(前回勘違いしており)残りは30㎞。
旧街道の雰囲気を最も残し、面白い建物や一見に値する旧跡のある区間です。今回も目についたところのみ、取り上げていきます。
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上記の街道歩きのサイト「Network2010」の地図を参考に歩いていますが、下街道の土岐市以降の情報はルートのみ。
何もないのか?のせてないのか?不思議に思いながら、前回終えたところから歩きます。
①戸狩荒神塚古墳
【所在】瑞浪市明世町戸狩地内
遠くからでも分かる印象的な古墳。こんもり可愛いので、近寄ってみます。
未発掘なこともロマンがあるし、2段墳丘がみてとれる状態の良い古墳のようです。
この北側には横穴古墳群と100ほどの円墳があり、その盟主となる人物のお墓とのことで、かなり大きな立派な円墳でした。
下は途中みかけた「瑞浪鉱物展示館」
開館前なので素通りですが、ここ瑞浪みずなみ市は「瑞浪市化石博物館」などもあり、産出する化石・石の面白い場所。
土岐川の野外学習地では、化石採集体験ができたりと心躍るものがある。
②美濃源氏・土岐氏発祥の地「一日市場八幡神社」
さらに進むと、一日市場ひといちばという場所に建つ八幡神社という神社に出くわします。
新しく綺麗な看板は大河ドラマ『麒麟がくる』(2020-2021)に合わせ、設置されたようす。
「土岐明智一族発祥の地」の幟りもはためき、お参りしたくなります。
土岐氏の庶流という明智光秀の像と、左側に美濃土岐一族の祖・土岐光衡(ときみつひら・1159-1206)の像が並びます。
手を振りかざした光衡の像が印象的なのですが、よくみると兜に桔梗の花をさしています。
なぜに花?というと、説明には、
土岐の桔梗紋は、ある合戦で桔梗の花を手折って兜に挿したところ、大勝利を得、これを嘉例として土岐家の定紋にしたことが始まりです。
引用:神社境内の説明板より
とありました。この桔梗の花を挿したのが光衡であった、という確かな資料はないそうですが、たいへんと粋な感じがします。
しかし、どちらかというと、生死をかけた合戦の武運を祈る真剣な所為であったのかもしれません。
「かざす」行為には、植物を挿して身に付けることにより、自然の持つ霊力を自分に感染させる意味があったと思われる。
引用:精選版 日本語大辞典「挿頭」の解説より
この一市場に、土岐氏一族の祖・光衡が舘(一市場館跡)を構えて本拠地としたといいますが、現在、明確な館の跡は分かっていないそうです。*1
そして、1番印象的だったのは神社前の風景。
土岐川を望む小高い立地。
中世の市場は、河原や中州に多くたったといいますが、土岐川沿いに1のつく日(1日、11日‥)に市場が建ち、それを眺めるように舘もあったのかもしれません。
③「鶴ケ城跡」
【遺構】曲輪、土塁、堀切、大手門跡、井戸
さきほどの光衡が築城したといわれる城跡がすぐそばにあります。
ここも『麒麟』に合わせて、登山道をきれいにしたようす。
地元の商店で話を伺うと、春の草刈りなどからだいぶたち、草ぼうぼうの蚊もぶんぶんだろうとの話。
今回は諦め、次回改めて挑戦することにします。
光衡の時代に築かれ、関ケ原の戦い後、廃城とあるので、だいぶ長い間機能したお城であったことにも興味を引かれますが、さらに道を進みます。
ということで、長くなったのでいったん切り、最終の部分に続きます。
以上、『下街道を歩く④』でした。ではまた!
下記は最終編になります。