「珍しいお墓や変った埋葬方法について考える【後編】」(④藤ノ木古墳、⑤豊臣秀吉の墓、⑥尾張藩祖の廟、⑦大阪 一心寺のお骨仏)
前回ブログからの続きです。興味のある珍しいお墓、変わった埋葬法を見ていきます。
後編では、「藤ノ木古墳」「豊臣秀吉の墓」「尾張藩祖のお墓・源敬公廟」「大阪・一心寺のお骨仏」の4つを取り上げました。
④「藤ノ木古墳」(奈良県)
未盗掘の石室や石棺から豪華な副葬品や遺体が発見され、話題になったの藤ノ木古墳(6C後半)ですが、異様に感じるのは同じ棺に2人の男性が埋葬されていることです。
この2人は有力皇族の穴穂部皇子あなほべのみこ、宅部皇子やかべのみこといわれてます。*1
こうした合葬墓にはふつう、配偶者・家族が合葬されるイメージですが、この2人の皇子はともに物部派の親しい間柄であったといいます。
『日本書記』には、穴穂部皇子が殺害された翌日に宅部皇子が殺されたとあり、亡くなった日が近いことが関係しているのか。
しかし、合葬墓でもふつうは1人1棺で、権力者が「2人1棺」というのはかなり異様な気がします。
正面を向く北側の穴穂部皇子(?)に対し、寄り添うように南側に宅部皇子(?)が横を向いて配置されますが、
棺の横幅は130cmで、棺の厚み分を考えるともうキュウキュウのためでしょうか?
2遺体とも10数枚の綿・絹布で巻かれており、厚みもあったよう。また、埋葬前に消化器官など内臓が抜かれていた可能性が指摘されていて、そちらも興味深いです。
異常な死に対しても「殯もがり」は行われたのか?とか、内臓を取り出したのは腐敗を遅らせるためなのだろうか?とか興味の尽きない墳墓です。
殯とは、日本の古代に行われていた葬送儀礼。 死者を埋葬するまでの長い期間、遺体を納棺して仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。 その柩を安置する場所をも指すことがある。 引用:wikipedia「殯」
⑤「秀吉の遺体」(豊国廟・京都市)
豊臣秀吉の墓が一体どこにあるのか、イメージは薄いのではないでしょうか?
秀吉(1537-1598)のお墓は、京都市東山区の阿弥陀ケ峰にあります。
明治30年(1897)、秀吉を祀る「豊国廟」の整備が行われた際、偶然、秀吉の遺体が発見されます。
粗末な甕(高さ1mほど)の中で西の方角を向き、足を組み、掌を組んだ形でミイラ化していたといわれ、
その際の不手際で、秀吉の遺体はボロボロに崩れ、それを拾い集めて改葬をしたといいます。
実を言うと、秀吉の墓はそれまで無事だったわけではなく、元禄元年(1688)ころ盗掘に遭い、副葬品などが盗まれています。
その際、もともと木棺に入っていた遺体が甕に移し替えられたのではないか?ということが推測されています。
こうした発見時の様子は、①湯本文彦「豊太閤改葬始末」(明治39年発表)に記載されているそうですが、今回読むことができず、②③のサイトが詳細に紹介をされていてたいへん参考になりました。
発見時の様子がわかるサイト
① 湯本文彦『豊太閤改葬始末』「史学雑誌17-1」1909
②『豊国廟に建設された五輪塔は、石段の上にある高さ10mの巨大石造物』(「京都発!ふらっとトラベル研究所」)
③『【発掘されていた秀吉の遺体!】太閤の歯、秀頼の手形を伝える宝物館』(歴人マガジン)
⑥「源敬公廟」(定光寺・愛知県瀬戸市)
こちらは、愛知県瀬戸市にある定光寺じょうこうじで、尾張藩祖・徳川義直よしなお(1601-1650)を祀る儒教様式の廟があることでも有名なお寺です。
この’源敬公廟’げんけいこうびょうで注目するのは、向かって右手に9基並ぶ殉葬墓です。
1650年(慶安3)、義直が亡くなると5名が殉死をし、その陪臣4名が後を追っています。*2
右側に殉葬墓が配置されたのは、左上右下さじょううげ*3などの理由でもあるのかと思い、お寺の方にも聞いてみたのですが、
「たまたまそういう立地だったのではないか?反対側は場所が取れなかったのではないか?」とのことでした。*4
源敬公廟は整然とした秩序の内に、お殿様と大切な家臣たちを静かに眠らせているような、とても印象深い墓域となっています。
⑦「お骨仏」(一心寺・大阪市 )
一心寺いっしんじさん(天王寺区)は、遺骨で作られたお骨仏おこつぼとけで有名なお寺で、10年間に納骨されたお骨から1体の阿弥陀仏を作っています。
お骨佛堂には、そうして作られた8体の阿弥陀仏が並びますが(通算14体。6体は戦災で焼失)、あまりにたくさんの遺骨の量を想像して絶句し、さすがに写真に撮れませんでした。
明治20年に始まった最初の1体目以降、約200万人のお骨が仏様になっているこの一心寺の様子を見た時はたいへん驚いたのですが、*5
ひっきりなしにお参りされ、焼香されている阿弥陀様を見て、誰も来ない普通のお墓よりもいいのかもしれない、大阪の喧騒の中にあって亡くなった人も安心するかも、と感じたり。
最後に
ということで、興味のあるお墓や埋葬について見てきました。
お墓をみる際は、「なぜこの形なのか?」(必ず意図や意味があるのではないか?)を考えながら、お墓めぐりをしています。
また常に変化がある中で、お墓だけはタイムカプセルのように時が止まっているのも何ともいえない点です。
最近ネットで「恐怖と興味は紙一重」という書き込みをみて、なるほど、その通り!と感心したのですが、
お墓や死者の世界に恐怖を感じながらも、理由を知りたい好奇心の方が勝り、続けてるわけです。
また興味深いお墓・埋葬などをブログであげたいなと考えながら、以上、『珍しいお墓や変った埋葬方法について考える』でした!ではまた!