物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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【岩倉城跡】と【山内一豊出生地(神明生田明神)】(愛知県岩倉市)

岩倉市から江南市までの旧道・岩倉街道を歩いた途中、立ち寄った場所を紹介したいと思います。その岩倉市には何があるのか?ですが、一番有名なのは、春の観光名所・五条川の桜、鯉のぼりです。そして、今回は、戦国時代、織田家内の抗争の舞台となった岩倉城跡や戦国武将・山内一豊の出生地などを紹介したいと思います。

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 岩倉市を知らない方もいると思いますが、名古屋市の北に位置する、ベッドタウン的なイメージもある場所です。

【名所①】岩倉城跡

 

五条川沿いの桜を見たいところですがまだ咲いてないので、まず城跡を訪れました。

岩倉織田家織田信長の親戚)のお城の跡です。

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岩倉城跡

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岩倉城跡

せまい敷地に石碑、看板、小さなお堂があって、本当に「跡」という感じでした。城跡のある場所は少し小高くなっていて、標高約10mの台地上にあった平城ということでした。

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昔の「岩倉城」の姿

当時は、五条川の水を入れた二重堀のお城だったようです。*1

あまり遺構が残っている感じではありませんでしたが、今も横を流れる五条川が昔の姿を少し想像させてくれます。

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「岩倉」の城下町の説明

岩倉城主の「岩倉織田家」は、清州の織田家(信長側)と抗争をしていて、1559年、信長の攻撃により岩倉城は落城します(「桶狭間の戦い(1560年)」の1年前の話)。

これで信長は、尾張犬山などを除くをほぼ統一することになりました。完全統一まではあと6年、けっこうかかったのです。

 岩倉城跡の情報

 【場所】岩倉市下本町城址122

【築城年】1479年 【城主】岩倉織田家

【規模】東西約104m、南北169m。南にある小田井城と対峙していたそうです。

 

【名所②】山内一豊出生地

 

名鉄犬山線岩倉駅から数分のところに神明生田神社という神社があり、そこが(後の土佐藩主)山内一豊(1545-1605)*2の出生地といわれます。

木曽川駅の「黒田城跡」にも出生地があり、てっきり出生地は「黒田城」かと思っていましたが、こっちが本物?

神社の敷地には、石碑や解説版があり、山内一豊をしのぶことができます。

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境内の「三つ柏紋」の碑

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山内一豊公誕生地」の碑

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説明板

また、神社境内には桜がたくさん植えてあり、桜見のできる場所となっていました。神社の東側は五条川で、ここから川の散策(春なら、川沿いを桜見)に出かけることもできます。

 

さいごに

 

今回は、「岩倉街道*3という街道を歩きながら、途中寄り道した2ケ所を取り上げました。‥ということで、『岩倉城跡と山内一豊出生地』でした!以上です、ではまた!

*1:堀幅20m。深さ3m

*2:父は、岩倉織田家重臣で、1559年の岩倉城落城の際、討ち死?(自決?)。

*3:枇杷島橋ー名古屋市西区北名古屋市岩倉市江南市ー(犬山市?)