3月に歩いた多治見たじみの町について書いています。虎渓山永保寺こけいざんえいほじという円覚寺舎利殿(鎌倉市)にとてもよく似た国宝のお堂を見に行きました。
また、その帰りみち、多治見の土岐川ときがわで石探し(めのうや珪化木)をしています。
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JR多治見駅の北側に虎渓公園という、町を一望できる見晴らしの良い公園があります。まず、そこからスタートします。
①虎渓公園から、『永保寺』へ
少し高い場所にあるので、山に囲まれた多治見の町を一望できます。
下街道*1 を歩いてくると、春日井かすがいから峠を越えて、この多治見に入り、また一山越えて隣の土岐市ときしへと出ますが、昔のまちは、山で区切られた・山に囲われた空間というのがよく分る眺望で、意外と狭いような気もするものです。
そして、この公園から北側がお寺の境内となり、永保寺境内へと入ることができます。
この道を下っていくと‥、
②『虎渓山 永保寺』 国宝「観音堂」と名勝庭園
これは驚きです、ほれぼれするくらい立派(人が全然いないのも驚きですが‥)。水墨画の世界みたいで、ドキリとしました。
左側にある巨岩は梵鐘岩と名前がつけらています。印象的な立地を選んで、観音堂が建てられていることが分かります。
お堂は、鎌倉期の禅宗様。お庭は浄土式庭園と様式は違いますが、すっきりとした気持ちのいい庭園です。
無限橋の真ん中には腰掛け部分があり、そこからも眺めるお庭も素敵でした(会話もはずみそう)。
岩の上の小さなお堂が気になりますが、このお堂は「六角堂」といい、お堂の中には約1000体のお地蔵様が安置されているのだそうです。
心願成就のために、お地蔵さまを借り受けるということでした(残念ながら、中の拝観はできませんでしたが‥)。さて、橋を渡って、観音堂にお参りします。
素晴らしい反りです。しゅっとしてかっこいいです。そして、鎌倉のあの円覚寺舎利殿によく似ています。
うーん、ほんとに似てる(反りと立地では、永保寺が勝ってるかな‥?)。
2つのお堂とも国宝で、同時期ですが、知名度は天と地ほどの差があるという‥。
でも、多治見で鎌倉気分が味わえる!という不思議な満足感もあり、テンションが上がります。*2
さらに、永保寺ではもう1つ、国宝建築物を見ることができます。
そして、臥竜池から南へ行くと、土岐川がお寺の横を流れているのを見ることが出来ました。
この渓流沿いの景色の良さも、ここに寺が開創された理由の1つである、といいます。
土岐川は、この場所でググッと湾曲して、流れていきます(右上の写真のカーブがそれ)。これが渓流美となっているのですが、川がまっすぐ流れることが出来ないのは、ここの地質が堅いから。川が削ることが出来ないほどの超堅い地質ということです(途中に見た、チャートの褶曲、ゴロゴロした巨岩‥、あれはそういうことか、と気がつきました)。
さて、この土岐川では、めのうや珪化木(けいかぼく・木の化石)が採れるといいます。河原に降りてみたくてうろうろしますが、ちょうどよく降りれそうなところがありません。
『虎渓山永保寺』
【創建年】1313年 【宗派】臨済宗 【開創】(土岐氏の招きを受けた)夢窓疎石による(開山は元翁本元)【本尊】聖観世音菩薩
【拝観時間】随時(夜間の拝観はできない)。拝観料無料(建物内部の拝観はできないが、庭園など随時) 【住所】多治見市虎渓山町1-40
③土岐川で石拾い
‥ということで、永保寺で拾うのは諦めて、JR多治見駅の側に戻ります。
こうして石を拾いだして思うのは、河原で石を拾いたくても、川に降りられる場所ばかりではない、いい河原探しが結構だいじ、ということです。
上のように綺麗な珪化木が採れたらいいけど、土岐川で採れるのはもっと地味なもので、その名もずばり「土岐石」といいます。*3
緑色や茶色のものが多く、磨かずそのまま鑑賞するのが主流のようです。
磨いた小さなものを私も1つ持っていますが、暗い緑色に光る、地味なものです。
原石のイメージもつかめないまま、探すこと20分。うーん、‥無いかな?
でも、綺麗な石が多くて、土岐川での石探しは面白いです。
‥ということで、チャートばかりでした!
同じチャートでも、土岐川の方が派手で綺麗です(チャート自体好きなので、土岐石が見つからなくても、まぁいいかという感じ)。
おみやげ
駅の観光案内所やキヨスクで売られている「たじみあられ」。多治見のお土産に1つ買ってきました(200円)。昔ながらのさくさくとした軽いあられです。
最後に
‥ということで、多治見市を代表する古刹「永保寺」をお参りしてきました。
古色蒼然としつつもシャープな建築物、洗練されたお庭、こんなところが多治見にはあるんだな、とびっくりでした。
また、永保寺が開創された時代は、美濃守護・土岐氏の最盛期で、その土岐氏とつながりがあったこと。北朝方の光明天皇(1322-80)の勅願所となったことなどが、明治まで寺勢を保ち、国宝建造物が残った理由の1つなのかな?と思うのですが、もっと調べてみたら、もっと面白いことが分かるのかもしれません。
石拾いはまた次回頑張ることとし、以上、『国宝「観音堂」が、鎌倉の国宝のアレに似ていて驚いた』でした!以上です、ではまた!