われますが、いったいどこで逆転したのでしょうか?
④昭和に入ってから、「四国88ケ所」が追い抜いた?
調べてみると、
①四国の交通事情が良くなったこと
昭和40年以降、四国の道路事情が改善し、それとともに自家用車が普及し、団体バスツアーなどが組まれるなど、様相が変わったこと。
(それまでは、四国はお手軽に「お遍路」できる場所ではなかったのだそうです。)
②海と自然の立地の妙(都会から少し離れた、絶妙な立地)
③TV・メディアの後押し
TV・メディアに取り上げられることで、観光地・レジャースポットとして人気になっていった。「四国88ケ所」は、NHKの番組で取り上げられたり、映画『死国』や『水曜どうでしょう』など、私たちが目にする機会も増え、今や外国人旅行客にも知られる存在に。
…といった理由が見られました。徐々に注目され、いつしか「西国33所」の知名度を追い抜いた、という感じでしょうか?
最後に(今の巡礼者数は?)
さすがに統計が取りにくいらしく、あちこち見てみましたが、
「西国33所」は、5.4万人ほど。「四国88ケ所」は、8.2万人ほど、とのことでした。*2
また、wikiでは、
「統計が取れないため人数は定かではないが、巡礼者数は年間10万- 30万人ともいわれる。 引用:wikipedeia「四国八十八箇所」
とのことでした。
また、「21番札所のお寺ではここ10年で巡礼者は4割減」などという記事もみつけました。*3 やはり、ピーク時に比べ、減っているみたいです。
私ですら、「巡礼」や「お遍路さん」はしないのですから。
でも、「巡礼をしてる人」には興味があります。「なぜ、それをするのか?」という素ぼくな疑問を感じるからです。もし、次回、巡礼さんに会ったら、今度は気軽に話を聞いてみようと思います。「あなたはなぜ巡礼をしているのですか?」って。
もし素敵な答えが返ってきたら‥、私も巡礼を始めるかもしれません!
‥ということで、以上!『四国88ケ所のお遍路はなぜ有名になったのか?』でした!ではまた!