物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

断崖絶壁の要塞の城『長篠城』 【豊川と宇連川の合流地点に建つ『豊川』が守る城】【磔にされた?鳥居強右衛門】

前回ブログの続きです。今回は、『日本100名城』の1つにも選ばれた『長篠城』についてです。「豊川」に守られた天然の要害の城鳥居強右衛門すねえもん」のエピソード長篠城址史跡保存館』などを見ていきます。

butuyokuko.hatenablog.com

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長篠城』について

 

1508年、菅沼すがぬまによって築城されました(この時は今川方)。やがて、徳川氏に従います(武田方の時期もあり)。

長篠の戦い』が起こった時は、徳川方の城でした(城主は平氏)。

長篠城』は、東西・南を断崖絶壁に守られた天然の要害の城。北側だけ平たんで守りが弱いため、堀を二重にし(川をせき止めた深い水堀)や土塁をもうけ、カバーをしていました。

 

1575年 『長篠城』攻防戦

 

三河侵攻を開始した武田勝頼の軍(15000)は、「長篠城」(守備500)を攻めます。

5/8、戦闘が始まります。竹筏で上陸し、断崖絶壁を登ろうとして石を落とされたり、横穴掘りをしてみたり、兵糧蔵を破壊したりします。

そうこうするうちに、『鳥居強右衛門の脱出行』(後述)があり、徳川・織田の援軍も到着します。

連合軍は少し離れた「設楽原したらがはらに陣地を構築し、5/21、その「設楽原」で開戦という流れになります。

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長篠城」周辺 【右側】「鳶ケ巣山砦」をはじめ5つの砦も武田軍の陣地

(『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』p45-46より)

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長篠城跡」からみえる「砦跡」(どれがどれなのか‥)

「砦か」らは、城内がよく見えたのかな?

長篠城』【豊川の断崖に建つ城】

 

長篠城』が「日本100名城」の1つと聞いても、長篠城址史跡保存館』の写真ののどかなイメージ(?)もあり、全然想像できていませんでした。

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長篠城跡に建つ『長篠城址史跡保存館』

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三角に突き出た場所に建つ「長篠城」 Link

【左側】が豊川(寒狭かんさ川)。【右側】宇連うれ川の合流地点の断崖に「城」はあります。川の流れはけっこう早く感じます。

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『ガイド 長篠の戦い』(長篠城址史跡保存館)p3より

長篠城跡』を体感できるのは、「城跡」の南側でした。

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広っぱにみえる「本丸跡」(北の方向をみています)

「本丸跡」に立って川を見下ろしたいのですが、木々にさえぎられて見えません(聞こえてくるのは川音ばかり‥。立地が分からず、ちょっと怖いです)

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本丸の西側辺り 「不忍の滝」という滝もあります

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「本丸跡」から南側

木々で状況が分からないけれど‥、フェンスの向こうは断崖絶壁

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対岸に鳥居強右衛門磔の場所」がある?

 対岸もまるで見えませんが、「長篠の戦い」で有名になった『鳥居強右衛門すねえもんの磔にされた場所や碑が対岸にあるようです。

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城の北側 本丸の「掘」と「土居」 

1575年当時は、水を入れていたそうです。

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「城」の北西方向から

ここから見ると平らで、南の険しさがウソのようです。

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「豊川」の露頭ふきん?

「城」の側に中央構造線の露頭』があるというので、見に行きました。しかし、途中の看板に「崩落のため、行けません」と書かれていて断念(ほんとだ!何か崩れてます)

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「露頭」の近くに武田四天王の1人「馬場信房」(62)のお墓

長篠の戦い」の殿しんがり線で戦死した、ということでした。

長篠城籠城戦」のハイライト?『鳥居強右衛門

 

鳥居強右衛門(36)は、長篠城主「奥平氏」の家臣(陪臣?)です。*1

1575年、「長篠城」が武田の大軍に包囲された時、徳川氏に援軍を求めるため、家康や信長に危機を知らせに行った足軽でした。

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磔にされた『鳥居強右衛門』の絵

「強右衛門」は、深夜に「野牛廓」の不浄口(下水口)から脱出。豊川を4km泳ぎ、下流地点で上陸した、とあります(「野牛廓」は、「本丸」の東側)

(真の闇の中、敵に悟られないように崖下りをして泳いだ、というのはけっこうすごい話な気も‥。川も急流で4kmも泳げるのかな?岩もあるし‥)

こうして脱出した「強右衛門」は、首尾よく家康・信長に会うことができました。

その時点で、もう援軍が長篠に向かう途中だったので、「強右衛門」は城内の仲間に伝えようと、また長篠城に戻ります。

そして、「城内」に戻ろうとしているところを武田方に捕らえられ、「奥平方」という素性もばれてしまいます。

武田方の提案は、城内に向かって「援軍は来ない。諦めて開城しろ」と叫べば、武田の家臣として厚遇するというものでした。

『強右衛門の取った行動は、「あと2-3日で援軍がくる。それまで持ちこたえろ」と城内に絶叫する、真逆のものでした。

それを聞いた武田勝頼(30)は怒り、部下に「磔」にさせたか、切り殺した、と言われています。

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逆磔バージョン(諸説あり) Otiai Saheiji Michihisa /Link

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『強右衛門のお墓がある「新昌寺」(新城市有海あるみ

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立派なお墓があります

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対岸の「篠場野」の辺り 『強右衛門が捕まり、磔刑にされた(?)ところ

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「説明板」

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磔刑碑」(大正元年建立)

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「碑」の後ろにある川や対岸の「城」みたいのですが、こちらも木々でみえません

 『長篠城址史跡保存館』

 

「保存館」では、色々な展示を見ることができるのですが、一番の目玉はこれです。

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血染めの「陣太鼓」 

籠城時、「奥平軍」が使ったもので、「奥平家」の家宝ということでした。

血の色が鮮やかなのに驚きます。

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「火縄銃」

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「畳具足」

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「陣中水呑み」 面白い形をしています

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長篠城址史跡保存館」などで買えるガイド本『長篠の戦い』 

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あまり売られていない?『長篠日記』も買えます。

『長篠日記』ついては、まるで事実を見てきたようで、面白く一気に読めます。*2

長篠城址史跡保存館』
開館時間:9時-17時  休館日:火曜  入館料:220円

住所:愛知県新城市竹広字信玄原552

最後に

 

‥ということで、天然の要塞『長篠城を見てきました。東西、南からの侵入は難しそうと思った反面、北側がフラットでびっくりしました(だいぶ壊されているそうですが‥)。

信玄が攻めた『野田城』。後の『新城城』やその他の城もそうですが、東三河の城の多くが『豊川』*3河岸段丘上に作られ、守りを固めていました

中でも、もっとも急峻な立地に作られたのが『長篠城』であったようです。

武田の侵攻をはばんだのは‥、『豊川』の作った地形のおかげともいえそうで、改めて『豊川』の凄さに感心しました。

ということで、『断崖絶壁の要塞の城 長篠城でした!以上です、ではまた!

 

下のブログの時も『豊川』河岸段丘についてふれています。

butuyokuko.hatenablog.com

*1:強右衛門の話は、『信長公記』には見られません。後続の『甫庵信長記』『三河物語』(両方とも江戸時代初期成立)などでみられるお話です。

*2:江戸中期以降の作品らしく、信憑性は「?」

*3:設楽郡設楽町が源頭。総延長77km。豊橋平野を潤す一級河川

『芥川龍之介』と『イケメンの親友』。そして『龍之介の三男』と『ゴジラ』との関係。【芥川也寸志の音楽】

芥川也寸志やすし』(1925-1989)という作曲家をご存じでしょうか?芥川龍之介(1892-1927)の三男で、多くの人が知る曲をのこした名作曲家さんです。心が揺さぶられる芥川也寸志の曲と、也寸志がその名をもらった芥川のイケメンの畏友『恒藤恭つねとうきょう。也寸志が慕った作曲家『伊福部昭いふくべあきらについてすこし書きたいと思います。

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芥川也寸志 /Link

 『芥川也寸志』の曲

 

まずはこの曲。『八墓村』(1977)に使用された曲ですが、日本の風景の映像とあいまって、日本の地方、農村、歴史、民俗を連想させるにぴったりの曲だなぁ、と思っています。聞くたびに、心の中を風が吹きすさぶような気持ちになります。


芥川也寸志の日本

そして、もう一曲。こちらも映画八甲田山』(1977)の曲として作曲されました。『八墓村』と通じるところのある曲です。本来の芥川也寸志の曲調は快活なものが多いとあるのですが、映画に合わせてこういう暗めの曲調なのでしょうか。こちらも心を揺さぶる曲です。


芥川也寸志の日本

也寸志の曲で、恐らく最も有名で、一番耳にしたことがある曲はこれでしょうか。


TV時代劇「赤穂浪士」音楽:芥川也寸志 (1964年)

昔は、年末になると『赤穂浪士』が放送されていました。この曲の中毒性(?)もあり*1、『赤穂浪士』を見ていたものですが、まさかこの曲が芥川龍之介の息子さんの曲とは、その時は思いもよりませんでした。

 

芥川の親友『恒藤恭

 

さて、也寸志がその名前をもらうことになった芥川の親友『恒藤(井川)恭つねとうきょう(1888-1967)です。

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一高時代の写真 【右】が恒藤恭 (『新潮日本文学アルバム』より)

昔、この写真を見て2人のイケメンぶりにたいへん驚きました。エリートでイケメン。後年、文豪と学者として名を成す若い2人がとても凛々しい写真です。

一高時代の旧友には菊池寛をはじめ、後に文筆で有名になる人ばかりなのですが、一高時代の3年間で、芥川が最も愛した級友が恒藤恭でした。

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後年、恒藤恭は『旧友芥川龍之介』(s24)という本も出版しています

一高卒業時、芥川が『恒藤恭』に送った手紙を今回、初めて読みました。

「君は自分が君を尊敬してゐることはしつてゐるだらうと思ふ。けれども自分が君を如何に愛してゐるかは知らないかもしれないと思ふ

「時として惡み、時としては争ったが、矢張三年間一高にゐた間に一番愛してゐたのは君だったと思ふ。」(大正2年7月の手紙)

この2人、性格は違うものの、寮の同室で生活をし、お互いを尊敬しあう仲だったのです。もともと文学に興味があった『恒藤恭』ですが、芥川らの才能を目にし、この後、京大法科に転じ、法哲学として有名になります。2人の交友は、芥川の死まで続きます。

3男「也寸志」の名は、この秀才『恒藤恭』から取られました。*2

 

也寸志の作曲の先生『伊福部昭

 

芥川が自殺した時、也寸志はまだ2歳くらい。父芥川と同じく、音楽が大好きで、やがて作曲家を心ざします。

そして、入学した音楽学校の作曲科の先生が、伊福部昭いふくべあきら(1914-2006)でした。

(『伊福部』を音楽学校に招いたのが、芥川龍之介の知り合いだったりと、巡り合わせも興味深く感じます)

伊福部昭』といえば、ゴジラ』のテーマの作曲家ということで有名ですが、也寸志はこの『伊福部』を慕い、たいへん影響を受けたといいます。

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ゴジラ』(1954) Toho Company Ltd.© 1954  /Link

2人は師弟ということで、2人の音楽には何か似た匂いを感じます‥。

ゴジラのテーマ』とともに『伊福部』の宇宙大戦争マーチ』(1959)も名曲ですが、疾走感やドキドキ感や音に「也寸志」と共通なものを感じる気がします。


宇宙大戦争マーチ Battle in Outer Space

 

最後に

 

‥ということで、芥川龍之介の周りの人を見ていきました。明治から昭和の文人の交流を見ていくと、「この人」と「この人」も知り合いなのかとか、意外と交流があるんだな、と思うことがあります。

楽家も仕事柄、小説家、映画監督、俳優と交遊があることが分かります(也寸志自身も短い間ですが、女優の「草笛光子」さんと結婚していました。)

そうした人間関係や、その作品が作られた当時の状況を想像しながら、読んだり聞いたりすると、よりいっそうその作品に愛着を感じます

今回は、芥川龍之介』から『ゴジラまでをつなげて連想をしてみました。

 ‥ということで、芥川龍之介と親友と三男の音楽とゴジラでした!以上です、ではまた!

*1:youtubeのコメントの指摘「まさにボレロ」は、「なるほど」と思いました。

*2:長男『ひろし』は、菊池寛の名から取られた。後年、「イケメン俳優」として有名に。②男『隆』も親友の名前から取られたが、第2次大戦で戦没。

秋が似合う中山道【木曽路のお土産】『創作栗きんとん 栗苞』『ごへーもち』『七笑』『朴葉寿司』『漆ガラス』『苑工房』

秋に行きたくなる場所、それが中山道木曽路きそじ』です。山、山、山。渓流。宿場町の古い建物。人の絶えた少し寂しい風情が魅力的な場所です。今回は買ってきた「お土産」の写真をのせて、木曽路の産物を紹介したいと思います。

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中山道木曽路

 

木曽路』とは、中山道の一部区間です。*1 岐阜と長野の間の「木曽谷きそだにの道を特にこう呼びます。

岐阜県中津川市の辺り(馬籠まごめ宿)から、左右が山に囲まれた「木曽谷」の中に入り、長野県塩尻市贄川にえかわ宿)に出るまで谷が続きます。産物は、当然「山のもの」が多いです。

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『奈良井ならい宿』

①『栗きんとん』

 

秋に売られる『栗きんとん』は名古屋でも大人気。有名な『すや』(中津川市)、『川上屋』(中津川市)もおいしいですが、最近はまっているのが『松月堂』さん(中津川市)の創作栗きんとんです。

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創作栗きんとん『栗苞くりづつみ』 1252円(4個入り)

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高級感のある包装の中には‥

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「葛」で包まれた栗きんとん

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2層になっています

「栗きんとん」は美味しいけど、味が単調に感じることも‥。それをぷるぷるの「葛」で包むことで味や食感に変化が出て、とても美味しく感じます(少し冷やして食べるため、さっぱりとするのも良いです)

「栗きんとん」を買うには

どこでも買えるのですが‥、津川駅前の「にぎわい特産館が種類がそろっています。バラでも買えるので、各店舗の「栗きんとん」の食べ比べもできます。

営業時間:8:30-18時 住所:岐阜県中津川市栄町1-1にぎわいプラザ

②『ごへーもち』

 

「五平餅」も「木曽路」名物です。「わらじ型」の五平餅もありますが、木曽路では「団子型」に作るようです。今回は、中津川の『喜楽』さんの五平餅を買いました。

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『喜楽』さんの五平餅 477円(3本入り)

( 買ったのは「中津川駅」のキヨスクですが、後で駅前にお店があったことを知りました。だんなさんが残らず食べたため、「おいしかった」以外の感想を伝えることができず、もうしわけない) 

 ③『朴葉寿司』

 

「朴ほおの葉って、形がおもしろくて何だかいいものですね。その「朴」の葉に包まれたお寿司も山家な感じでよいです。

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「朴葉寿司」 650円(4個入り)

「寿司処ほたる」さんというお店のもので、こちらも中津川駅前の「にぎわい特産館」で買いました。

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「鱒」

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しいたけ、シーチキン、ふき、紅ショウガなどの具入り

後の2個は「穴子」、「海老」。味が全部違うのもよかったです。「朴葉寿司」には、山菜・魚など好きな具材を入れるのだそうです。おいしく頂きました。

 

④日本酒『七笑』【七笑酒造】

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【右】純米吟醸 670円(300ml) 【前】「中乗さん」のおちょこも買いました

 木曽のお酒といえば、『七笑』『木曽のかけはし』『中乗なかのりさん』をよく目にします。行くと必ず買うのは『七笑ななわらいです。

 『七笑』という名前が可愛いのですが、どういう意味なのでしょうか?

調べてみると、もともと木曽駒高原入り口にある集落の地名のようです。鎌倉時代木曾義仲(1154-1184)が、ここで少年時代を過ごしたという話があるのだそうです。

今回買った「純米吟醸」(アルコール度数15度。日本酒度±0)は優しく、旨味のある美味しいお酒でした(個人的にはもっと辛口が好きなのですが、甘みを感じても嫌じゃない。美味しい、と思えるのが七笑の特徴?)

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『七笑酒造』さんのグッズ 巾着、おちょこ、マッチ

七笑酒造』さんは長野県木曽郡木曽町福島にあり、巾着のように本店でしかみない商品もあります。

⑤『漆ガラス』【丸嘉小坂まるよしこさか漆器店】

 

「木曽谷」で取れる木材を使った漆器や櫛なども有名です。今回、初めて見たのが『漆ガラス』というものでした。「漆ガラスってなんだろう?」と聞いてみると、「ガラスに漆を塗ったもの」ということでした。ガラスに塗った漆はふつう剥がれてしまうのだそうですが、この剥がれないところに秘密がある、ということでした

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金魚鉢みたいな『漆ガラス』を買ってみました

お店で使い勝手を聞いてみると、「おひたしをのせたり‥」とのアドバイスをもらいました。なるほど、スタイリッシュなおひたしでも作ろうかな‥(笑)

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「漆」は後ろ側に塗ります。表面には「漆」の色が透けてみえます。

後ろ側に塗るので表はガラス材。ナイフなどを使っても「漆」には傷がつかず、長持ちするということでした。
買える場所は、『丸嘉小坂漆器店』さん、「木曽くらしの工芸館」など。

(今回のは、「すいとうよ」(透いてるよ。好いてるよ。の意味)というシリーズ)

⑥『苑工房』さんのアクセサリー

 

苑工房えんこうぼう』さんは岡山県倉敷市にあるお店ですが、そのギャラリーが「奈良井宿」にもあります。お店では、天然のお花や実・葉のアクセサリーを買うことができます。

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今回買った「蔦の葉っぱ」のピアス

こちらも秘密の工法を施してあるそうで、固く丈夫で色も美しいです。また、天然の素材を使っているので、同じ商品でも微妙に違い、選ぶのに悩んでしまいます。

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数年に1度づつ買い、増えていった「苑工房」さんのアクセサリー

退色はやはりしていきますが、数年は大丈夫(保管にもよる。少しくらい色あせてもそれはそれで‥)

奈良井にあるお店は「ギャラリー パウザ・ディ・クローマ」といい、お店が「倉敷」となぜ「奈良井」なのか?は、長年の疑問です。

住所:長野県塩尻市奈良井585

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「ギャラリー パウザ・ディ・クローマ」

⑦ その他

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「ほおずき」のストラップ

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「和ぐるみクッキー」 780円

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他に「栃の実入り」「アーモンド入り」なども。

‥ということで、「秋」に行きたくなる木曽路の「お土産」を紹介しました。他にも、そば、お六櫛、ひのき製品、からすみ(お菓子)など、まだまだありますが‥。今回は以上です!ではまた!

*1:wikiには、中山道=木曽街道=木曽路とも書かれています。

『長篠の戦い』② 設楽原の古戦場【両軍の距離が近すぎる。兵力差もあるのに戦った理由がよくわからない】

前回ブログ、長篠の戦い』①の続きです。復元された馬防柵、決戦場跡、激戦地、戦死した山県昌景のお墓などを見て歩きます。リアルに感じてもらえるよう、写真を多めに載せました。「行ってみたい」と思ってもらえたら、嬉しいです。

butuyokuko.hatenablog.com

1575年5月、徳川・織田連合軍3.8万人。武田軍1.5万人の勢力の一部*1が設楽原で激突しました。

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JR「三河東郷」駅前の「説明板」

(少し見づらいですが)東側に武田軍

(馬場、真田、穴山梅雪、土屋、内藤、小幡、甘利、山県、小山田の名が見えます)

西側に連合軍

上の方が織田軍(羽柴、水野、佐久間、丹羽、滝川)。下に徳川軍(石川、本多、榊原、大須賀)。織田信長の本陣は、織田軍の後方です。

 

『馬防柵』と決戦場跡

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『馬防柵』 連合軍陣地側 

奥の山が武田軍の陣地です。やはり近い、近すぎる!(数百m?) 

奥の鉄塔の辺りの高台が、武田勝頼の本陣「才の神」です。

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『馬防柵』②

連吾川れんご沿いに2キロ。3重の柵が構築されたといいますが、ここに3重に構築?と思う狭さではあります。

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今の『連吾川』

また、両軍が対峙した川が思った以上に小川で驚きます(川幅は、2-2.5m位)。

『甲陽軍艦』には、「馬を十騎も並べて駆けられるところではない」と書かれていますが、確かに騎馬隊が一斉突撃ができる場所ではない感じです。

(今も凸凹感があり、昔も田んぼや川だったようです)

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『馬防柵』③

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『馬防柵』④

「織田軍」と「徳川軍」の柵がそれぞれ復元してあります。

(出入口のもうけ方に違いがあるのだそうです。よくみないと分からない?)

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こうして『馬防柵』から、敵の来襲を見ていたのでしょうか。

火縄銃の射程は50-100m。怖いけど、もう少しがんばって引きつけなければ‥。

連合軍は柵を作り、空堀・土塁を築き、1000~3000丁の火縄銃を用意した。…ということで、用意周到に陣地を構築しています。

(信長が岐阜を発つ時、兵に柵木1本と縄をもたせたといいます)*2

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『馬防柵』の上の場所

(当時は木を切り倒したりして陣地を構築し、もっと地面が露出していたのでしょうか?戦場には、陣地を構築するカーン、カーンという設営の音がこだましていたのでしょうか…?)

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『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』47-48pより

うーん。山も原っぱも人、人人人…(これはたいへん)

両軍の兵力約5万として‥、5万というとこんな感じでしょうか?

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「名古屋ドーム」満員で約5万人。なので、これだけの人数全員で戦ったと。 

Wifiusb /Link

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武田軍側から「柵」を見るとフラットにみえますが、「柵」の前が土塁になっています。

戦闘と『武田軍』の崩壊

 

戦闘は、早朝から昼過ぎまで(6-8時間)続いたといいます。

「武田軍」は、隊ごとに主だった者7-8名が馬に乗り、(馬を後にひかせた)後続隊が鑓を使って切りこんだ、とあります。*3

武田四天王*4の1人で最左翼にいた山県昌景』(54)の死により、山県隊が崩れ、内藤、土屋、と討ち死にしていきます。

真ん中の『親族衆』(勝頼のいとこやおじさんなど)の隊が早期退却したため*5左右の隊に攻撃が集中してしまった、ということでした。

(「武田軍」としては、左右の軍で包囲するような陣形をとりたかったようなのですが‥)

 

山県昌景」のお墓

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山県昌景」のお墓(火縄銃により死亡)

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お墓からは「設楽ケ原」がよくみえます

「丸山」と大宮前激戦地

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「丸山」と大宮前激戦地’(現在、山のサイズは½に縮小)

織田軍と武田軍が「丸山」の奪取をめぐり激突した、「設楽原」指折りの激戦地だそうです(場所は、「馬防柵」の北数百m)

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「丸山」山頂からは、「決戦場」がよく見えたはず

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「丸山」付近より(赤丸が「馬防柵」、青丸「武田軍」)

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「激戦地」の石碑が何カ所かあります

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「お墓」も多数。(「武田塚」 武田軍左翼の武将のお墓)

最後に

 

なぜ、大軍の「連合軍」(しかも陣地構築万全の)に、「武田軍」がしかけてしまったのか?信州に退却するとみせかけて、退路で迎え撃った方が良かったのに…とか思うのですが、よく分かりません

『甲陽軍艦』では、配下の進言を取り入れたためとの記述も見えます。慢心なのか何なのか。決着をつけるために、ここまで遠征をしてきているので、気持ちがはやったのか(個人的な感想ですが、長篠から甲府ってすごく遠いですよね)。

開戦理由に関しては、また探っていきたいと考えています。…ということで、以上!長篠の戦い』②でした!ではまた!

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近くに見える不思議な山のぎざぎざ(何だったのか聞けばよかったなぁ)

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「馬防柵」ポストカード(「設楽原歴史資料館」などで)

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こちらも「設楽原歴史資料館」などで

*1:戦力数はwikipediaの数字より。諸説あり。

*2:『ガイド長篠の戦い長篠城址史跡保存館より

*3:『甲陽軍艦』

*4:馬場信房(春)(62)、②内藤昌豊(60)、③山県昌景(54)、④高坂昌信の4人。①②③は「長篠の戦い」で戦死。

*5:親族や穴山梅雪甲府まで帰還。戦死を免れている。

【奇祭】『女装』と「やんちゃ馬」がかなり珍しいお祭り【愛知県瀬戸市『八王寺神社』の秋祭り】

例年10月愛知県瀬戸市の『八王寺神社』では「秋祭り」が行われます。祭りでは、『献馬』*1が行われるのですが、その際、地区の氏子さんたちが女装をし、町内を練り歩くという、ちょっと変わったお祭りが行われます。

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「お馬」のお知らせ

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2020年は、お祭りは各地で中止になっているかと思いますが、『八王子神社』の秋祭りも残念ながら、今年は中止です。

昨年までの写真を載せて、紹介していきたいと思います。

 

『2015年』

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2015年は、「馬」のかぶりものが登場

みんなで女装をし、「飾り馬」を引いて町を練り歩きます

顔は白塗りにし、化粧を施します。唇の赤がやけに生々しい(?)

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町内をぐるぐる

調達してきた女物がそろってなくて、ばらばらなのもイイところ。

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献馬する『八王子神社』に到着

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「広報誌」の躍動感のある写真(こういうのを撮りたかった‥)

『やんちゃ』とは

 

全体をまとめる当番のシマ(地区)を「やんちゃ」と言います。「やんちゃ」当番が仮装(女装・乞食のかっこう)をする習わしです。

(『八王子神社』に「献馬」をするシマは4つ(現在では3つ)。数年ごとに「やんちゃ」当番がくることになります)

 

なぜ、女装をするのか?の説明は、次の2つです。

 ① 昔、この辺りに「松原広長」(1440-1482)という土地の領主がいました。

1482年の合戦で大敗をします。その際、女装や乞食の恰好に身をやつして、その場を離れることができたという「広長公」の故事をしのぶというもの。

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「松原塚」松原広長のお墓 (瀬戸市 万徳寺)

② かっては『猿投神社』(愛知県豊田市)に「献馬」をしていました。ある年、峠で馬が言うことを聞かなくなり、仕方なく飾りだけを奉納したことがあった(または飾りをとった馬だけ奉納した)。それ以降、「献馬」する若者たちが照れ隠しで、田舎臭い化粧をして、おどけながら「献馬」をするようになったという説明。

 

『2018年』

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馬は、近くの牧場(?)からのレンタル馬

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4シマ全てが神社に揃う「馬揃え」は正午ころに行われます

ビジュアルバンドみたいな人もいますね。

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境内をぐるぐる、3周ほど右回り

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本殿前で記念撮影

この「八王子神社」。松原広長の居城の「今村城」の跡で、お濠の跡などが残されています。

 

『2019年』

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女装の人に見つめられるとドギマギ

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「X」(?)や「多国籍やんちゃ」も出現

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「ハローウィン」と「浦島太郎」が共存するカオス

 まとめ

 

瀬戸市を代表する【奇祭】 『八王子神社の秋祭り』は、知る人ぞ知るお祭りです。

名古屋の人も知らない地元の人だけのお祭りなので、すいた環境の中でお祭りを見学することができます。また、当日は警固隊けごたい*2が空砲を発砲しているので、パンパンとあちこちから聞こえてくるのも愉しいです。

歴史があり、郷土色豊かで、「武」と「農」が結びついた祭礼。それだけでも十分なのに、「女装」までしてくれる、実にありがたいお祭りです。

(個人的には、最近は「コスプレ傾向」を感じるのですが、女物の着物を着流し、おひきずり的に着る色っぽい氏子の方を毎年狙っています(写真に撮りたい)。いい写真が撮れたら、またアップしたいと思います!)

‥ということで、【奇祭】『愛知県瀬戸市『八王寺神社』の秋祭り』でした!以上です、ではまた!

*1:飾りつけをした馬を神社に引いて行き、奉納する

*2:軽トラックの別動隊。砲を積んで発砲しながら移動する。

『長篠の戦い』① 設楽原の古戦場【徳川・織田連合軍と武田軍との距離が近すぎない⁉】(愛知県新城市)

有名な長篠の戦いが行われた新城しんしろの『設楽原したらがはら古戦場』に行ってきました。飯田線三河東郷駅で下車し、決戦場復元された馬防柵、『設楽原歴史資料館』、首洗池などを歩きます。

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長篠の戦い』1575年5月(新暦では6月末-7月上旬ころ)

 

長篠の戦い』は、東三河侵攻などを目的とする「武田勝頼軍」と「家康・織田信長連合軍」が東三河で激突した戦いです。結果は、連合軍側の勝利となりました。

武田方の宿将の多くが討ち死にし、勝頼は甲府へ逃げ延びますが、求心力を失い、武田氏は衰退していくことになります。

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「馬房柵」で飾られたJR「三河東郷駅」 

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駅から北方向の『首洗い池』をめざします

地形は、北に向かって高くなっていくようです。

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「竹広」の交差点

(写真の)交差点を奥に行くと「竹広激戦地」。この辺りでも戦ったかな、と想像がふくらみます。

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首洗い池

現在では錦鯉が泳ぐ、少し赤い池です(赤色は鉄分を多く含む土壌の色なのだとか)。池があるのは戦場の南で、土地が低くなっています。

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『設楽原歴史資料館』へ行く道。この辺りも全て戦場だったはず

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信玄塚』(小塚)

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信玄塚』(大塚)

2つの『信玄塚』*1には、両軍の死者16000人(?)が葬られているそうです。

このすぐ側に「資料館」があります。

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『設楽原歴史資料館』

『設楽原歴史資料館』

開館時間:9時−17時 休館日:火曜 入館料:330円

住所:新城市竹広字信玄原552

館の前の銅像は、岩瀬忠震ただなり(1818-1861)です。*2

(そういえばなんか指さしていますね。何を指さしていたのかな?)

「歴史資料館」では、長篠の戦い」、「火縄銃のコレクション」、「岩瀬忠震コーナー」などを見ることができます。

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1573年、信玄が攻めた三河野田城」の模型

信玄はこの野田城を攻め落とした後、喀血して発病。数か月後、53歳で亡くなっています(喀血から死までが早いので、末期の胃がん食道がんだったのでは?と言われています)

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「南無諏訪大明神」の合標あいじるし

敵味方を識別する「印」ということです。‥そういえば、武田勝頼は、最初、諏訪氏を継ぎ、諏訪勝頼」となのっていました。4男で、他家に出され、武田の家督を継ぐ予定ではなかったのだそうです。だから、武田家をうまくまとめれないこともあった、という話も…。

さて、館の屋上からは、古戦場が一望できます。

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赤丸が「織田軍」の陣地。白く見えるのが「馬防柵」。奥の山は雁峯山がんぼうさんの山並

 手前の台地のもこもこした茂み武田軍の陣地です。織田軍と相当近いです。目視で数百mくらい(⁉)にみえます(近い、近すぎる)。

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復元された「馬防柵」

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青丸は「徳川軍」の陣地

こちらも手前の茂みが武田軍の陣地になります。

 

「後編」は、「馬防柵」や「決戦地」の写真を載せたいなぁ、と思っています。

 …ということで、以上、 長篠の戦い』①でした。ではまた!

butuyokuko.hatenablog.com

*1:「信玄塚」という名前だが、信玄の墓ではない。

*2:旗本、幕臣、外交官。幕末に「日米修好通商条約」を結んだ1人。

【疑問】『昔の戦争中の野営(キャンプ)では、いったいどうやって寝ていたのだろうか?(近代以前の話)』

昔の兵士(例えば、奈良時代、戦国時代)は、戦闘中、野宿をすることも多かったでしょう。いったいどうやって寝ていたのでしょうか?現代の私たちからすると、装備が無ければ寒くてたまったものではありませんが、昔は装備も貧弱そう‥。昔の露営(キャンプ)について、何かないかを探しました。

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平治物語絵詞』の雑兵

鎌倉時代に描かれた平治物語絵詞へいじものがたりえことば』の1シーンです。これは、警備兵がうたた寝をしている姿です。何か1枚下に敷いて、兜を枕にスヤスヤ寝込んでいるようす。

戦闘中でも状況が許せば、とりあえずそのままの恰好でそこで仮眠、ということもあったでしょう。夜の寝不足分を補うことにもなったはずです。

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座って眠るイメージ(この写真は犬と戯れている写真だったみたい‥)

今でも、前線では「座り寝」をしたりするようです。後方に下がったら、やっと横になって寝れたり‥。

‥また、ウィキの『キャンプ』の項をみてみると、

ローマ帝国軍の軍人・兵士たちは遠方の戦地に向かい、数か月から数年の間、そこで滞在しつつ様々な軍事行動を行った。彼らは木の棒を立て、そこに布(や皮)を張るテントを使用していたらしいことが遺物などによって判っている。 引用:『キャンプwikipedia

「テント」があるのは、かなり上等なイメージです。露営もだいぶ楽になったことでしょう。設営部隊もつれていたのかな?

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「バイキングテント」 M. RichterによるPixabayからの画像 

こうした簡易なものだったのでしょうか?

ローマ帝国軍が使った「テント」まで調べてないので申し訳ないのですが‥)

さて、「日本」はというと‥。

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『戦国 戦の作法』137Pより

この「足軽の寝床の衝撃そのまま寝

むしろを敷いて、蓑みの上着をひっかぶり寝るというのは‥。寝れますかぁ?

寒くて寒くて寝れないのでは?昔の人は偉かったというか‥、もう本当にすごい!

1日ならまだしも、しばらく続く長陣では体が弱りそう。火を起せればいいけど、起せないことだってあるでしょう。

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小和田哲男『戦国 戦の作法』2018

『戦国の作法』によれば、武将クラスは、野戦築城用の「建材」を運んで行軍するので、簡単な「建屋」を建てたり足軽クラスとは雲泥の差があったようです。

また、近くに人家があればそれを徴発することもあったでしょう。雑兵たちも、廃屋、敵の人家、神社仏閣、木の下‥、雨風をしのぎやすいところをみつけて、きっと利用したのでしょう。

 

最後に

 

こうして調べると、戦争の内容・勝敗、武具装備、戦い方などは見つかるのですが、近代以前、「戦闘中はどうやって寝ていたのか?」は、なかなかみつかりませんでした。

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疲れてるから、どこでも寝れる? skeezeによるPixabayからの画像

これは推測ですが、日本の中世・近世では戦闘行動中、「何かをひっかぶってそのまま寝る」はわりと普通のことだったのかもしれません。

結局のところ、①人家を徴発する ②簡易の建物・テントを建てる ③そのまま寝、の3つの選択肢になってくるのかもしれません。

『そのまま寝』でも、現代のように「寝袋」や「暖かい毛布」「フリース」でもあればいいですが‥。無いので、当時のまだ持ち運びやすい、いくらか保温効果のある(?)「蓑」(カヤ・スゲ素材)や衣服をひっかぶるしかなかった、というのが実情だったのでしょうか。

(はっきりとしたことは不明の為、これからも探っていきたいと思っています)

‥ということで、『昔の戦争中の野営では、いったいどうやって寝ていたのだろうか?』でした!以上です、ではまた!

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葉山美知子『中世絵巻 寝姿ものがたり』2009

(今回参考にさせて頂いた『中世絵巻 寝姿ものがたり』絵巻の中に見る「寝姿」に着目した1冊。着眼点の面白い、中世が身近に感じられる良書です)

『食べられるおみくじ』の話【フォーチュンクッキー】【瓢箪山稲荷の辻占ひょうたん笹】(東大阪市)【諸江屋の辻占菓子】(金沢市)

フォーチュンクッキー』とか『辻占つじうら菓子』と呼ばれるお菓子があります。

外側が煎餅やモナカなど食べれる素材で、開けると「おみくじ」が入っているというものです。先日買った『おみくじせんべい』と、以前に食べた瓢箪山ひょうたんやま稲荷の辻占』(大阪)、『諸江屋もろえやの辻占金沢市)を合わせて紹介していこうと思います。

① 『おみくじせんべい』(販売:オクアキ(株))

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『おみくじせんべい』

先日、関ケ原で買ったものです。これぞまさしくフォーチュンクッキー

ひしゃげた甘い味噌煎餅の中に「おみくじ」が入っているタイプです。

「天下分け目の関ケ原」というシールが貼られているので、「武将占いかも?」と少しわくわくしながら買いました。

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中に「おみくじ」の紙が入っています。煎餅はすごくおしかったです !

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おみくじの内容

書かれていることが実用的な感じの「おみくじ」でした。昔の新聞に載っていた「おみくじ」に似ている?

 

② 『瓢箪山稲荷の辻占瓢箪笹』(東大阪市

 

『辻占総本社』という名前の通り、今でも『辻占』をしてもらえる珍しい神社です。*1

授与される「辻占みくじ」も珍しいです。下は『辻占瓢箪ひょうたん』というもの(1500円)。

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造花の笹がかなり大きいです。70㎝くらいあったかな?

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ひょうたんの5色の色は、風水の「五行」の色を表しているのだそうです

ひょうたん型の最中を割ると「おみくじ」が出てきます。

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最中の中の「おみくじ」

「一言」の占いがシンプルで、古風な味わい。紙の切り方もまちまちで、なんだか面白いですね。

 

③ 『諸江屋の辻占菓子』(金沢市

 

北陸(特に金沢)では、今もお正月に「辻占菓子」が売られます

『森八もりはち』(金沢市)、『うら田』(金沢市)、『むらもと』(白山市)、特に種類が多い『諸江屋』さん。

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「諸江屋」さんのパンフから。右は『辻占福寿草

『辻占福寿草は、お花みたいな煎餅の中に「辻占」が入ったお菓子です。淡くて、きれいな色の「巾着包み」が可愛いです(12個入り)。

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「辻占福寿草」の中の紙

「辻占」が妙に謎めいていたり、艶っぽかったりするのは、宴席用に「花街」で売られた歴史もあるからのようです。「きてほしい」なんて言われたら、どきりとしてしまいますね。「きてほしい」に描かれているのは「合羽」の絵。「着て欲しい」と「(恰好いい人に)来て欲しい」をかけているのだそうです。

「中紙の解釈」の一部は、『諸江屋』さんのHPで見ることができます。

明治時代の謎かけ本の文章を使っているということでしたが、解釈は個々が自由にしたらいいのではないか?とも書かれていました。

(「辻占菓子」は通年ではなく、期間限定で12月頃に購入する形になります。購入時期以外、ネットに載せないこともあるようです。他にも『福徳せんべい』*2『ふくとこ宝船』*3など、面白いお菓子があります。)

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『ふくとこ宝船』

最後に

 

‥ということで、「食べれるおみくじ」を見てきました。最初、「辻占」だけで売られていて、後に「辻占を食べ物にはりつけて売りだした」とのことのようですが、食べる楽しみと運勢を見る楽しみ、「2つの楽しみがある」素敵なお菓子だと思います。

また、『おみくじ』については書いていきたいなぁ、と思っています。

以上、『食べれるおみくじ』でした!ではまた!

(今回は、以下のブログの続編となっています)

butuyokuko.hatenablog.com

*1:神社裏手の辻で、そこを通る人の性別年齢、服装、様子・言葉、乗り物、連れなどを観察して、運勢を占うもの。要予約で、宮司さんに見てもらうことができます。

*2:「打出の小槌」型の最中に縁起物の人形など30種類が入ったもの。

*3:「宝船」型の最中に小さい「七福神」が入ったもの。

『浮野古戦場跡』【信長の尾張統一戦 1558年】、『浅野公園(浅野長政邸)』【秀吉5奉行の1人】~尾張一宮歩き①~

『愛知県一宮市を散策してきました。ルートは、『一宮城址』『浅野公園』『浮野うきの古戦場』『真清田ますみだ神社』をめぐる歩き旅です。「一宮市」のイメージは、真清田神社の門前町。繊維業、七夕祭り‥。尾張地方の拠点の1つとして栄え、人口の多い場所のイメージです。名古屋がすぐ近いので、ここから名古屋に通う人も多いでしょう。

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『一宮城跡』

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UFJ銀行の前に碑が建つ。見過ごしそう

駅から300m位の所(一宮市本町)に、石碑とプレートが設置されています。

プレートを読むと、「もともと関氏の城。信長、秀吉に仕え、城主は「小牧長久手の戦い」(1584)で戦死。続いて不破氏の城。1590年不破氏が城を去り、廃城。秀吉も立ち寄ったことがある」、ということが書かれていました。

遺構はみあたらず、平城だったという話の通り、付近の地形もフラット。

この『一宮城跡』は、尾張一宮「真清田神社」の500-600mの南にあります。

「真清田神社に関係してそう」という予想通り、「真清田神社」とその周辺を守る城で、城主の関氏は「真清田神社」の神官でもあったそうです。

武家であり、神官も兼ねるというのが、中世な感じで面白いです。

ここから3Kmくらい歩いて、『浅野公園』を目指します。

 

『浅野公園(浅野長政邸)』

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整備されたお堀が「お城」のよう

 秀吉5奉行の1人『浅野長政(1547-1611)の邸宅跡地です。ぐるりとお濠が整備されているので、お城の跡かな?と一瞬思いますが、公園として整備されたのは大正時代ということでした。

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清潔感のあるさわやかな公園でした

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説明板

長政は「浅野家」の実子ではなく、婿養子に行った「浅野家」のお家、ということでした。「ねね」もこの家で、養女として過ごした期間があったのかな?

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公園の地図

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地図つづき

うーん。邸宅の中心地だった⑨「記念碑山」と⑦「寧々の歌碑」が見たいかな?

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『記念碑山』

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少し小高いこの辺りにお屋敷があった?

寧々の歌碑は割愛しました(歌は凡庸な気がしたので‥)。

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北側のお濠

ここからまた3Kmくらい歩き、『浮野古戦場』を目指します。

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途中で見かけた焼き肉屋さん。「ホルモン」ではない。

『浮野古戦場』

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『古戦場』の南の辺り

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「うぐいす塚」=浮野古戦場

「浮剕首塚うぐいすづかという文字の並びが不気味ですが。もともとこの辺りに、「鶯ケ池」という池があったようで、地名からの当て字のようです。*1

『浮野合戦』は、1558年7月、25歳の信長が岩倉城の織田軍と戦った戦いです。

両軍とも3000位の兵だったと言われ、正午位から開戦。2時間くらい戦闘が続き、信長方の勝利となります。

翌日、信長は打ち取った首を首実検。1250以上の首代があった、と『信長公記』に記されています。その首を埋めたのがこの「浮剕首塚」という話。

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『浮剕首塚

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説明板。「浮野合戦」のパンフももらえます

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塚よりも、思わず隣のコンテナに書かれた文字に目を奪われる。「現代感覚の焼きそば」?

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原っぱでの戦いだったのかな? こんな見通しのいいところで戦いたくないなぁ

この「浮野の戦い」、清州勢と岩倉勢の抗争なのですが、興味を引くのは、その中間地点ではなく、岩倉の北数kmの「浮野」で戦っている点です。

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赤丸が「浮野古戦場」 © OpenStreetMap contributors

岩倉城を攻めるにあたって、当時の木曽川の分流を越すのが大変で、西側や南側からは攻めづらい。足場の良い、北側の浮野に布陣したため、といわれます。
濃尾平野での戦いは、丸見えで逃げづらそう‥)

ここからバスに乗り、『真清田神社』に参拝し、帰宅をしました。また、『真清田神社』周辺についても面白いので、書きたいと思います!

‥ということで、以上、『浮野古戦場』『浅野公園』【尾張一宮歩き】でした!ではまた!

*1:出典は、江戸時代の歴史地理書『尾張塘草』

【秋田のお菓子3種類食べてみた】 ①『バター餅』蕗月堂 ②『いちじく羊羹』吉野家 ③『しそ巻あんず』刈谷食品

先日、『秋田の催事』を見かけました。あまり、秋田の産物に出会うことってないので、嬉しくていくつか買いました。今回は、珍しくて買った【バター餅】【いちじく羊羹】【しそ巻あんず】を順次食べて、紹介していこうと思います。

 

① 『秋田のやわらかバター餅』【蕗月堂】横手市

 

『バター餅』っておいしそうな響きです!結構プッシュされていたので、買ってみました。そのまま即食べれるのもいいです。

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3個入り324円 (1個食べて、2個になっています)

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どこまでもやわやわ、もっちもっち

『バター』と言っても、ほのかにです(言われないと分からないかも)。

やさしい甘み。クセが無くて食べやすいですので、3つ位ぱくぱくいけます。

(1個136kcalなので、食べすぎはダメですが‥)

『バター餅』は、秋田のソウルフード(?)とのことでした。『蕗月堂』さん以外にも、県内で売られているようで、どうして秋田で広まったのか?興味がわきます。

 

② 『いちじく羊羹』【吉野家菓子舗】由利本荘市

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レトロなパッケージが素敵

同じお店の『いちじく甘露煮』とどっちにしようか迷ったのですが、パッケージが可愛いらしいので、『いちじく羊かん』にしてみました。

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「いちじく」がぷちぷちして美味しい

羊かん1本は多い気がしますが、ひらぺったい形で少し少なめ(?)なのもいい塩梅です。432円と値段も優しめ。

おいしかったです!濃厚にいちじくが感じられて、いちじく好きにはたまりません。

(次回は、『吉野家菓子舗』さんの『いちじく甘露煮』を食べよう‥)

 

③ 『しそ巻あんず』【刈谷食品】角館市

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『しそ巻あんず』

『しそ巻あんず』とは?初めてみるかもです。

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「しそにくるまれたあんず」12個入り(486円)

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切ってみると‥

これすごく好みでした。アンズが甘いのですが、「シソ」と酸っぱさがいい感じに中和しています。厚みのある「シソ」も嬉しい!「お茶請け」にぴったりなお菓子です。(『刈谷食品』さん、覚えとこう。次も買います!)

 

最後に

 

いやぁ、ぜんぶ美味しかったです。他にもいぶりがっこチップス』とか『りんごのホイル焼き』とかも買ったのですが、本当に全部おいしかった。

(紹介した中では、『バター餅』は食べやすいので、やはり一番人気かも)

値段が全体的に控えめなのも何となくうれしいし‥。

秋田すごいなぁ、と感心しつつ‥。以上!『秋田のお菓子3種類食べてみた』でした!ではまた!

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『りんごのホイル焼き』

『角度について私が知っている2、3の事柄~いろいろな角度』②『富士山』『ピラミッドの角度』『石垣』『とんがりコーン』

前回ブログ『角度について私が知っている2、3の事柄~いろいろな角度』①の続きになります。今回は、『富士山の角度』『ピラミッドの角度』『とんがりコーン・カラーコーン』『摩擦角』などを取り上げます。

butuyokuko.hatenablog.com

⑧ 絵で見る『富士山の角度』と実際の角度

 

どこで読んだか分からないのですが‥、「富士山の絵」を実物を見ずに書いてもらうと、実際より高くシュッとした富士山を描く傾向にある、というものでした。確かに実際の『富士山』って裾野を引いた、どっしりとした山容をしていますもんね!

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実際の『富士山』 Alpsdake /Link

太宰治富嶽百景の中で、「広重・文晁の富士山は、84-85°位の頂角」「北斎30°位」。でも、実際の富士山は、東西は124°、南北は117°であると書いています。

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。

引用:太宰治富嶽百景』より

富士山の『頂角』を考えたことはないのですが、こうした絵画との指摘をみると面白いなぁ、と思います。

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確かに北斎の「富士山」は鋭角です  /Link

 

⑨ 『ピラミッド』の勾配

 

ピラミッドといえば、ギザの『クフ王の大ピラミッド(BC2560年)が有名ですね。

 その勾配は「51°」(底辺は各辺230m。高さ146m)

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クフ王のピラミッド』 Nina -/Link

もう1つ、有名な『屈折ピラミッド』(BC2600年頃)というものがあります。

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『屈折ピラミッド』 Link 

これは、途中で勾配を変えてしまったピラミッドで、「54°→43°」に変更しています。勾配変更の理由は諸説あるようですが、

▢ 勾配が急で崩れる危険があるため、角度を途中で変えた?

▢ 建造中に王が病気になり、完成を急ぐ目的で高さの目標を下げた、などなど。

変更の理由がとても気になりますね。

 

最後にもう1つ。クフ王の父が建造した『赤いピラミッド』(BC2590年 – BC2570年頃)。勾配は「43°」。(高さ104m。底辺218.5×221.5m)

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赤いピラミッド』  Ivrienenさん /Link

このピラミッドは、壁面が二等辺三角になった方錐形のピラミッド(一般的なピラミッドのイメージ)の初出ということです。

それ以前は「階段型」であったり、「屈折」にしたり、崩壊したりの試行錯誤の時期があり、ここから「真正ピラミッド」と呼ばれる(私たちのイメージする)「ピラミッド」が作られていくのだそうです。

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『赤ピラミッド』の平面図と立体図 MONNIER Franck /Link

古い順に並べると①から③の順番となり、40年ほどの期間です。

① 『屈折ピラミッド』(54°→43°)

(この時期、「51°」のピラミッド崩壊。『崩壊ピラミッド』と呼ばれる)

② 『赤ピラミッド』(43°)

③ クフ王のピラミッド』(51°)

‥いやぁ、当時の技術者に紆余曲折の苦労話を聞いてみたいですね!

 

 さて、『ピラミッド』について書いたので、日本の中世からの『石垣』についても。

日本の石垣は、初期の頃は「垂直」に近かったようなのですが、これでは崩れやすいため、勾配を持たせるようになりました。

石垣の完成形は、お城建築のラッシュだった慶長頃(1596-1615)のようです。

完成形の石垣の「勾配」には一定のやり方があるようで、石垣構築の技術書が現在にも伝わります。*1

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犬山城』(1537築城)の勾配 直線の勾配

角度はそれぞれのようで、初期の頃は「反り」の無い直線の勾配です。

「完成形の石垣」になると、石垣の⅓位まで直線。上にいくにつれて『反り』を持ち始めます。

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大阪城』の「反り」のある石垣(1620-29改修)

(こんなに反って威厳があっては、石垣を見ただけで攻略を諦めてしまいす)

 

⑩ 『カラーコーン(パイロン)』と『とんがりコーン

 

ちょっと似てるかなと思って取り上げてみましたが、あんまり似てなかった?

両方とも頂角20-30°くらいでしょうか。

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『カラーコーン』  I, Katorisi, /Link

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とんがりコーン』 Link

とんがりコーン』は、つぶれた円錐形をし、箱は六角柱形という、面白い形状をしています。おいしくて、かたちも愉しめるお菓子です。

 

⑪ 『摩擦角』

 

斜面の傾きを大きくしてくと、坂の上にある物体が滑り始めます。その角度のこと(青色の角度)を指します。

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「力のベクトルの図」(N:垂直抗力 W:重力 F:摩擦力)

SlaveOfExamさん /Link 

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Free-PhotosによるPixabayからの画像

 (下山が苦手なのですが‥、もっと「摩擦力」を信じてみようかな?)

 

 ‥ということで、以上!『角度について私が知っている2、3の事柄~いろいろな角度』②でした!ではまた!

『ゼスプリ』の「キウイブラザース」に癒される!思わず【フィギュア】と【バケツ】を買うかわいさ!

ゼスプリ(Zespri)』の「キウイブラザース」ご存じでしょうか?キウイフルーツ」のキャラクターです。売り場やCMでみかけることありますね。口がカパカパしてて‥。頑張り屋でダメなところもあったりで‥。人間くさくて可愛いキャラです。


ゼスプリ キウイ TVCM 2020「好きなことを楽しみながら」篇 60秒 歌詞付き

先日、この動画を売り場でみて、‥きゅんとしました(バナナやリンゴのよくわからない仲間もたまりません…)

 この時は、『プラスチックの特製バケツにキウイ10個』が販売中でした。

一緒にいただんなさんに「キウイのキャラが可愛いよ!」と伝えると、「バケツキウイを買う!」というので持ち帰りました。

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黄色のバケツ(緑色もあり。今はもう販売終了したよう?です)

バケツの使い道はよくわからないけれど‥、のんきなキウイの絵に癒されます

定番の緑の『グリーンキウイ』。甘みのある黄色い『サンゴールド』の2人(?)が『キウイブラザーズ』とのことです。

緑は、「真面目で正義感が強く、しっかり者」キャラ。黄色は、「陽気でのん気な、甘えん坊」のキャラ設定なのだとか。

 

さて、実のところ、私は酸っぱいのが苦手で、あまりキウイを買わないのです。今回も買いたいとは言わなかったのです(可愛いとは言ったけど‥)

 10個も率先的に(?)食べてくれる旦那さんに感謝しつつ‥、それからしばらくして、今度は『限定フィギュア付き9個入り』というのが発売されました(発売9/15)

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フュギュア付きの「外紙」

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「お座りフィギュア」がついています。結構いい出来。

「フィギュア」は旦那さんが発売日に数店舗を回り、手に入れたとのことでした(そんな好きだったの⁉)

(この時点で、「緑色のフィギュアがもう無かった」という話でした。Twitterでは、逆に「黄色が無い」などとも‥)

その後、「緑を探しにいきたい」という旦那さんといっしょに5店舗回りましたが、結局「緑」を見つけることはできませんでした。人気みたい⁉

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「2020年フュギュア」はウィンクしている

『限定フュギュア』は2019年も発売されたとのことで、この時もすぐ無くなったようです(昨年のは「ウィンク」じゃなく、「お目めぱっちりver」。そっちの方がよかった?)


【2019年】【話題】「アゲリシャス」【替え歌】【ダンス】

2019年CM『アゲリシャス』

アゲリシャス?「アゲアゲ、デリシャス」のキャッチコピーがふるっています。

(遅ればせながら)今年、YOUTUBEで見て大好きになりました。


【倍速】0.2倍速づつ上がるアゲリシャス

この「0.2倍速づつ早くなるVer」も面白かったです!

 

味と保存法

ちなみに、私が食べたのはかなりすっぱくて‥震えました!

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ひゃー、すっぱい

しばらく冷蔵庫に置いたのを食べたのですが、未熟性なのは常温でしばらくほっとくべきでした保管がいけなかったのを反省して、今はこのようにしています。

① 未熟性は常温で熟成させる。

② クシャクシャ新聞紙やキッチンペーパーに1個づつ包み、ポリ袋に入れる。

③ つまようじなどでポリ袋に穴を開けておく

(食べごろキウイは、②にして冷蔵庫保存)

今度は、ちゃんと熟成させて美味しく食べれるかな‥?

 

‥ということで、以上!『キウイブラザーズが可愛い!』でした、ではまた!

『福井のお土産』いろいろ集めました!【尺谷石】【若狭塗】【越前和紙】【鯖江のメガネ】【小鯛笹漬け】【海の幸】‥

前回のブログで福井へ行った際、お土産を買いました。『福井のお土産』や「福井で有名なもの」っていろいろありますが、以前買ったものと今回買ったものとおりまぜて紹介していきます。福井に行く際に参考になれば‥、また「同じものを持ってる!」と思っていただけたら嬉しいです。

butuyokuko.hatenablog.com

① 『尺谷石』

 

足羽山あすわやま取れる『尺谷石しゃくだにいし』製の食器やアクセサリーなど。

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福井の中心「足羽山」には歴史がいっぱい。  紫煙 /Link

綺麗なうすいブルーをしているので、「青石」と呼ばれています。現在の福井城の石垣や、石瓦・建材として使われた歴史がありますが、今は採掘されていません。

こうしてお土産で買えるものは、以前採掘したものの転用なのだそうです。

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「小皿」(コーティング無し。直径7.5cm)

この「小皿」でお酒を飲んだり、「塩から」をのっけてみたことがあるのですが、石の中の細かい穴に成分が入りこむらしく、臭いとぬめりが残り、後が大変でした。

食事をするには、コーティングされた『尺谷石』を使わなくては‥。

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こちらはコーティングが施された「コップ」

中に見える石の粒は「火山礫」です。このコップはお酒でもジュースでも大丈夫。

また、水を含むと青さが増すので、石畳(尺谷石の)に打ち水して、色味の違いを楽しんだり、と風情のある使われ方がされました。

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小皿(左)を濡らしてみると、少し色目が変わりました

買える場所:観光物産館「福福館」(福井駅前の「ハピリン」内)など。

以下、紹介するものもだいたい「福福館」で買うことができます。

 

② 『若狭塗』(小浜)

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美しすぎる(?)箸

小浜名産の『若狭塗』もきれいで、ついつい目で追ってしまいます。

どこか「竜宮ぽいなぁ」と思っていましたが、江戸時代に作り始めた人が「小浜湾の海底のようす」を図案化したということで、たいへん納得しました。*1

買える場所:『箸のふるさと館WAKASA』小浜市福谷)というお箸の施設があるようです。また、小浜駅前の若狭塗のお店や『御食国若狭おばま食文化館』、『道の駅若狭おばま』などの施設でも入手できます。 

 

③ 『越前和紙』

 

『越前和紙』について実はよく知りません。各地の和紙(例えば、「美濃和紙」や「八尾和紙」)とどう違うのか?など。

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『越前和紙』製の箱。なんだか上品です

越前市には、『越前和紙の里 紙の文化博物館』『パピルス館』『卯立の工芸館』が固まった「越前和紙の里」があるので、また機会をみつけて勉強しにいってみようと思います。

 

④ 『メガネ』( 鯖江市)

 

鯖江といえば、『メガネ』の町福井県で全国の「メガネフレーム」の95%を生産しているそうですが*2、その中心地が「鯖江」です。

メガネが関係ない人も鯖江『めがねミュージアムはきっと愉しめる施設。

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昔の「めがね」の展示も面白いし、「めがねモチーフグッズ」が販売されていて、個性があって可愛いです。

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キーホルダーなど

 「眼鏡固パン」、「眼鏡最中」などメガネな食品(?)を誰かのお土産用に買いたくなります。

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『メガネ最中』(目にいいブルーベリー餡味もある)

 

⑤ 『海の幸』(こんぶ、うに、鯖、越前蟹‥)

 

定番「海の幸」。何を買っても、間違いなくおいしい福井の海産物。

敦賀『海生堂』の昆布。雲丹商『天たつ』の「汐うに」『雪がわら』というお菓子(昆布に砂糖をまぶしてカリカリにしたもの)などは、何回行っても買ってしまいます。

www.konbu.jp

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本物の写真がなくて申し訳ない。『天たつ』の「汐うに」

 

⑥ 『小鯛の笹漬け』(小浜)

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「ささ漬け」も幾種類かある。少し味つけが違う?

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「杉樽」に入った昔ながらのスタイル

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これだけで死ぬほどおいしいごはん 。欠け茶碗が‥(恥)

『笹漬け』は病みつきになる中毒性のある食べ物?今回買ったのは、少し味が強めのタイプでした。

 

⑦ 『越前打刃物』(越前市

 

福井は「 刃物」も有名です。本物の「刃物」も欲しいのですが、今回はなんとなく「刃物ストラップ」を買いました。

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いつかは包丁を‥

‥行かずとも、『龍泉刃物』のオンラインショップの包丁を見てるだけでも幸せを感じます。

ryusen-hamono.com

⑧ その他いろいろ

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福井でみかけた「花輪」

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うわー、すごい

(こういう「花輪」は全国どこでもなのでしょうか?たまたま福井が目立っていただけ?)

『越前そば』

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「越前そば」も外せないお土産

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以前食べた「越前そば」。隣には名物「ソースカツ丼」の姿も。

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「8番ラーメン」

北陸に展開する「8番ラーメン」。今回はじめてこのお土産を見ました。

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あけると、ちゃんと「ハチカマ」も入ってます

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「いっちょらい」(福井の方言で、「一張羅」の意味だとか)

 米どころ、水どころの福井。日本酒も期待がもてる?今回は、黒龍酒造」さんの「いっちょらい」というお酒を買いました。飲みやすくて大変おいしかったです。

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「越前海岸」のポストカード

最後に、今回買ってきた「越前海岸」のポストカード(こういう日本海の寂しい感じがいい)。「波の華」(上)、1度見てみたいなぁ‥。

 

最後に

 

‥ということで、福井は「海の幸」をはじめ、「福井米」「越前そば」、と美味しいものがたくさんあります。歴史も古いので、伝統工芸品「越前打刃物」「越前焼」「越前和紙」「若狭塗」「めのう細工」‥)のラインナップもそろっています。

その他、「一条谷朝倉氏遺跡」や恐竜や、メガネ関連のお土産も注目です!

以上、個性豊かな『福井のお土産』でした!ではまた!

*1:「若狭塗」は、小浜藩足軽の内職として保護・奨励されたのだそうです。

*2:平成26年度 福井県工業統計調査

『サイアムガーデン』で食べる本格タイ料理と登録有形文化財『旧加藤商会ビル』(名古屋市中区)

堀川沿いにあるタイ料理屋「サイアムガーデン」にランチに行ってきました。

昭和6年ころ建てられた『旧加藤商会ビル』登録有形文化財)にお店が入っていて、古い建物が少ない名古屋では気になる存在です。「トムヤンクン」をはじめとするタイ料理がたいへん美味しいお店でした。

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地上3階、地下1階。鉄筋コンクリ造りの『旧加藤商会ビル』

建物の裏に「堀川」が流れています。ここだけ切り取られて、残されたような「ビル」の姿。

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入り口。「加藤商会」の文字もレトロでいい

「加藤商会」は貿易業を行う会社だったそうです。また、昭和10年から終戦くらいまでこの建物にタイの領事館が置かれていた、という経歴も面白いです。

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玄関入ってすぐ

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2階のレストランの席へ

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2階手すり

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2階の窓際

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メニューにも建物の説明が載っています

この「サイアムガーデン」、たいへん人気店の印象です。ランチなど予約をした方が良くて、平日でもけっこう席が埋まっています。

また、料理長はタイの方で、本格的なタイ料理が提供されますが、食べやすいし、何を食べてもおいしいです。お給仕もタイ人の方?

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「生春巻き」

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「ソフトシェル・クラブ」

脱皮直後の蟹のフライ。足が多い?感じでしたが美味しかったです。

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きれいな青い生エビ

ゆったりとした雰囲気の中で、メーニュー豊富なおいしい料理。人と行くには最適なお店でした。

(今回はせっかちな父との食事だったので、写真を撮る前に食べられてしまったり、建物細部まで見れずでしたが、また次回の楽しみにしようと思います。その他、地階には堀川に関する資料などの展示「堀川ギャラリー」があったようですが、これもまた次回の楽しみにしようと思います)

www.siamgarden.jp

さて、ビールをけっこう飲んだので、腹ごなしに運動をして帰ります。名古屋の中心「栄」から、「千種駅」まで歩いていきます。

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「JR千種駅」の近く

一見、何の変哲もない場所のようですが、栄の東新町辺りからこの千種の辺りまで、土地が低くなっています。「精進川低地」と呼ばれる昔、川が流れていた跡です。*1

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この場所から、東へ土地はせり上がる。昔の河岸?

私も以前、この「精進川低地」に住んでいました。昔の川底に住んでいたわけで‥。

低地の両端の坂が「河岸」だったと分かった時、「そういうことだったのか‥」と、とても感動しました。

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昔はもっと急傾斜だった?造成でフラットに。

‥ということで、『サイアムガーデンで食べる本格タイ料理』でした!以上です、ではまた!

*1:低地を作ったのは「精進川」ではなく、以前ここを流れていた「矢田川」だったそうです。

ふわふわスイーツ『あわ雪』(岡崎市「備前屋」)のお取り寄せ【チェリーブランデー味ってどんな味?】

三河を代表するお菓子に『あわ雪』というものがあります。老舗和菓子屋備前屋』さん(創業天明2年)が作る、「豆腐」のような見ためのお菓子です。卵白・寒天を使い、ふわふわもきゅもきゅとした食感が面白いおいしいお菓子です。

 

『あわ雪』

 

時々無性に甘いお饅頭が食べたくなることはないでしょうか?そうして、ネットで「和菓子探し」をするのが楽しみでもあるのですが。

今回は地元の銘菓『あわ雪』を買いました。

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ノーマルな『あわ雪』 純白・茶山・桃花の3種類 1本540円

愛知県では備前屋のあわ雪~♪」と、昔はよくCMが流れていてお馴染みでした。食べるのは久しぶりです。

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あけると、これが2個入っています

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少し「蜜」が出てて、べたっとしますが

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カットして食べます。みためは「豆腐」そのもの

もともと江戸時代、岡崎宿で名物のおいしい「豆腐」が売られていて、有名だったのだそうです。今、その豆腐はもうありませんが、それを惜しんだ「備前屋」さんが創作したお菓子が「あわ雪」ということです。

プレーンの「純白」はたいへんおいしかったです。あっさりとした甘さで、軽くてふわふわモキュモキュ、クセになりそう‥。

‥ということで味をしめて、チェリーブランデー味も取り寄せてみました。

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「古地図」の包装紙に包んでもらいました

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これは初めてみるかも

『ブランデー』味っておいしそう。大人の味わいなのでしょうか?

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ほんのりとピンク色です

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チェリーブランデーあわ雪」

「‥!」

すごく残念なのですが‥、「ブランデー」が弱すぎる。アルコール感がないです。
「チェリー」の味もしないし、プレーンの方がだいぶおいしかった。
(提案ですが‥、アルコールを5倍位にした方がいいのでは?

個人的好みをいって申しわけない。下に『備前屋』さんのサイトをはりました。

bizenya.co.jp

『ふるさとの駄菓子』と石橋幸作(1900-76)

 

「和菓子」つながりで、今年買った本の中でとても印象に残る本がありました。

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『ふるさとの駄菓子』LIXIL出版 2018

この本は、石橋幸作*1という駄菓子職人さんが一生をかけて、全国の駄菓子を採集した記録です。フルカラーで、石橋さんのスケッチと再現した紙粘土細工が紹介されています。

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自筆の「駄菓子」収集の記録

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丹念な記録に、駄菓子への愛情を感じる

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紙粘土でも再現を試みている

「駄菓子の紙粘土」は1000点以上で、その多くが博物館明治村(愛知県犬山市)に納められているということでした。

消えていく日本の『駄菓子』を惜しみ、休日に日本全国を訪ね歩いたということです。描きこまれたスケッチの1つ1つに「駄菓子」への愛情を感じて胸を打たれます。

(もう作られなくなった駄菓子もあるでしょう。貴重な記録ですね)

日本の『駄菓子』(和菓子)の素朴さ、可愛さ、色使い、面白いかたちが好きなのですが、石橋さんの著作に出会えたことは幸運でした。

ふるさとの駄菓子 石橋幸作が愛した味とかたち (LIXIL BOOKLET)

ふるさとの駄菓子 石橋幸作が愛した味とかたち (LIXIL BOOKLET)

  • 作者:佐藤敏悦
  • 発売日: 2018/03/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 最後に

 

正直、味でいうなら、洋菓子の方がおいしいかなと思うのです(油脂を使ってることや材料もお菓子の種類も多彩)

和菓子に心ひかれる理由は、多分そこに「日本の歴史」を感じるからなのだと思います。小豆の歴史、餅の歴史、よもぎの歴史、醤油の歴史、名前の由来‥。

‥ということで、これからも「おまんじゅう」や「駄菓子」や「和菓子」を食べ続けようと思います。以上!『あわ雪』でした!

*1:仙台の飴屋「石橋屋」の店主。