物欲子(ぶつよくこ)のブログ

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(おもに)物欲ぶつよくの記

『大正時代の町並み』【日本大正村】【明知城跡・御城印】【中馬街道 南北街道】【うかれ横丁】(岐阜県恵那市明智町)

今回は、岐阜県明智町あけちちょうについて書いています。明智町は、町自体が『大正村』として整備をされています。

大正時代にちなんだ施設や建物、街道の要衝として栄えた名残りなど、その昔を懐古しながら、町中を散策できる場所となっています。

また、町の東側には「明知城跡」明智光秀が生まれた伝承がある山城)があり、山城の遺構が多く残り、こちらも散策におすすめです。

butuyokuko.hatenablog.com

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 明智町岩村からさらに南、「明知鉄道」(恵那えな-明智間)の終着の駅です。「山の中に突然町が出現したぞっ!」という印象の町で、人口は約5500人です。

 

【名所①】『明知城跡』

 

「明知城」は、明智光秀が生まれた場所という伝承もありますが、光秀の誕生地は岐阜各地にあってはっきりしません。

大正村の街並みから遠くないところ、町の東側に明知城跡があります。整備されてて登りやすく、当時の遺構がよく残る、いい山城跡でした。

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明知城跡へ登る道
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途中に現れる山城の遺構

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大竪堀おおたてぼり 麓まで続き、迫力がある
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説明板なども整備されていてわかりやすい

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本丸からの眺望もよい

明智城」は、13世紀に築城され、戦国時代は、

標高530メートルの山に築かれた天険の地形を巧みに利用した平山城で、土盛砦として保塁数大小23箇所あり、今でもその様子が原形のまま残っているのが日本でも数少ないとされ、県の指定文化財(史跡)となっている。重要な砦には石垣を積み上げ、中に陣屋として実戦に備えた館5棟があった。

引用:wikipedia明智城

という様子だったようです。大正ロマン館」の裏手にあり、少し登るだけで、景色も楽しめ、城跡の遺構探しが楽しそうでしたが、この日は時間が無く、ササっとみています。

 

【名所②】『麒麟がくる 大河ドラマ館』(大正浪漫館)

 

町の中には、この大正浪漫館』のほか、『日本大正村資料館』『大正村役場』など、入館して大正時代を学べる施設がいくつがあります。

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           Asturio Cantabrio /Link

この時は、「大正浪漫館」の1階が大河ドラマ麒麟がくるのドラマ館なっていました会期は2021年1月まで)。新型コロナでなければ、光秀フィーバーでもっと賑わっていたのかもしれませんが、閉館前で、入館者は私一人だけでした。

展示内容は、ドラマで使った衣装や俳優さんのインタビュー上映などでした。

 『大正浪漫館』の情報

 

【住所】恵那市明智町1304-1 【営業時間】9-17時

【入館料】大正浪漫館、大正時代館、大正村資料館などの共通券などあり。

               参考:日本大正村営業案内

※ 2021年3/14~4/16まで、「大正浪漫館」は展示替えのため、休館中。

【名所③】交通の要衝として

 

明智町は現在は静かな町ですが、昔は南北街道」と「中馬ちゅうま街道」という2つの街道が交差する街道の要衝でした。

その交差路からは、それぞれの土地へ(北・木曽路、南・岡崎、東・長野、西・尾張)とつながり、明智町自体も栄えていました。

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南北街道と中馬街道の交差路

写真奥が「中馬街道」(長野方面へ)で、左右の道が「南北街道」(木曽ー岡崎間)です。今の感覚からすると、中馬街道が激細です。

正直、「えぇっ、ここが?」と思ってしまいました。 でも、大正時代くらいまでは、馬がメイン?でしょうか。1日の交通量はどれ位だったのかな?

織り物等の積み荷が、この交差点を通ってそれぞれの土地へと運ばれていったのだそうです。

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街道の説明板

すぐそばにうかれ横丁」という当時の繁華街の跡が残っていました。昔の繁盛した時代を想像する手助けをしてくれます。

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うかれ横丁
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商人や輸送業の人が遊んでいった名残

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浮かれ横丁にある喫茶店「アミー」 

大正10年創業の喫茶店!(名物のハヤシライスが気になりました。

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うかれ横丁の近く

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南北街道の急なカーブ
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整備された「大正路地」

生糸で栄えた時代

 

江戸時代から、街道筋として栄え、明治~大正にかけては生糸の産地として、かなりの景気の良さだったそうです。今ある建物も「生糸景気時代の名残りなのだとか。

 

明智町のお土産

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光秀の桔梗紋の陶製ピンバッジ

【値段】1100円 【カラー】水色・藍色の2種類

【買える場所】「大正浪漫館」や岩村町の恵那市観光協会岩村支部でも買うことができます。

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明智城跡の御城印(1枚300円)

【買える場所】大正村観光案内所

「大正時代」とシルバースタッフさん

 

ここ明智町も、岩村町と同じくシルバースタッフさんが多い町でした(入館施設など)。高齢化は岩村町と同様のようです。

大正村が開村した昭和58年は、大正生まれの人もまだ多かったろうから、「大正村」が懐かしい場所として、見に来てもらえたと思うのです。今、大正生まれの人って100歳近いはず。

今の人には大正時代、興味をもってもらえてるのでしょうか?『鬼滅の刃』人気で、大正時代に関心が集まってるという話も聞きましたが‥。

 

最後に(「岩村」と「明智」  距離の近い2つの町の個性)

 

旧来の『城下町 岩村』。大正時代をアピールする町『明智』。ごく近くにありながら、個性がある2つの町。

明智町の良いところは、自分の町の良さを上手にアピールして、ただの町にならなかったところでしょう。過疎化に危機感を持った町が、「大正村」としてアピールしていくことを決め、観光地化を進めたのだそうです(それまでは観光客がくる場所じゃなかったのだとか)。

「大正村村長」に、高峰三枝子さんや竹下景子さんら女優さんを招いたり、観光地としての整備(観光施設など)を進めたり。町を生き残らすためのその工夫が尊いなぁ、と感じた今回でした。

‥ということで、『大正時代の町並み 日本大正村でした!以上です、ではまた!