『興味がない』は『愛情がない』ということなのかもしれない。人間関係はただ「愛」が全てなのかも。
「興味が無い」というフレーズ、ふつうによく使います。
「誰ソレに興味がない」「勉強に興味がない」「選挙に興味がない」「会社に興味がない」、というように。
私以外にも「興味がない」を使う人は多いのではないのでしょうか?
最近ふと思ったのは、「興味って一体なんだろう?」からの、
「興味がない」って、実は「愛情がない」にほぼ同じではないのか、ということでした。
①「興味が無い」は思考停止みたいでイヤだった
本当に若い頃、「興味ない」を多用していました。
「あれにも興味ないし。これにもそんなに興味ないし」、と。
実際にそうだったのかもしれませんが、ある時、はたっと思いあたりました。
「興味がないって、まるで「考えることすらしませんっ」て宣言してるみたい。「私、『思考停止』してます」って言ってるみたい‥」と。
それ以来、「興味ない」を多用することはなくなりました。
②『興味がない』は『愛情がない』ということなのかもしれない
「興味がない」について、それだけでは終わりませんでした。
会社や生活で出くわす嫌な人に対し、「あの人には興味ないから!」と心の中で憤慨して使っていました。
興味ないわよ!
Thomas WolterによるPixabayからの画像
相手も同じように思っていたかもしれませんが‥。
そうして、自分が相手から「興味がない」と言われるのを想像して、やっとはたっと思い当たりました。
「あいつに興味がない」は、「あいつに愛情を感じない」に同じではなかったのかと…。
「興味がない」まではまだ「ははぁ」なのですが、「愛情を感じない」とまではっきり言われるとさすがにこたえます。
(愛情も親しみも湧かない人間で、ほぼ嫌いっていうことですもんね‥)
「興味がない」はとてもあいまい便利な言葉ですが、
実際は、「嫌い」に近い「感情」を含む言葉でもあったか、と。
そうすると以前、自分が書いたブログ、
などは、「人に対する愛情がない」「なかった」と公言しているようなもので、自分にとっては胸が痛い発見でした。
『愛の反対は憎しみではない。無関心だ。』(マザー・テレサ)
というこの言葉、目にされた方も多いと思いますが、
私の「興味(愛情)がない」は、この「無関心」に近いとても冷たいものである気がします(相手の存在を抹殺するような)。
…それ以降、『愛』ってなんだろう?と、その意味を調べるようになりました。
「哲学」での「愛」の意味は?「キリスト教」では?「仏教」では?‥というように。
はっきりとした答えを見つけれてはいないのですが、
シンプルに、「相手のことをまるで自分のことのように大切に思う気持ち」でいいのかな?と考えています。
最後に 『ただ愛こそが全てなのかもしれない』(自分がこんなことを書くとは思わなかったけど…)
ただ「愛情」だけが、人間関係を円滑にするのかもしれません。
そりゃね、相手だってバカじゃないから、言動の端々はしばしから「愛」の無さを感じてイヤになったりするのでしょうね。
こっちだって、相手の「愛」を感じられないと、これが相手への「憎しみ」に変わったりします。
相手の冷たい態度、疎外‥。
相手からの「愛」の無さが、普段の生活の「不快」の主な原因であった気がします。
すると、「嫌われてる」「憎まれている」位はまだましなのか?と。
(こちらからの「愛情」が足りてないので、相手も怒っているわけで‥。)
もしかすると、相手を抹殺する冷たい「無関心」よりは、まだましな状態であるのかもしれません。
ちょうど時期はクリスマスです。 何も持たない私は、せめて「愛情」を唯一の贈り物にするのがいいのかもしれないな、と思ったり。
サンタは「愛情」をプレゼントに変えて贈る
Jill WellingtonによるPixabayからの画像
相手に対する「愛」。 自分に対する「愛」。物に対する「愛」。対象は何だっていい。
「愛」のある素敵なクリスマスになりますように。
以上、『「興味がない」は「愛情がない」ということなのかもしれない』でした。ではまた!