【菟足うたり神社】生けにえの伝説と「風かざ祭り」について(愛知県豊川市小坂井町)
豊川市にある菟足神社という古い神社に行ってきました。現在はいたって普通の神社ですが、神社にまつわる生けにえの伝説や祭礼「風祭り」、そのほか面白いポイント(境内はうさぎ尽くしだったり)について書いていきたいと思います。
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①菟足神社の面白いポイント
いくつもポイントがあります。
①古い歴史。675年、秦石勝(はたのいわかつ・渡来系氏族)によってこの場所に祀られた。*1
②生けにえ伝説があり、今も「風祭り」になごりがある。
③風祭りで売られる「風車のおもちゃ」が古風で面白い。
④兎にちなみ、境内にはうさぎモチーフがたくさん。
⑤『徐福じょふく伝説』がある。
⑥旧東海道ぞいにある。
⑦このふきんは貝塚や遺跡が多く、古代から人が居住する場所だった。
②菟足神社の立地
上記のように見所ポイントがたくさんある菟足神社ですが、立地についてもう少しみてみます。
菟足神社のあるあたりは豊川とよかわの河口で、昔は社の前を川が流れていました。*2 穏やかな内海に面し、陸路も通り、気候も温暖で恵まれたこの場所は、古代から人が居住する場所でした。
そして、豊川が流れる川境という立地から、三河と遠江の国境となり、その地名「小坂井こざかい」にもその名残りをみることができます。また旧東海道は、この神社の前を通っており、道の分岐(豊川稲荷方面、姫街道方面)も近くにあったことから、交通の要衝として栄えた土地でした。
③菟足神社の伝説
菟足神社には2つの伝説がありますが、1つ目は動物のいけにえの話。2つ目が人間のいけにの話になります。
①『今昔物語』*3
三河の国司・大江定基が、菟足神社で行われる「風祭」のようすを見てショックを受け、「ただちにこの国を去ろうと思った」という話。
当時の風祭は、生けにえの猪を生きたまま切り裂いていたという(味がおちないようにか?)。それを見た定基はツラくなり、出家を決意する一因となったという話。平安時代には、このように猪を捧げていたようですが、江戸時代になると、現在と同じくスズメ12羽に変化しています。
お供えが変わったとはいえ、平安時代から続くこの祭りは、毎年4月の3日間行われます。
初日、近くの神社へ出向き、境内で矢を2本放つ「雀射初すずめいそめ神事」。2日目の「雀射収いおさめ神事」と続き、神事もたいへん珍しいもの。*4
祭り最終日の「雀献供すずめけんく」では、宮司が雀12 羽と白酒と醴(あまざけ)を神様にお供えするそうで、これは他の人間が見ることは許されない神事だとか(今でも、本物の雀をお供えするのかを聞いてみたい)。
②『子だが橋の伝説』
風祭前日の早朝、境にある小橋を1番最初に通る若い女性をとらえて、生けにえにする習わしがあったという伝説。
ある年、生けにえ調達役の男性が若い女性を捕らえると、それは里帰りしてきた自分の娘であったという(自分の子供を間違えるものだろうか?とは思うが)。しかたなく、我が子を菟足神社の生けにえにさしだし、それ以後、その橋を「(自分の)子だが橋」と呼ぶようになったという。*5
菟足神社と『風祭』
住所:豊川市小坂井町宮脇2 ご祭神: 菟上足尼命うなかみすくねのみこと
神社の創始:675年?
祭礼日:4月第2(金)、土日
「風祭」は、荒れた海や風がしずまるよう祈念する祭り。海が近いことも関連している。
最後に
‥というわけで、今は普通の神社にみえる菟足神社の歴史・伝説・立地についてみてきました。やはり興味をひかれるのは、昔話の人間の生けにえが本当にあったどうかですが、個人的にはどちらかというと否定的です(仮にあったとしても極めて稀なことだったのでは?)。
動物の生けにえについては、遺跡から出土する牛馬の骨や、諏訪大社(長野)の「御頭おんとう祭」など*6 でみることができます。
しかし、人間については生けにえがあったことを示す確かな物証がない(遺骨が出てもいけにえかどうかまで分からない)。伝説・伝承の域を出ないのです。
結局のところ、確かな物が出ない限り、本当のことはもう分からないのかもしれないなと思いつつ‥、以上、『菟足神社 生けにえの伝説と風祭りについて』でした!ではまた!