物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

『先祖のルーツを探す』【自称 森蘭丸の一族】【蓮台城跡】(岐阜県笠松町)

ご先祖様が何をしていたのか?どこにいたのか?自分の『先祖』について興味のある人は多いのではないのでしょうか?私は長年、この件について放ったらかしにしていました(興味も無かった)。しかし、年々聞ける人が居なくなり、このうえ両親が亡くなれば、さらに追うのは困難になるでしょう。限界ぎりぎりの今、自身の『先祖』を追いました。 

先祖の追い方

 

①「聞けるうちに親族に聞いておく」

 

『ご先祖』のことをチラッと聞くことありますね。一番よく知っているだろう祖父母や両親、親類、本家などに話を聞き、忘れないように書きとめておくのがいいと思います。(私は、祖父母に先祖を聞く機会を永遠に失ってしまったことを残念に思っています)

 

②『戸籍』をさかのぼる

 

 「遡れるだけ、遡りたい」という意図を役所に伝えるとその分を出してくれます。どっかで「これ以上出ない」と打ち止めになります。

(本籍を移してたりすると、その前にいた市区町村に請求していくことになり、移っている場合は少し手間がかかります。父方は、母方と違い5ケ所に請求することになり、少し大変でした。) ちなみに、父方母方とも明治の途中まで遡ることができました。

 

③現地へ行く。聞き込みをする。

菩提寺があればお墓や『過去帳』から探る。

 

 

母方の『森氏』を追う

 

今回は、母方の「森氏」を追います。

母いわく森蘭丸の一族」と言っていたので、「またまた~」「森なんて名字いくらでもいるでしょ」と本気にしていませんでした。

「何か伝わっているものは?」と聞くと、「明治24年の濃尾地震で全て無くなったらしい。曽祖母1人残して、生き残りは誰もいない」とのことでした。

‥ということで証拠のない『自称 森蘭丸の一族』なのですが、でも母があまり真剣に言うのもあり、『謄本』を遡って取り寄せてみました。

 

【『謄本』を見て分ったこと】

 

①「曽祖母」までしか追えない(それ以前のことは「曽祖母」の両親の名前程度。)

 

②「曽祖母」は明治の初め、愛知県一宮市萩原で生まれている。*1

 また近くの岐阜県笠松町田代たしろには森蘭丸の祖父の城があり、代々居住をしていました。(距離が近いため、同族であった可能性はありそうですが‥。)

 

明治19年 「曽祖母」は戸主を相続。

 震災で家族が全員亡くなったから、戸主を相続したのかと思いきや、震災の5年も前に戸主になっています。11歳の女児の戸主なんて奇妙ですね。

戸籍にも「願済ねがいずみ相続ス」と、「ワケあり」の書き方をしています。でも、もうこれ以上「戸籍」から探ることはできません。もうこの辺の事情は永遠に不明です。

 

明治以前にもご先祖が住んだろう「萩原町」を通り、実際に笠松町田代の「城跡」へ行ってみることにします。

 

森氏の居城「蓮台城」跡(岐阜県羽島郡笠松町田代)

 

一宮市萩原町」の以前の住所は、現在は田んぼ。住宅が少し、といった感じの場所でした。震災当時、この隣の地区の起おこしも家屋は全壊という話だったので、この辺りも恐らく同じような惨状だったのでしょう。

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さて、お城の跡は「森越後守居城跡」と呼ばれています。でも、城跡の碑などはなく、探すのに大変苦労しました。*2 地元の人に「多分ここ」と言われても「えっ?」という感じ(いまだに半信半疑)。場所は上の地図の「白髭神社」の側になります。

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城跡のふきん

城の何かが残っているということは無い様子でした。でも、お向かいのお家に「森」と書いてあるではないですか!地元の方に聞くと「ここは森姓多いですよ」との嬉しい答え(この辺りに住む森さんこそ、「森蘭丸」の血に近そうな気がします)。

 

さて、「笠松町歴史未来館」のパンフによれば、

① 「田代」は以前は蓮台れんだいという地名で、「蓮台城」という城があった。

② 城主「森家」はもともとは土岐氏に仕え、暦応年間(1338-1341)から200年、ここに居館を構えていた。

③(森氏の系図によれば)森泰可(蘭丸の祖父)が住んでいた(1501-20年頃)。

とあります。

また、蓮台は「天正14年(1586年)の木曽川洪水により流れが変わるまでは尾州に属し、尾張美濃国境に在り両国の鬩せめぎ合いの地であった。」

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 引用:『戦国の雄 森一族と居城美濃金山城の軌跡』金山歴史同好会2016

とありました。(ここ尾張領だったのか?と以前ブログに書いたこととの整合性は大丈夫か?とドキリとしましたが‥)

 

 「森一族」で有名な3人

 

ここで、「美濃森氏」で有名な3人を紹介しようと思います。

①『森可成よしなり』(1523-1570)

 

森可成」は信長より11歳年上。最初期の戦い(桶狭間の戦いなど)から共に戦い、信長の信頼が厚かった、といわれています。中美濃攻略のために奪取したのが美濃の「金山城かなやまじょう」(岐阜県可児市)で、蓮台城から「金山城」に居を移しています。

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美濃金山城』(可児市) 破却の跡が残る石垣

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城跡から望む美濃の山々

さらに転戦を重ね、最後は京都と岐阜のラインをつなぐ重要拠点「宇佐山うさやま」(滋賀県大津市)を任されます。大軍の浅井・朝倉連合軍を相手に城を死守するため、自らは撃って出、討ち死にをしています(このおかげもあり、城自体は落城を免れています。漫画『信長のシェフ』にはとても恰好よく描かれていて、こんな人いたら素敵なのですが‥)。

この「可成」の死を信長は大変嘆いたと言われています。その子「蘭丸」(正しくは「森乱」か)の登用は、この旧臣への哀惜もあったことでしょう。

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可成が討ち死にした近江坂本「比叡の辻」(滋賀県大津市

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可成のお墓のある「聖衆来迎しょうじゅらいごう寺」(大津市

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森可成」のお墓

②『森長可ながよし(1558-1584)

 

「蓮台城」で可成の次男として生まれています(長男は戦死)。

1570年、父の戦死により、13歳で家督を相続。織田信忠配下の武将として長篠の戦い、武田攻め、越後侵攻に活躍。「本能寺の変」後は金山城に戻り、東美濃の鎮圧に努め、1584年小牧・長久手の戦いで、岳父の池田恒興とともに秀吉陣営につきますが討ち死をしています(26)。勇猛果敢な逸話が多く、「鬼武蔵おにむさしという異名が残されています。

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戦死の地「武蔵塚」(愛知県長久手市

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森一族が眠る「可成寺かじょうじ」(岐阜県可児市

長可によって創建され、自身の墓もある。

③『森蘭丸』(1565-1582)

 

「可成」の三男として「蓮台城」に生まれます(金山城で生まれたという話も)。

12歳で信長の小姓となり、下2人の弟(坊丸、力丸)ともに信長の寵愛を受けます。

また短い間ですが美濃岩村城の城主ともなっています。そして本能寺の変では、下2人の弟ともに討ち死を遂げます(17)。可成寺境内には、2人の弟とともにお墓が建てられ、供養されています。

こうして、森家の男児はほぼ討ち死したのですが、末弟「忠政」(1570-1634)のみが戦国時代を生き残り、最後は美作・津山藩藩主となっています。

(実は、末弟「忠政」も「信長」の小姓として仕えていたのですが、粗暴を咎められ、幼少を理由に親元に戻されています。これが無ければ、兄弟全員が戦死していたわけで‥)

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森蘭丸の兜」の展示(可児市戦国山城ミュージアム

 

最後に

 

歴史上有名な人物とつながりがあったら嬉しいな、と誰しもが思うと思います。

でも逸話が残るだけで、会ったことも話したこともない昔の人の話。良い噂話を聞いてたけど、実際会ってみたらまるで合わない人間だった、ということも実際にあることで、歴史上の人物に憧れすぎは禁物かな、と個人的には思っています。

 

そして、永遠に「謎」のままであるからこそ、飽き性の自分がこんなにも長い間、歴史に興味を持ち続けていられるのだろうとも思っています。

(もし、歴史上の人物を目の当たりにすることができ、「謎」が分かってしまえば、飽き性の私はとっくに興味を失っているような気がします)

 

また、最初に書いた自身の「先祖」に興味のある方は、是非家族や親せきに聞いておくことをおすすめします(やがては聞ける人がいなくなってしまいますから‥)。

(最近、義理の父が義理父方の家の「家系図」と「親戚の住所一覧」を作成し、配ってくれたのですが、こうしたことをしてくれる人が親戚にいれば助かるのですが、なかなかそうはいかないと思います)

 

本当に最後に、結局のところ『自称 森蘭丸の一族』のままでした!

(何の解決もないままにお付き合い頂いて、本当に申し訳ありません!

将来、日本でもアメリカのようにDNA検査で「自身のルーツを調べること」ができるようになるのかな?と想像をしているのですが‥。

全てが判明してしまうと「都合の悪い真実」が出てきて問題多発でしょうから、日本ではだいぶとさきの話になりそうな気もします。*3

DNAの解析で「森蘭丸と繋がりなかったなぁ‥」とか、「あれ、逆にこの人と繋がりがあるのかぁ」と解ったら楽しそうだ、と思いながら…、

 以上、『先祖のルーツを探す』【自称 森蘭丸の一族】でした!ではまた!

*1:この「萩原」という場所には「森姓」が多いことを後で地元の方に教えて頂きました。

*2:笠松ナビ散策コース⑤『輪中と森蘭丸の里』笠松町歴史未来館リーフレットから

*3:奴隷貿易の歴史、DNA研究で明らかに』2020年7月の記事。『DNA検査の「自分探し」に米国熱狂、人種差別助長への警鐘も』2018年10月の記事。