「珍しいお墓や変った埋葬方法について考える【前編】」(①モヨロ貝塚、②舟葬、③盤状集骨墓)
お墓や埋葬について関心をもっています。
主に縄文時代~江戸時代の古いお墓ですが、お墓からは分かることは多いため、(勇気を出して)できる限り、見に行くようにしています。
今回は興味深いお墓、埋葬についてを見ていきたいと思います。
お墓に興味がある理由
それは読み取れる情報が多いからで、遺体の埋葬状態・向き、埋葬品には故人の想いと埋葬した人の想いの両方が詰まっています。
墓石に彫られた銘文からは、年代・人名・状況も分かり、墓石に使う石の大きさ・技術からは身分も推察されます。
墓石が西向きであれば西方浄土に向かって建てられているのかなとか、海や山や平地が少ない集落であれば、山沿い崖などに墓地を作っているので、その場所の生活ぶりも想像できます。
また石や骨は残りやすく、恐怖心や信仰心、金目のものではない等の理由で、散逸しにくいというのも大きな魅力です。
①「モヨロ貝塚」(1300年前)(網走市)
写真のように、頭に土器をかぶせた不思議な埋葬方法です。被せた理由は分かりません。
出てこないようにしているのか、頭を守っているのか。
下の写真のように、さらに配石という石をのせたバージョンもあります。
遺体は屈葬で*1、頭を北西に向けていますが、この向きにもおそらく意味があったのでしょう。
これらのお墓は集落のそばに作られました。モヨロ貝塚館の屋外展示では実際の埋葬の様子を見ることができます。
なぜ、頭から甕を被せたのか?それはほんとにモヨロ人を捕まえて聞きたいくらいで。
またモヨロとは関係ありませんが、戦国時代~江戸時代には鍋かぶり葬という「鍋」「すり鉢」を頭に被せる埋葬法がありました。
鍋かぶり葬の方は、疫病などで亡くなった死者に被せたという伝承があり、2012年、それを裏付けるように、江戸時代の鍋かぶり葬の人骨からハンセン病のDNAが出たと話題になりました。*2
甕にしろ鍋にしろ 何かしらを被せるのは、やはり生きている側が怖れから被せるのかなという気がしています。
モヨロの埋葬について知りたい方は、下記のサイトが詳細です。
◯熊木敏朗『オホーツク人と死』(2オホーツク氷民文化)
②「舟葬」(弥生時代中期・2000年前)(名古屋市北区 ・平手町遺跡)
珍しい「舟葬しゅうそう」のお墓です。
舟からの転用と思いきや、実際の船には用いられないヒノキ製なのだそうです(最初から「棺」として作成された?)。
こんな立派なお墓を作ってもらえるということはなかなかの有力者だったのでしょう。そして、船の軸先は北西方向に、足を北西に向ける形で葬られています。
あの世は北西にあったのでしょうか?
日本では死者を天界に運ぶ舟・船と鳥、死者の霊魂を舟・船に乗せ、鳥に案内させて太陽のもと来世に導くという昇天思想がある。引用:wikipedia「船葬墓」
このwikiの船、鳥、あの世、太陽の沈む方向というイメージは古代エジプト人の考え方とそっくり(?)で、奇妙な相似が興味深いです。
③「盤状集骨墓」(縄文時代晩期)(三河湾沿岸)
これも珍しい埋葬の仕方で、昨年初めて見て驚きました。
この盤状集骨墓ばんじょうしゅうこつぼは三河湾沿岸に見られる地域的な形態らしく、一度埋葬した骨を掘り起こし、再度埋葬する再葬というやり方をしています。
しかも一体ではなく、数体分(世帯や家族分なのかもしれません)。長い骨は外側に、それ以外は内側にセットし、頭蓋骨は割って角に配置しているのだとか。
なぜ、頭蓋骨を隅にセットしたのか?これにもきっと意味合いがあるのでしょう。
縄文人に聞かないともう理由は分かりませんが。先祖崇拝や(死後の)通過儀礼とも、墓域の省スペース化という理由もあったかもしれません。*3
縄文時代~弥生時代の「再葬」や「集骨墓」については以下の論文が詳しいです。
ということで、興味深いお墓・埋葬を見てきました。後編に続きます!
後編ではもう少し時代が下ります。