星が降ったことからその名がついたと云われる星崎ほしざき(名古屋市南区)。
複数回の隕石の伝承があり、江戸時代に降った「星の石」は、呼続よびつぎ神社のご神体となっています。
ご神体の隕石こそ見れませんが、ロマンを感じる星崎の周辺とお土産を紹介したいと思います。
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①「喚續よびつぎ神社」
神社の創建は1523年(大永3)で、天照大神などをお祀りしています。
「喚續神明社しんめいしゃ」という名前の通り、お伊勢さんと同じ神明造りで建てられています。
縁起によれば、「神社西の海岸堤防が何度も決壊し、お伊勢さんに1万回のお祓いをしてもらったところ、神徳があって堤防が完成した」とのことで、
いっ、1万回のお祓い?にびっくりしますが、神社はそのお伊勢さんの方を向いて建てられています。
さて、1632年(寛永9)の旧暦8月の話です。
深夜に塩田で塩造りをしていると、突然、隕石が空から降ってきたといいます。
落ちた「星石」は、庄屋さんの家に保管されていましたが、1829年(文政12)にこの喚續神社に寄進され、同社のご神体となり、今に至っています。
実物を見れると嬉しいのですが、写真などで見ると重量約1kg、大きさは約14㎝×8㎝×7㎝で、
落ちた場所の名から「南野みなみの隕石」と呼ばれています。
隕石の写真など、下記サイトのスライドで見ることができます。
ちなみに「喚續社」の隣りは名古屋で有名なおそば屋さんの「紗羅餐さらざん本店」。上品なお蕎麦で人気のお店で、「喚續社」とセットで訪れるといいかもしれません。
②「星宮社」と尾張氏おわりうじ
上の写真は、喚續社の近くにある「星宮社」(ほしみや・ほしのみや)で、こちらも「星」の伝説のある神社です。
社説では637年(舒明天皇9年)、「七星が降り、神託があったので社を建てた」という説明がされています。
「七星が降り」などという文言を読むと、後から妙見信仰*1が入ってきたのかな?と思えます。
星宮社のご祭神は、星の神社にふさわしく、星神・天津甕星あまつみかぼし神を祀っています。
上は、境内にある上下「知我麻ちかま神社」で、熱田神宮にも同じ名前の神社があるのですが、その元宮ともいわれます。
今は「星宮社」と呼ばれますが、古くからあったのは、この知我麻神社の方かもしれません。
というのは、もともとこの辺りは、松巨嶋(まつきょじま・まつごじま)と呼ばれた島状の土地で、尾張の古代豪族・尾張氏おわりうじが住んでいた場所といわれているからです。
ここから近い熱田神宮そばの白鳥しらとり古墳(6c初)、断夫山だんぷざん古墳(6C前)などの埋葬者も尾張氏とされ、上知我麻社に祀られる「乎止與命おとよのみこと」も同じ尾張氏です。*2
尾張氏が住んだこの星崎の地は、当時は星がよくみえる風光明媚な岬だったのかもしれません。
③なぜ、星崎には隕石伝説が多いのか?(星崎の地名と伝承)
星崎の地名は、平安時代の記録にはすでに見えるといいます。*3
星が落ちた出来事・伝説が、星崎の地名の由来といいますが、複数あるので年代順に書いて整理してみます。
① 637年(舒明天皇9年) 七星が下り、神託があって「星宮社」を建てた。*4
② 935年(承平5年) 隕石が落ちた伝承がある。*5
この中の③は注目してもいいかもしれません。日付がはっきりしていることと、海中に落ちたので隕石の回収はできなかったのかもしれません。
なぜ、星崎ばかりに隕石伝説が残るのか不思議だったのですが、こうしてみると、やはり岬の突端で星がよく見えたこと。
また、星崎は塩田が盛んで、昼夜関係ない作業の中、流れ星などを目にする機会が多かったのも理由であるかもしれません。
④星崎のお土産
さて、最後に星崎のお土産を紹介したいと思います。
隕石があれば1番嬉しいのですが、昔の製塩に因んだお菓子を買ってきました。*8
両方ともほどよい甘さで、柔らかくてとても美味しかったです。
「温石おんじゃく」って隕石のことかな?と一瞬思ったのですが、昔、カイロの代わりにしたり、製塩の際に使った石のことなのだそうです。
昔に思いを馳せつつ、美味しく頂きました!
こちらは本星崎町の「本松」さんというお菓子屋さんで買うことができます。
最後に(星降る土地)
というわけで、星崎の地名に関連する喚續神社、星宮社を見てきました。
私の他にも隕石伝説にロマンを感じる人はやはりいるようで、同じ目的で「星崎」を訪れる人もいると聞きました。
こんなに複数の伝承があるので、もっとアピールして町起しに使ってもよさそうな気もするのですが!
ということで、以上、『星が降る土地・星崎』でした。ではまた!