物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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『猿喰(さるばみ)城跡』へ登ってきました【戦国の山城】【織田信長の『東美濃攻略』1565年】

岐阜県坂祝町さかほぎちょうの山城の跡にでかけてきました。小高い山の上(265m)に建てられた『猿喰さるばみ城』という珍しい名前をもつ山城です。この『猿喰城』名前の由来や歴史、頂上の展望などを見ていきたいと思います。

 

城の「名前」と「地名」の由来

 

岐阜県坂祝町の『猿喰城』ですが‥、町の名前も城の名前も読み方が難しいですね。

坂祝町さかほぎちょう、『猿喰城』さるばみじょうと読むのだそうです。

(『猿喰城』を調べるうち、面白いことに北九州市にも同じ『猿喰さるはみ城』があることがわかりました。同じ名前のついた2つの城。調べたら、もっと発見がありそうですが‥)

今回は、岐阜の『猿喰城』をみていきます。

 「猿」は当て字で、「狭い。崩れさる。すべりやすい」といった地形からきているのだそうです。「ばみ」には、「浸食されやすい。のみこむ」といった意味があります。

どうも、足場の悪い、すべりやすい場所につけた地名のようです。*1

そして、地名の『坂祝さかほぎ』ですが、

『言祝・寿ことほぐ』『祝・寿ぐ』の『ほぐ』が入った「美しい地名だなぁ」とずっと思っていました。

今回調べてみると「坂祝」は当て字で、以前は「坂歩危」険しい山坂、くずれやすい場所が多い、歩くに危ない場所だったことからついた地名、ということでした。

そうだったんですね‥(これは想像と違う)。字の美しいイメージで考えてました。

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坂祝駅」前の看板

さて、駅前の看板を見ると、「クルマの町」とアピールされていました。

(「自動車工場」があるせいか、美濃加茂市可児市坂祝町はたしかに外国の方が多かったりします)

めざす『猿喰城跡』は、「坂祝駅前」からも見えました。

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あれかぁ。やけにポツンとしているなぁ

結構山の上にみえますが、標高は265mでそう高くはないはずです。

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「登山口」入り口

「登山口」近くに「猿喰城展望台駐車場」が2ケ所あり、どちらもほぼ満車?という状態でした。まさかの大人気の山?)とドキドキしながら、とりあえず登りはじめました。

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「登山道」はきれいに整備されていて登りやすいです

山道を登ること30分位。特に難所もなく、頂上が近づいてきたのか明るくなってきました。上の方はつつじが群生していて、いい香りがただよっています。

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もうすこしで頂上

狭い平たんな土地に、2階建の「展望台」が建っていて、そこからの眺めは絶景でした(「展望台」自体の写真を撮るのを忘れてしまいましたが‥)

あんまりいい眺めだったので、5分くらいぼんやりしていました。

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【東】美濃太田・可児方面

眼下の木曽川は、山の合間を流れていきます。

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【西】犬山方面

山裾には中山道が走っています。対岸の犬山市栗栖くりすへの「渡し」もこの辺りでしょうか。

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眺望からも分かるように、木曽川」と「中山道」が通るこの狭隘な場所を抑えること、「砦」を建てることは、軍事的に重要だったはずです。『猿喰城』のある勝山へは、今の「登山道」は整備されていてあっさりと登れましたが、もともと急峻な天然の要害だったのだそうです。

また、「美濃」と「尾張」の国境でもあり、織田方の『犬山城』と対峙するかたちで、この場所は重要度大だった、ということが想像できます。

 

『猿喰城』について

 

1400年頃に建てられ、後年、「多治見修理しゅり」が「城」を奪取したといいます。

1565年、東美濃攻略」を開始した織田信長によって、斎藤方の『猿喰城』は攻撃を受けます。

「猿喰城の攻防」で、織田軍の丹羽長秀、河尻秀隆らによって城は落城します。多治見修理は逃げおち、『猿喰城』には河尻秀隆が城主として入ります。

1575年には、河尻が『岩村城』へと移り、『猿喰城』は廃城となりました。

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昔は、木曽川などの川沿いに「城」「砦」を築いていき、「狼煙」を上げて情報のやり取りを行っていたようです。けっこう近い場所に「砦」が点在するイメージです

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「展望台」そばの看板

「看板」をみると、さらに「登山道」が奥に続くみたいです。(いかにもトレッキングな人が多かったのはそういうことか‥)

この日、登山客数十人と会ったでしょうか。外人さん一行もいて少し驚きました。

結局、「城跡の碑」などは見つけることはできませんでした(そもそも設置されていない?)。1816年頃には「天守台、櫓台、石垣の遺構が残っていた」と、『美濃雑事記』という本には記されているのだそうですが‥。

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下りてきました。あの山の上にいたのか‥

美濃太田宿』

 

坂祝駅」の隣の駅が美濃太田」駅です。かってここは、中山道51番目の宿場『美濃太田宿』があった場所です。ちょっと下車して散策してみました。

誰1人歩いていなくて、山の上よりよっぽどすいています(笑)

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中山道美濃太田宿』

立派な脇本陣がかっこいいのですが、まだ休館中でした(新型コロナのため)。

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脇本陣 林家」

脇本陣の裏手(南側)には「木曽川」が流れ、いい天気だったので、散歩する人、サイクリングする人とほどよく人が出ていました。

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中山道3大難所の1つ「太田の渡し」跡の説明

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「太田の渡し」跡(対岸に階段がみえますね)

そうして、「木曽川」の豊かな流れと山々にほっこりしました。

『猿喰城跡』に登ってみて、現在は「手頃な登山が楽しめる山」として地元の人にたいへん愛されていることが分かりました。その素晴らしい眺望の良さが人気の理由の1つなのは間違いないでしょう!

‥ということで、 以上、『猿喰城へ登ってきました!』でした。ではまた!

*1:『猿喰』『蛇喰じゃばみ』(石川県輪島市)。『うわばみ』(=蛇。「まるのみにする様子」からの名?)の下につく『はみ、はむ』は語源を同じくする言葉と思われます。