勝小吉(勝海舟の父)のお伊勢参りから「野宿」を考える【夢酔独言】
タイトルの勝小吉(1802-1850)は、勝海舟のお父さんです。その著『夢酔独言』は小吉の自叙伝で、生涯不良旗本として恐れられ、「したい事をして死ぬ覚悟」「切死の覚悟・こわいものなし」のムチャをした記録です。
(どこまでが本当なのか‥、少し盛ったりはあるかもしれませんが。)
本の冒頭、「子孫のために話すが、馬鹿者の戒めにするがいいぜ」のセリフにもしびれてしまいます。
勝父は、10代のころ家出をします。
家から金を盗み、その金で出奔しますが、道中盗難にあい、無一文となります。
家には帰らず、野宿をしながら伊勢参りをし、そのあと数か月、街道を行ったりきたりの放浪旅をします。
この下りに興味を持つのは、以前、私も野宿をしながら、東海道・伊勢街道を歩いたことがあるからです(といっても勝父とは違い、野宿は2晩だけ)。
同じ経験のある「勝父」に、ずっと親しみを感じていました。
最近、『夢酔独言』を再読したので、伊勢参り・野宿について思うことを少し書いてみたいと思います。
①勝父のお伊勢参り
勝父の「家出第①回目」(14歳)
この家出の時、「勝父」は何となく上方に行き、一旗あげるつもりでした。
しかし、東海道・浜松宿で身ぐるみはがされ、朝起きると無一文になっています。
宿の人の勧めもあり、「お伊勢参り」に予定を変更。柄杓をもらい、お蔭参りに伊勢を目指します。*1
柄杓をもってお蔭した人の記録を読んだことがないので、まずここからびっくりです!
ひしゃくを持ったお蔭参りの人 歌川広重 - mie university library, パブリック・ドメイン, Link
②勝父の「野宿で行く伊勢参り」のポイント
家出したのは、旧暦の5月末~8月のことでした。一番いい時期の気候で、野宿にはぴったり。
①【野宿場所】
お堂の縁の下、松原、土橋の下の穴、船の下などなど。
どこでも寝れるみたいで羨ましいです。
②【服装】
じゅばん1枚をほどけないように縄でしばる。足は裸足?
すごいスタイルです!裸足じゃ距離が歩けなくって困ったことでしょう(着物、大小の刀を浜松で盗られています)。
③【お金】
町を1軒1軒流して、「ひしゃく」の中に喜捨(米・金)をもらったり。
まだ子供の小吉を自分の子みたいに親切にしてくれる人もいましたが、そんなお世話になったお家のお金を盗んで逃げてみたり(ヒドイ)。
④【ルート】
伊勢街道・東海道をうろうろ。一度いった伊勢にまた戻ったり。
⑤【病気①】
熱を出し3週間位、白子の松原で寝込む。その後も体調不調がつづく。
⑥【病気②】
崖に寝ていたら落っこちて、岩に局部を強打。
局部が膿んでジュクジュクし、後2年ほど、事故の後遺症になやまされる。
③野宿のここがつらいヨ!
若い元気な「勝父」が、連日の「野宿」で体を衰弱させたのも納得です。
野宿は夏でも寒くて寝れません。
(私は「野宿」の中、寒さのあまり、涙が自然と流れてびっくりしてしまいした。寒いと涙の量が増えるのだそうです。冬場にこういう症状が出て悩む人もいるのだとか。)
数日ならまだしも何日も続けば、体の冷えた状態が続き、安眠もできず、日中の行動にも問題がでる悪循環になっていたことでしょう。
しかも、食事も貧相で「もらった生米をかじる」などでは消化も悪く、体に必要な熱量を生み出せなかったことでしょう。
結局、3-4ケ月の放浪のうち、1/3以上は病気をしていたかんじ?
④野宿の唯一よいところ
野宿をして、唯一面白いところは「五感」が冴えるところ(野生がもどる?)。
日の出・日没、音や景色に敏感に。家の中の安眠とは違って、緊張感がそうさせるようです。
⑤自身の「伊勢参り」「野宿」
①ルート
勝父と同じルートです。日帰りやビジネスホテルに1-3泊しながら、ちょこちょこ歩いています。
友達と「野宿をしながら、京都から名古屋まで帰ろう」という計画でしたが、友達が体調不良になったため、京都ー四日市に短縮。2泊3日の旅行に。
③「石部いしべ宿」(滋賀県)での野宿
駅前の公園で野宿。レインコートを防寒と虫よけにひっかぶる。
帽子を顔にかぶると光除けにもなり、性別不明になるという発見も。
④「土山つちやま宿」(滋賀県)での野宿
駅はなく、地元の人に野宿できそうな場所を教えてもらい野宿(光がありトイレがそばの何かの建物だった)
近くのコンビニでダンボールをもらい、1枚を下にひき、1枚を体にかけてみる。結局、ダンボールの筒の中に入るのが一番暖かった。少しは温かくなったが、やはりスースーで、夜中、自然と涙がこぼれてびっくり。
⑤【野宿にあると便利なもの】
ライト、トイレロール、レインコート、虫よけスプレーくらいか?
(ハブラシ・タオル・洗面道具はふつうに持ち歩いていた。)
7月末の暖かい時期だったため、特別な装備は必要なし。
⑥いい経験にはなったけど、もうできない。
若い時なら、若気の至りで見逃してもらえたかもしれませんが、今では不審者として通報されかねない。
「野宿をしながら、東海道を歩く」という素敵なプランを実行することは今はもうできません。
(勝父の「家出第②回目」(21歳)でも、さすがに野宿はしていない。)
最後に( 勝小吉について)
物心ついた時には、有名な(?)悪童で喧嘩上等、悪さもし、お金も盗む。
出奔すること2回。怒った父から、押し込めにあうこと数回。
21歳から24までの3年は、3畳の「座敷檻」に押し込められ過ごすが、その間に子供の海舟が生まれている(獄中結婚みたいな)。
37歳の時には、(勝父の不行跡に)キレたお兄さんによって、庭に「檻」(2重囲いの厳重なタイプ)が作られ、危うく入れられそうになる。
40歳の時にも押し込められているが、こんなに「押し込め」に遭う人っているのか?と驚く。
『夢酔独言』の文体は江戸っ子らしい軽快な口語体で、『坊ちゃん』を思い出します。
(坊ちゃんがもっとワルく、武闘派になった感じ?そういえば、小吉は妻を毎日叩いていたとあります。ひどい!)
勝父への興味は尽きませんが、今回は「伊勢参り」「野宿」についてだったので、この辺りで終えることにします。