「砥鹿とが神社」【古代日本の「占い」の神紋を持つ神社】【太占と亀卜の違いとやり方】(愛知県豊川市)
前回ブログで、菟足うたり神社に行った際、近くの三河国一宮「砥鹿とが神社」にもお参りしてきました。
この砥鹿神社で気になったのが珍しいご神紋(「亀甲に卜象」ぼくしょう)のことでした。
今回は、「亀卜きぼく」(亀の甲らを焼き、ひび割れで吉凶を判断した古代の占い)を彷彿とさせる、この面白い紋について調べました。
「砥鹿神社」のおもしろいポイント
①神体山の「本宮山ほんぐうさん」と、山頂にある「荒羽々気あらはばき神社」*1
②創祀以来、「草鹿砥くさかど家」が代々の神主を務める。
③立地(神社が豊川の河岸段丘の縁へりにあり、高低差を感じる場所)
④ご神紋「亀甲に卜象ぼくしょう」
‥と、面白いポイントがある砥鹿神社ですが、今回は以前から気になっていた④についてみていきます。下は砥鹿神社のご神文です。
亀の甲羅にひび割れという、いかにも亀占なデザインが興味深いです。
しかし、私がひび割れと勘違いしていたのは、実は「町型まちかた」とよばれる焼き入れの目印になるものでした。*2
町方を墨で書き入れたり、甲羅に彫ったりして刻み、このラインに沿って火をあてていくもので、①下から上 ②中央から左 ③中央から右をくり返すなど、焼いていく順番にも各地で違いがあったそうです。
「太占」と「亀卜」の違い、やり方
歴史の授業の最初の方で習うあの「太占ふとまに」や「盟神探湯くかたち」ですが、実際に見ることはまずありません。
両方とも神意を問う古代日本の占いですが、実際にどのようなものであったのか?
「砥鹿神社」にお参りしたのを機に、「太占」と「亀卜」の違い、やり方などについて調べました。
『太占』「太ふと」は美称。*3
◯シカの肩甲骨をつかう
◯現在の神事ではほぼ加工せずだそうですが、昔はたんざく形(12-15cm×1cm程度)に成型することもあったそうです。
◯焼いた錐きりで刺したり(通り具合で占う)、直火にそのままくべたり、「指火木」というもので焼いたりする。
◯弥生時代に伝来。
『亀卜』
◯ウミガメの腹甲・背甲を数か月~数年乾燥させたもの(アカウミガメが多い)
◯甲ら両面を削り、なめらかにする(厚さは数㎜程度)
◯24cm×10cmの形や将棋の駒形に成型など。
◯「ははかの木」(桜の木の一種)で火をつける
◯中国の殷の時代に盛んで、日本には古墳時代後期に伝来。
なるほど、伝来した時期が違うわけです(太占のほうが古い)。
また、成型するのは火の通りをよくするためもあり、占い数が多い場合はその方が効率的だったでしょう。
「亀卜」のやりかた
「太占」と「亀卜」は現在でも、神社や宮中で神事として行われています。
東日本の数社で「太占」。宮中神事などで「亀卜」が行われていますが、これら神事や文献、出土品を見ていくと、そのやり方には違いがあるようです。
やり方の例
①カットして磨いた「甲ら」に方形に穴を掘る。
②方形の内側に「町方」を刻む(または墨で描く)
③「ははかの木」に点火し、押しつけて焼く(焼く時に『呪文』を唱える場合もある。「ト(下)ホ(上)エミ(右)カミ(左)タメ(中央)」など)
④順番通りに焼く(くり返す)
⑤ヒビが入ったら、水をかけて消火。
⑥焼いた側と反対側の「甲ら」をみて判断。
実際の占いの判断
ひびの読み方は、時代や場所でそれぞれだったようです(既に失われたものも多い)。
(例 「ひびが多いと〇〇」とか、「ひびが左に曲がると〇〇」とか。)
最後に
やはり最初は、動物を焼いて食べてたところから始まったのであろう、と思われる太占ですが、モンゴルには今でも「動物の骨占い」があるそうです。
太占と同く、肩甲骨を使うというところもそっくりで驚きますが、モンゴルでは肩甲骨は「力」の象徴とされる大切な部位であるといいます。
(共通項を探して、世界の「骨占い」などを1度調べてみると面白いかもしれません。)
また今回調べる中で、占部さんと卜部さんの名字の違いについても面白いことがわかりました。
◯占部さんは、ご先祖が「獣骨占い」に従事。
◯卜部さんは、「亀卜」に従事。
という違いから用いる字が異なるようです。知り合いの卜部さんは亀占いの方なのか、と思ったり。
しかし、まだ分からないこともたくさんあり、今後の課題です。
例えば、砥鹿神社の神紋はいつから使われているのか?
(室町時代位なのかな?とも思うのですが、これももう少し資料を探さないとはっきりしません。)
また同じ神紋をもつ神社に、「事任ことのまま八幡宮」(静岡県掛川市)がありますが、こちらもぜひ現地に行ってみたい、と考えています。
‥ということで、『砥鹿神社 古代日本の占いの神紋を持つ神社』でした!以上です、ではまた!