物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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【豊川稲荷】 『今川義元』の痕跡と 金運の『パワースポット』

以前のブログの「菟足神社」「とが神社」の帰りに、

愛知県で有名な、豊橋稲荷』参拝してきました。

目的は、「お稲荷さんや稲荷バーガー食べたい!」

かわいいキツネグッズほしい!」というかなり観光気分なものでした。

 

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豊川市ゆるキャラ『いなりん』。体が「稲荷寿司」。背中を向くと米なのが怖い!

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駅前には「おきつね」オブジェ

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門前町(閉めているお店もまだ多かった)

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入ってすぐの立派な建物「最祥殿 」(S4)

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「本殿」

「本殿が善光寺に似てるなぁ」、と写真で見くらべてみました。

似てるけれど‥、よく見ると違いますね。年代も全然違いました。

(「本殿」:1908-1930年 「善光寺」:1707年完成)

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Wikipedia善光寺」の写真より

豊川稲荷の情報

正式名:円福山豊川閣妙厳寺

創建:1441年(嘉吉元年)

ご本尊:千手観音  宗派:曹洞宗

住所:豊川市豊川町1

 

‥ということで、「お稲荷さま」で有名なのですが、「お寺」です。

ご本尊は『千手観音』で、

鎮守の神として、吒枳尼天だきにてん」という異国の女神様がお祀りされました。

が、稲荷信仰と習合し、一般に「豊川稲荷」と呼ばれ、こちらの方が有名に。

 

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wikipediaの「吒枳尼天」の項より

豊川稲荷』の興味を感じるポイント

 

①立地について

 お寺が最初にあった『円福ケ丘』*1という場所はいったいどこか?

現在地への移転は、元禄(1688-1704)年間までに完了したそうで、

今の『豊川稲荷』は、フラットな開けた土地にあります。

そのせいか、少し違和感がありました。

 

 古い寺社は自然の豊かな場所や山に作られ、森などを持っていたりするものですが、

現在の『豊川稲荷』は木々こそあれ、「町の中の大きなお寺」という印象です。

「江戸時代に移転した場所」ということで、「なるほど」と思ったのですが、

すると、その「移転」の理由はいったい何だったのでしょうか?

(現在地は「伊奈街道」や「姫街道」の側にあるので、そうしたことも関連している?)

以前あった場所が分かり、移転の「謎」がとければ、この違和感もスッキリするのでは!

 (残念ながら、「円福ケ丘」がどこだっのたか、移転の理由もまだ不明です。

どこを探すか‥、思案中です)

 

②「今川義元」寄進の「山門」(1536年寄進)

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写真:wikipedeiaの「豊川稲荷」より 

豊川稲荷』に残る最古の建物が、この「山門」だそうです。

お寺の伽藍の整備をしたのが、あの今川義元(1519-1560)ということで、

義元が17歳の時の寄進になりますね。

今川義元の青年時代の建物が残っているということにもう感動するのですが‥)

今川家当主の継承が、義元の17歳の時です。

ここで、すこしだけ「義元」についてみてみましょう。

 

もともと今川家の3男だった義元は、幼くしてお寺にやられ、

僧侶として修業していましたが、兄に呼ばれて、駿府に戻ったのが17の時。

戻るとすぐに、長兄が急死。同じ日に次兄も急死します。

(同日の死亡がとても異様ですが‥)

こうして、3男の義元に当主の座がめぐってきます。

義元17歳の1年は、還俗し、今川家を掌握し、当主になり、お寺の寄進も行った

多忙な1年だったかなぁ、と想像します。

 

そして、1560年「桶狭間の戦い」で義元は討たれるのですが、

残された胴体は家臣たちによって、駿府をめざして運ばれます。

しかし腐敗が早く(現在の6月の話)、しかたなく、

「一色城」(豊川市牛久保町。「豊川稲荷」の近くにあった)

に埋葬されています。60km位?搬送した感じでしょうか。

 

豊川稲荷」は、往時の『今川家』の「三河」への影響力。

義元の『青年時代』。『桶狭間での死』までを少し想像できる場所なのです。

 

③お稲荷さんのくわえる『巻物』について

 今回はふれず、「また今度書きたいなぁ」と思っています。

 

④『卍鳥居』がめずらしい!

境内の参道に「石鳥居」が建っているのですが、鳥居を横から見ると、

『卍』が彫られているそうで、参拝した時は気づきませんでした。

それは珍しい!今度行ったらみてみよう!と思います。

(もともと江戸末期の「東海道」に置かれていた、鳥居だそうです)

 

また、『圓福荘』という遊郭が「豊川稲荷」から少し離れた場所にあった、

ということも分かりました。

「大きな社寺の側には遊郭があった」というイメージもあるのですが、

豊川駅のあたりはそういう感じ、痕跡もなかったので、個人的には発見でした。

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「巻物」をくわえた狐

眼光するどい「お狐さん」が多いのですが、時代によって、顔の表情には差があるのだそうです。昭和時代はきつく、平成時代はやさしい?

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狐が1000体以上いる?「霊狐塚」

「願いがかなった」参拝者によって奉納された『きつねの像』が壮観です。

『パワースポット』といわれています。満願成就にあやかりたい?

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奉納されたきつねさんたち

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霊狐塚

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後ろ姿の美しい像

「霊狐塚」の黒い溶岩のところで、「硬貨」を見つけると「お金もちになれる」という

があるそうで、休日には人だかりができるくらい、人気だそうです。

(この日は、探している人はいなかったなぁ)

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奥の院」 吒枳尼天をお祀りしています

また次回、「豊川稲荷」の記事を書くと思いますが‥、今回はこのへんで。

以上です!ではまた。

*1:川の近くにあった高台。最初はここに創建された。