物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

高山城址『穴弘法』の雰囲気が怖い。鎌倉の『やぐら』そっくりなじめじめとした不気味さ(岐阜県土岐市)

3月、下した街道を歩いた際、街道沿いの「高山たかやま城跡」(土岐市)を訪れました。現在、散策できる城跡として整備されていますが、ここにある「穴弘法あなこうぼう」というお寺・場所が、鎌倉のやぐらに激似なこと。また、そのじめじめとしたただならぬ雰囲気に怯えながら、お参りしてきました。

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 下街道の「高山宿」と土岐高山城跡の森

 

高山城跡」は、土岐市を見下ろす小高い山の上(183m)にあります。

その麓には、昔の下街道*1が通り、天領だった「高山宿」があります。往時は、名古屋城下から中山道を結ぶ街道として賑わったといいます。

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下街道「高山宿」の町並み

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「高山宿」の説明板

宿場を散策しながら、山の登り口を目指します(登り口は何ケ所かある)。

 

「穴弘法」のやぐら

 

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登る途中、お地蔵さまが現れる

山麓・南宮神社の辺りから登り始めると、ほどなくして、「穴弘法あなこうぼう」という場所に出くわします。私は知識なく、この城跡にきたので、「?!」という感じでした

岩をくり抜いた小さな窟屋いわやに、仏様が何体も何体も並んでいます(全部で104体あるそう)。

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岩の下に作られたお堂と仏様

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お堂の中を覗いてみます

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お堂内部(闇が怖い‥)

くりぬかれた岩の中には、やはり仏様。
これらは一体‥ですが、下の説明板でだいたいのことを知ることができます。

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「穴弘法」の説明板

 104体仏が置かれたのは、明治に入ってからなのか?さらに遡れる古いものなのか?ちょっと調べた位では分りませんでした。

それより、気になるのは仏様が安置されている窟屋の方で、「鎌倉時代のやぐらに類似古くは高山城の武将の墳墓だったのでは?」という説明文通り、そっくりだ‥と思いました。

 この「やぐら」というものは、鎌倉に行くと見られるもので、鎌倉の町を歩くと、切通しなどやぐらのある坂を目にして少し驚くことがあります。「やぐら」は、昔の鎌倉の郊外に作られたお墓群で、鎌倉は平地が少なかったこと。鎌倉石かまくらいしという掘りやすい砂岩があったことなどから、古都・鎌倉を取り囲むように「やぐら」が作られました。

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浄智寺のやぐら(鎌倉市)  Ktmchi , CC 表示-継承 3.0, Link

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報国寺のやぐら(鎌倉市) Ktmchi, CC 表示-継承 3.0, Link

こうした「やぐら」は砂岩で出来ていることが多いので、水を通しやすく、植物が覆って影を作り、ジメジメと薄暗く不気味な雰囲気を作ります。しかも、お墓という来歴を考えるとより不気味さが増すものです。

やぐら内部の構造など詳細については、一番下に貼ったwikiの「やぐら」が詳しいので、興味のある方はぜひ。

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手を入れないともうすぐ自然に帰りそう
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慈光院の前

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慈光院

具合のいいことに、「穴弘法」のある地質は鎌倉と同じ砂岩なのだとか。

慈光院の前は、滝のように水が流れているところがあり、よりジメジメとしています。

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窟屋の内部

建造年は分かりませんが、これら窟屋はやはり、お墓として作られたのだろうと考えられます。1つは、「やぐら」に形態がそっくりなこと。2つは、「やぐらが作られていた時代とあうことです。

 

「やぐら」が作られたのは、本来は鎌倉の周辺で、時代は鎌倉中期*2~室町前半*3といいます。

一方、この山に最初の砦が築かれたのは1221年頃といい、眼下にある美濃土岐みのときの館を守る城塞として機能していました。*4

この美濃土岐氏は、鎌倉~室町期に美濃国の領主・また美濃国守護として栄えた一族ですが、鎌倉幕府御家人であり、執権の娘を妻としたりと幕府との結びつきが強かったことを考えると、鎌倉の墓制がどういうわけか取り入れられた、と考えてもおかしくない気もします。*5

さて、このお地蔵様の隣に「慈光院」というお寺があるのですが、ボロッとしていて、こちらも手入れをしないと、自然に帰りそうな建物でした。

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慈光院 

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書かれていた説明

中を見てみると、暗くて散乱していて(コウモリのせい?)、覗くのをためらうほどで、無住だと荒れるのかな?と思いながら、お参りさせて頂きました。


「高山城跡」からの眺望

 

この「穴弘法」から上がっていくと、山頂は整備された公園となっていました。

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山頂付近の大手門

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土岐市の町並み

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ちょうど花桃の季節。ピンク色が綺麗でした

山の下とはうってかわった晴れ晴れとした光景が広がっています。眼下の土岐市の真ん中には土岐川が流れ、川に沿って町が拓けていった様子が分かり(土岐氏の館も見えたはず)、13世紀の風景と似た風景を見れているのではないかなとふと思ったり。

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お城のような物見櫓

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高山城の説明板

私はこの付近の散策だけで終えてしまいましたが、さらに遊歩道が続き、第2砦跡へ行けたり、春はしだれ梅、山つつじ、秋はもみじと花や樹木が楽しめる、手入れのされた、自然豊かな森となっています。

 

最後に

 

山頂から景色を見ようというだけだったのですが、期せずして鎌倉の「やぐら」そっくりな「穴弘法」を見ることができました。類似がたいへん不思議だったのですが、今回、それに言及した資料を見つけられずで、またの課題にしたいな、と考えています。

‥ということで、雰囲気不気味すぎでしっかり観ることができない自分の臆病さを反省しつつ、以上、『高山城址『穴弘法』の雰囲気が怖い。鎌倉の『やぐら』そっくりなじめじめとした不気味さ』でした!ではまた!

 

【「やぐらについて

ja.wikipedia.org

今回参考にしたwikipediaやぐら」のページが知識・紹介例ともに素晴らしかったです。たいへん長いものですが一気に読んでしまいました。いったい誰が書いたのか?と感動するほど。

butuyokuko.hatenablog.com

*1:名古屋市~中仙道大井宿間

*2:1222-87

*3:1394-1443

*4:城の最初の城主は高山氏といい、美濃土岐氏の一族

*5:こうした「やぐら」の全国への波及があるのか知らないので、また探してみたいなと考えています。