物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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【豊川稲荷】 『今川義元』の痕跡と金運の『パワースポット』

前回ブログの「菟足うたり神社」「砥鹿とが神社」の帰り、愛知県で有名な豊川稲荷に参拝してきました。お祀りされている『吒枳尼天だきにてん』という女神様や『豊川稲荷今川義元の関係』。「パワースポット」とされる『霊狐塚』などを見ていきます。

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豊川市のキャラ『いなりん』。体が「稲荷寿司」(背中側が「米つぶ」というのが怖い‥)

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駅前にある「きつね」のオブジェ

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門前町(閉めているお店もまだ多かったです)

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入ってすぐの立派な建物最祥殿 」(s4)

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『本殿』

本殿が善光寺に似てる気がするなぁ」と写真で見比べてみました。似てるけれど‥、よく見ると違いますね。年代も全然違いました。

【本殿】1908-1930年 【善光寺】1707年完成

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                             『善光寺』 Tomio344456 /Link

 『豊川稲荷の情報

【正式名】円福山豊川閣妙厳寺』  【創建】1441年(嘉吉元年)

【本尊】千手観音 【宗派】:曹洞宗

【住所】豊川市豊川町1

 ‥ということで、「お稲荷さま」で有名なのですが『お寺』です。

ご本尊は『千手観音』で、鎮守の神として吒枳尼天だきにてん』という異国の女神様がお祀りされました。

吒枳尼天』は稲荷信仰と習合し豊川稲荷』と呼ばれて、現在ではご本尊様より有名になっています。

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吒枳尼天』 Hidenobu Tosa, パブリック・ドメイン,Link

豊川稲荷』ここが面白いポイント

①「立地」

 

お寺が最初にあった『円福丘』*1という場所はいったいどこだったのか?

現在地への移転は、元禄(1688-1704)年間までに完了したそうで、今の『豊川稲荷』はフラットな開けた土地にあります。そのせいか、少し違和感がありました。

古い寺社は自然の豊かな場所や山に建てられ、杜などを持っていたりするものですが、現在の『豊川稲荷』は木々こそあれ、「町の中の大きなお寺」という印象です。

「江戸時代に移転した場所」ということで「なるほど」と思ったのですが、すると、その「移転」の理由はいったい何だったのでしょうか?

(現在地は『伊奈街道』や『姫街道』の側にあるので、そうしたことも関連しているのでしょうか?)

以前あった場所が分かり、移転の「謎」がとければ、この違和感もスッキリするでしょう。

(残念ながら、「円福ケ丘」がどこだっのたか、移転の理由はまだみつけれていません。)

 

②「今川義元」寄進の『山門』(1536年寄進)

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      『山門』 Bariston - CC 表示-継承 4.0, Link

豊川稲荷』に残る最古の建物がこの「山門」だそうです。お寺の伽藍の整備をしたのが、あの『今川義元』(1519-1560)ということで、そうすると義元17歳の時の寄進ということになります。

(「今川義元」の青年時代の建物が残っている、ということにもう感動するのですが‥)

『今川家』当主の継承が義元の17歳の時です。ここで、少しだけ「義元」について調べてみました。

 もともと『今川家』の3男だった義元は、幼くしてお寺にやられ、僧侶として修業していました。そして兄に呼ばれて「駿府」に戻ったのが17歳の時です。

戻るとすぐに長兄が急死同じ日に次兄も急死します(同日の死亡がとても異様ですが‥)

こうして、3男の義元に「当主の座」がめぐってきます。

義元17歳の1年は還俗をし、『今川家』を継承して当主になり、お寺の寄進も行った

多忙な1年だったかなぁ、と想像できます。

 そして、1560年『桶狭間の戦い』で義元は討たれるのですが、残された『胴体』は家臣たちによって、駿府をめざして運ばれました。

しかし腐敗が早く(現在の6月ころ)、しかたなく「一色城」(豊川稲荷』の近くにあった城豊川市牛久保町に埋葬されたといいます。60km位?搬送した感じでしょうか。

豊川稲荷』は当時の「今川家」の三河への影響力】【義元の青年時代】【「桶狭間」での死】を少し想像できる場所だったのです。

 

③お稲荷さんのくわえる『巻物』について

 

『巻物』については、後続のブログで書いています。

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④『卍鳥居』が珍しい

 

境内の参道に「石鳥居」が建っているのですが、鳥居を横から見ると、『卍』が彫られているそうで、参拝した時は気づきませんでした。

それは珍しい!今度行ったら見てみようと思っています。

(もともとは、江戸末期の『東海道』に置かれていた「鳥居」だそうです)

 (また、『圓福荘』という遊郭が「豊川稲荷」から少し離れた場所にあった、ということも分かりました。大きな社寺の側には遊郭があった」というイメージもあるのですが、豊川駅のあたりにはそういう感じや痕跡もなかったので、個人的には発見でした)

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「巻物」をくわえた狐

眼光するどい「お狐さん」が多いのですが、時代によって顔の「表情」には差があるのだそうです。昭和時代はきつく、平成時代はやさしい

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狐が1000体以上いる?「霊狐塚」

「願いがかなった」参拝者によって奉納された『きつねの石像』が壮観です。『パワースポット』といわれています(満願成就にあやかりたい?)

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奉納された「きつねさん」たち

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「霊狐塚」

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後ろ姿の美しい像

「霊狐塚」の黒い溶岩のところで「硬貨」を見つけると、『お金もちになれる』という

があるそうで、休日には人だかりができるくらい人気なのだとか(この日は、探している人はいませんでしたが)。

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奥の院』 「吒枳尼天」をお祀りしています

‥ということで、「吒枳尼天」や「今川義元」をメインに豊川稲荷を紹介しました。そうした「歴史」「神仏習合」「建物」「立地」にぴょこぴょこ見え隠れする『おキツネさん』が、『豊川稲荷』にまた色どりを与えているなぁと思います。

これからさらに『移転の謎』を調べたり、圓福荘という遊郭に足を運んでみたいなと考えていますが今回はこの辺で‥。

‥ということで、豊川稲荷】 『今川義元』の痕跡と金運の『パワースポットでした!以上です、ではまた!

(続きの豊川稲荷のお土産編』もあります)

butuyokuko.hatenablog.com

*1:川の近くにあった高台。最初はここに創建された。