物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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鎌倉街道の峠道がまるで鎌倉時代で驚いた!【二村山展望台】(愛知県豊明市)

先日、名古屋近辺の鎌倉街道を歩きにいってきました。

鎌倉街道は、鎌倉時代~1600年頃を中心に歩かれた街道ですが、この街道を歩ける所(推定)もあり、今回とりあげる二村山ふたむらやまは、そこだけがまるで鎌倉時代にタイムスリップしたような不思議な場所となっています。

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①藤田医科大学病院から二村山へ

 

この二村山は、11Cの『更科日記』にその記述がみえ、古来名高い歌枕の地として親しまれたきたそうですが、現在ではあんまりピンときません。*1

豊明とよあけ市にそんなところあるの?というイメージです。

名鉄前後ぜんご駅で下車し、北に数km歩くと藤田医科大学病院の白い建物群がみえてきます。

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藤田医科大学 Tomio344456 , CC 表示-継承 4.0, Link

めざす鎌倉街道は、この病院の中を通っていたといいます。

車の往来の激しい病院内(週末なのに)を抜け、真ん中にある濁沼という沼をめざします。

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濁沼

というのは、想定・鎌倉街道はこの沼の底を通っていたという話。水が溜まったのはその後なのだとか。*2

なんだか交通ラッシュがひどいので(ワクチン接種会場のせいか?)、沼は数秒見るだけにして東側へと抜けます。

病院から山への登り口はよくは分からなかったのですが、下の詳しい地図をみながら、体育館の東辺りに見当をつけ、歩いていきます。

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二村山の地図 Tomio344456 , CC 表示-継承 4.0, Link

そして、体育館の東へと進むとたしかに雑木林の中へと続く細い道を発見!

案内板もないので、これかな?と思いながら、進みます。

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登山道入り口
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登山口から少し入ったところ

中に入って少し進むと、途中の看板には‘二村山‘とあり、一安心。入り口の付近には植物の植えられた庭も広がっています。

こんなところに突如として山の自然が残ることに感動しつつ、これは隣の医科大のおかげだな~と思いながら、続く坂道をちょこっとあがると、

なんと、もう峠につきました!(はやっ!)

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ここだけ鎌倉時代が残るよう

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峠に建つ鎌倉街道の碑

峠に建つ説明板を読むと、鎌倉以前よりこの道は歩かれ、源頼朝北条泰時飛鳥井雅経西行法師などが歌や紀行にこの歌枕の地を記したということが書かれています。

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峠(標高約60m)

しかし、鎌倉時代の旅人が突然現れてもおかしくない雰囲気を残しているところがすごい!(よく残ったなぁー)

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源頼朝の歌碑 1190年10月にこの地を通った

傍らには源頼朝の歌碑もあり、源頼朝も歌を詠むんだなーと思ったり。

さて、この峠には他にも古いお地蔵様があるというので、この歌碑の奥にあるお堂をお参りします。

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地蔵堂

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地蔵堂前のスペース 車で来る人は東側の道から乗入れられる

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お堂の中にある3体のお地蔵様

この左側のお地蔵様身代わり地蔵尊の背中には、大同2年(807年)の刻銘があるといい、とても古風な、すりへった姿をしています。

また頭のバランスが何となく悪いのは、18世紀の落雷でお堂が燃えた際、頭部が落ちてしまったのだとか。*3

大事にされているのがよく分かるお地蔵様をお参りした後、このお堂から右側の方へ行ってみます。

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展望台へ続く道

すると、知らなければ、まず見落としてしまいそうな展望台へと続く道を発見。

 

②二村山展望台

 

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二村山勝地の碑

途中、句碑や歌碑が並ぶ道を上がっていくと、ほどなくして二村山の山頂(標高71.8m)につきます。

ここもきれいに整備されていて、今度は「切られ地蔵尊」という不思議なお地蔵様に目がいきます。

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切られ地蔵尊(1679年建立)

(何が’切られ地蔵’なんだろう?)と思いながらその背中の方に回ってみると、その理由がわかりました。

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背後

体が割れて上下まっぷたつに。まるで何かに切られたかのようですが、先ほどのお堂にあった地蔵と同じく、18Cの落雷による被害なのだとか。
この新旧2体のお地蔵様はもともと峠にあって峠を見守っていたといい、長い間の露天でこのようなすり減ったお姿に。

長きに渡るご守護をねぎらってあげたい気持ちになります。

さて、この切られ地蔵の後ろには展望台が建てられています。

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展望台

峠で全く得られなかった眺望は果たして得られるのか?期待をこめて登ってみます。

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御嶽山がきれいにみえる

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南方面

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西方向

なるほど、360度ビューは本当(なかなかいい感じ)

昔の旅人はここからの濃尾平野の展けた眺望や御嶽山おんたけさん伊吹山いぶきやま、西側の三河の山をみて、今までの旅の行程、これからの行程を思い、一息ついたようです。

当時は、ここより低い峠の位置からよく見えたのか、海はきれいに見えたのか、色々な想像が頭をよぎる展望台です。

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峠から東側へ降りる道

このほか、二村山の中には散策路や豊明神社などがあり、地元の方の憩いの場所となっています。

 

最後に

 

ということで、数百mのほんのわずかな区間ですが「あれっ鎌倉時代かな?」と一瞬錯覚を起こさせてくれるとても面白い場所でした。

また、有名な「桶狭間の戦い」はこの近くで行われたのですが、その際は両軍ともこの鎌倉街道を途中まで利用しており、

戦闘が行われた「田楽ケ窪」はさきほどの藤田医科大学の敷地であったといいます。*4

そうした鎌倉街道に残る、江戸以前の古い歴史をこれからも訪ねていきたいと思いながら、以上、『鎌倉街道の峠道がまるで鎌倉時代で驚いた!』でした!ではまた!

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鎌倉街道沿いに進軍した

【参考にした書籍】

鎌倉街道ははっきりしないところも多く、ところどころ跡をたどる感じになるかと思いますが、名古屋ふきんの鎌倉街道を歩いてみたいなと思う方には下記の本がたいへんお薦めです。

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池田誠一『なごやの鎌倉街道を探す』2012 風媒社

*1:「二むらの山の中にとまりたる夜、大きなる柿の木のしたに庵を作りたれば、夜一夜、庵の上に柿の落ちかかりたるを、人々拾いなどす」(1060年頃成立)

*2:池田誠一『なごやの鎌倉街道を探す』130pより。

*3:wikipedia「二村山」より。

*4:池田誠一『なごやの鎌倉街道を探す』126pより。