物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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芥川龍之介とイケメンの親友。そして、龍之介の三男と『ゴジラ』との関係【芥川也寸志の音楽】

芥川也寸志やすし(1925-1989)という作曲家をご存じでしょうか?芥川龍之介(1892-1927)の三男で、多くの人に知られる曲を残した名作曲家さんです。

心が揺さぶられる芥川也寸志の曲と、也寸志がその名をもらった芥川のイケメンの畏友・恒藤恭つねとうきょう

そして、也寸志が慕った作曲家・伊福部昭いふくべあきらについて書きたいと思います。

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 芥川也寸志 /Link

芥川也寸志の曲

 

まずはこの曲。『八墓村』(1977)に使用された曲ですが、日本の風景の映像とあいまって、日本の地方、農村、歴史、民俗を連想させるにぴったりの曲だなぁと思っています。

聞くたびに、心の中を風が吹きすさぶような気持ちに。


芥川也寸志の日本

そして、もう一曲。こちらも映画八甲田山の曲(1977)として作曲されました。

『八墓村』と通じるところのある曲で、本来の芥川也寸志の曲調は快活なものが多いとあるのですが、映画に合わせてこういう暗めの曲調なのでしょうか。

こちらも同じく心を揺さぶられる曲です。


芥川也寸志の日本

也寸志の曲で、恐らく最も有名で一番耳にしたことがある曲はこれ。


TV時代劇「赤穂浪士」音楽:芥川也寸志 (1964年)

昔は年末になると『赤穂浪士』が放送されており、この曲の中毒性もあり赤穂浪士』を見ていたものですが、まさかこの曲が芥川龍之介の息子さんの曲とは、その時は思いもよりませんでした。*1

 

②芥川の親友・恒藤恭

 

さて、也寸志がその名前をもらうことになった芥川の親友・恒藤(井川)つねとうきょう(1888-1967)です。

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一高時代の写真  右が恒藤恭(『新潮日本文学アルバム』より)

昔、この写真を見て2人のイケメンぶりにたいへん驚いたことを憶えています。

エリートでイケメン。後年、文豪と学者として名を成す若い2人がとても凛々しい写真です。

一高時代の旧友には菊池寛をはじめ、後に文筆で有名になる人ばかりなのですが、一高時代の3年間で、芥川が最も愛した級友が恒藤恭でした。

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後年、恒藤恭は『旧友 芥川龍之介』(S24)という本を出版している

一高卒業時、芥川が恒藤恭に送った手紙を今回、初めて読みました。

「君は自分が君を尊敬してゐることはしつてゐるだらうと思ふ。けれども自分が君を如何に愛してゐるかは知らないかもしれないと思ふ

「時として惡み、時としては争ったが、矢張三年間一高にゐた間に一番愛してゐたのは君だったと思ふ。」

引用:恒藤恭『旧友 芥川龍之介』大正2年7月の手紙より 

この2人、性格は違うものの、寮の同室で生活をし、お互いを尊敬しあう仲だったのです。

もともと文学に興味があった恒藤恭ですが、芥川らの才能を目にし、この後、京大法科に転じ、法哲学として有名になります。2人の交友は、芥川の死まで続きます。

3男・也寸志の名は、この秀才・恒藤恭から取られました。*2

 

③也寸志の作曲の先生・伊福部昭

 

芥川が自殺した時、也寸志はまだ2歳くらい。父芥川と同じく、音楽が大好きで、やがて作曲家を心ざします。

そして、入学した音楽学校の作曲科の先生が伊福部昭いふくべあきら(1914-2006)でした。

伊福部を音楽学校に招いたのが、芥川龍之介の知り合いだったりと、巡り合わせも興味深く感じます。

伊福部昭といえば、ゴジラ』のテーマの作曲家ということで有名ですが、也寸志はこの伊福部を慕い、たいへん影響を受けたといいます。

                               

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  『ゴジラ』(1954) Toho Company Ltd.© 1954  /Link

2人は師弟ということで、2人の音楽には何か似た匂いを感じます。

ゴジラのテーマ』とともに伊福部の宇宙大戦争マーチ』(1959)も名曲ですが、疾走感やドキドキ感や音に也寸志と共通なものを感じる気がします。


宇宙大戦争マーチ Battle in Outer Space

 

最後に

 

ということで、芥川龍之介の周りの人を見ていきました。明治から昭和の文人の交流を見ていくと、この人とこの人も知り合いなのかとか、意外と交流があるんだなと思うことがあります。

楽家も仕事柄、小説家、映画監督、俳優と交遊があることが分かります。

也寸志自身も短い間ですが、女優の「草笛光子」さんと結婚していました。

そうした人間関係や、その作品が作られた当時の状況を想像しながら、読んだり聞いたりすると、よりいっそうその作品に愛着を感じます

今回は、芥川龍之介から『ゴジラ』までをつなげて連想してみました。

ということで、芥川龍之介と親友と、三男とゴジラの関係』でした!以上です、ではまた!

*1:youtubeのコメントの指摘「まさにボレロ」は、「なるほど」と思いました。

*2:長男・ひろしは、菊池寛の名から取られ、後年、イケメン俳優として有名に。次男・隆も親友の名前から取られたが、第2次大戦で戦没している。