物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

猿喰(さるばみ)城へ登ってきました【戦国の山城】

まちにまった緊急事態宣言の解除。

岐阜の城跡にでかけてきました。

小高い山の上にある山城跡で、運動不足解消にももってこい。

知る人ぞ知るマイナーな山城は、人もそうはいないはず‥と考えていました。

 

2つの難読地名

 

でかけたところは、岐阜県坂祝町の『猿喰城』という場所です。

両方とも難読ですが、さかほぎちょうのさるばみ城と読むのですね。

「猿喰城」の名の由来

 

「猿喰城」を検索していて、

面白いことに北九州市にも同じ『猿喰さるはみ城』があることがわかりました。

同じ名前のついた2つの城。調べたら、もっと発見がありそうですが、

今回は岐阜の「猿喰城」をみていきます。

 

「猿」は当て字で、「(地形が)狭い、崩れさる、すべりやすい」といった地形からきているそうです。

「ばみ」は「浸食されやすい、のみこむ」、といった意味でしょうか。

足場の悪い、すべりやすい場所につけた地名のようです。

 

(『猿喰』、『蛇喰じゃばみ』(石川県輪島市)、『うわばみ』(=蛇。「まるのみにする様子」からの名?)の下につく『はみ、はむ』は、語源を同じくする言葉なのでしょう)

 坂祝町の名の由来

 

さかほぎ、さかほぎ、さかほぎ‥。

『言祝・寿ことほぐ』『祝・寿ぐ』の『ほぐ』が入った

「うつくしい地名だなぁ」とずっと思っていました。

今回調べてみると、「坂祝」は当て字で、以前は「坂歩危」

険しい山坂、くずれやすい場所が多い、歩くに危ない場所だったことから、ついた地名

ということでした。

あぁ、そうなのか!(字の美しいイメージで考えてました)

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坂祝駅前の看板

さて坂祝町は現在、車の町のようです。

美濃加茂市可児市坂祝町は外国の方がたしかに多いです。

(自動車工場があるせいかな?)

めざす「猿喰城跡」は(この看板のある)坂祝駅前からもみえました。

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あの頂上かぁ、やけにポツンとしているけど

(結構山の上にみえるなぁ) 標高は275mで、そう高くはないはずです。

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登山口入り口

登山口近くに、「猿喰城」展望台駐車場が2ケ所あり、どちらもほぼ満車?という状態でした。 

(まさかの大人気の山?)やな予感でドキドキするけど、とりあえず行ってみましょう!

 

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きれいに整備された登山道

整備された山道を登ること30分位。

特に難所もなく、頂上が近づいてきたのか明るくなってきました。

上の方はつつじが群生していて、いい香りがただよっています。

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もうすこしで頂上

頂上の展望台にやっとでました!

狭い平たんな土地に2階建ての展望台が建っていて、そこからの眺めはすばらしい絶景。(展望台の写真を撮るのを忘れてた!)

あんまりいいながめだったので、5分くらい景色にみとれていました。

 

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東は美濃太田・可児方面

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西側は犬山方面

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猿喰城のあたり、眼下の木曽川は山に挟まれて流れていきます。

犬山城と対峙するかたちで、この場所は軍事的に重要だったことが分かります。

ここに城を築いたのはなるほどの立地。

木曽川の)川運は昔は大動脈でした。川に沿って城を築いていき、

のろしをあげて情報のやり取りを行っていたようです。

(けっこう近い距離にお互いの城がある感じです)

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狭い場所を流れる木曽川がみえます

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展望台そばの看板

看板をみると、さらに登山道が奥に続くみたいです。

いかにもトレッキングな人が多かったのはそういうことか。

この日、登山客数十人と会ったでしょうか(外人さん一行もいて少し驚きました)。

手近な登りやすい山として人気なのでしょう。

 

城跡は結局どこだったのかな?

 

展望台付近?城跡の碑もなかったし、ネットの情報もなかったし。

発掘調査もしていないのかな?肝心のことはまるで分かりませんでした。

「猿喰城」の情報

 

築城年:不明(1400年ころ?)

1565年:織田信長東美濃攻略を開始。猿喰城を攻撃し、落城する。

 (城主多治見氏は落ちのびる)

信長配下の河尻が城主となるが、岩村城へと移った為、1575年、廃城。

という来歴をみると、木曽川や国境(美濃・尾張)を監視する

「みはりの砦」という感じだったのでしょうか。

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下りてきました。あの山の上にいたのかぁ。
かえりみち、「美濃太田宿」に寄りました

 

坂祝駅の隣の駅が「美濃太田駅」です。

かってここは、中山道51番目の宿場「美濃太田宿」があった場所です。

ちょっと下車して散策してみました。

誰1人歩いていなくて、山の上よりすいています。

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中山道美濃太田宿」

立派な脇本陣がかっこいいのですが、まだ休館中でした。

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美濃太田宿】脇本陣林家

脇本陣の裏手(南側)には木曽川が流れ、いい天気だったので、

散歩する人、サイクリングする人がほどよくでていました。

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中山道3大難所の1つ「太田の渡し」跡

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太田の渡し跡(対岸に階段がみえますね)

人はいないし天気はいいし、ゆたかな木曽川の流れ、岐阜の美しい山々、

歴史ロマンと、すばらしい日でした‥。

 

あの世には何も持っていけないから、せめて思い出を持っていこう、と思うのです。

これからもどん欲に、素晴らしく思える瞬間を探し、こころがおどる景色を見に行きたいなと、思っています。

以上、『猿喰城』でした!