【書籍】『海藻の歴史』から、①フランスの海藻バター『ボルディエ』を取寄せる。②レシピから『わかめバタートースト』を作る。
今回、『海藻の歴史』という、1冊まるごと食用の海藻について書かれた本を読みました。各国の海藻料理の中から、気になったフランスの海藻バター「ボルディエ」を取り寄せ、食べてみた感想。また、巻末レシピから作った「わかめバタートースト」を載せました。
①『海藻の歴史』原書房2018
『食の図書館』(原書房)というシリーズ本があります。何十冊とあるもので、「カレーの歴史」「ビールの歴史」「モツの歴史」「水の歴史」「キャビアの歴史」なんていう面白そうなタイトルが並んでいます。
その中でも、『海藻の歴史』が特に気になり、今回読んでみました。
本の中で、日本は「海藻大国」として、最も大きく取り上げられています。
逆に、食べない国が多いという事実に、海藻をよく食べる日本人としては少しショックを受けてしまったくらい。*1
そして、日本の他は、韓国・中国・ハワイ・カリブ海・ニューイングランド・イギリス諸島・北欧などの海藻料理が紹介されており、特に食べてみたい!と思ったのが、「ブール・ダルグ」という名の海藻入りバター(仏・ブルターニュ地方)でした。
いったい、どんな味わいなのでしょうか‥?うーむ、気になります。
②ボルディエさんの海藻バター『Le beurre aux algues』
ネットで「海藻バター」で探すと、いくつかの商品がでてきます。
中でも美味しそうにみえた、『ボルディエバター 海藻』(フランス)を取り寄せてみることにします。
注文からお届けまでは、約2~3週とある通り、到着まで3週間ほどかかりました。
せっけんサイズ(125g)です。
材料はシンプルで、生乳が入っています。アルグ(Algues)が、海藻の意味です。
匂いは、バターというようり、ヨーグルトの香りに近いです。油が少なめなのか、あまりバターぽくない。
説明を読むと、ボルディエさんのバターは、「発酵バター」*2というものを使っているのだそうで、上品な香りとみずみずしさがありました。
そして、パンに塗るか、魚と野菜のホイル焼きに1かけ入れるのがおすすめとあり、魚料理との相性がいいようです(ちゃんと塩分が入っていて、塩味がします)。
しかし私は、何となく「バターかけごはん」が食べてみたくなり、早速ごはんにのっけてみました。
入っている海藻の香りですが、ワカメのようなクセはなく、アオサや海苔よりも弱い(海苔が一番近い?)。
食べていると、私たちが食べている海藻って、ふだんは何も思わないけど、けっこうクセが強いものなんだなぁ、と逆に感じました。
このマイルドな海藻と上品な発酵バターのお陰で、バターかけごはんの下品な感じ(?)がありません(あれがいいんだけど)。
今回は、「バターかけごはん」にしてしまいましたが、次回は、トーストや魚料理につけてみようと思います!
【買える場所】 楽天などのサイト 【値段】買ったものは、1890円(125g)でした。
【日持ち】2週間程度。1回分づづラップし、ジップロックにいれて冷凍保存すれば、2ケ月程度持つそうです。
③レシピ『イギリス風海藻バター』で、「わかめバタートースト」を作る
さて、本の巻末には、海藻料理のレシピ集もあったので、ちょこっと作ってみました。
◎イギリス風海藻バター
バター(無塩でも加塩のものでも可。室温に戻したもの)‥250g
乾燥海藻(ワカメ、ヒバマタ、ノリその他を混ぜたもの)‥大さじ1(水につけてもどす前の分量)
シーソルト(味を調えるため)
1.海藻を水につけてもどす。もどったらペーパータオルやフキンでしっかり水分をとる。
2.海藻を細かくきざんで、柔らかくなったバターにシーソルトとともに混ぜる。
3.最低2時間は冷やして海藻の風味をバターになじませる。
4.海藻の分量は好みに応じて増やす。
引用:『海藻の歴史』レシピ集187pより
立ち昇るワカメの匂いに少したじろぎましたが、食べてみると、まずくはない。塩を振った分、食べやすくなっています。
これは‥、食べ慣れてないだけ(油を吸ったワカメなんてふだん食べないし‥)。
「わかめバタートースト」にしろ「海藻バター」にしろ、もう慣れだな、コレ、と思いました。
最後に
‥ということで、『海藻の歴史』の本から始まり、取り寄せたり、調理したりしてみました。
実は、日本は海藻の一大藻場で、種類も豊富。世界1、海藻料理が充実している国のようです。
ふだんは何も考えず食べていますが、こうして海藻料理に興味を持つのは、小さい頃からみじかにあって、しょっちゅう食べているからなんだろうな、と思います。
豊富な海藻料理を食べれる日本に生まれたことを感謝しつつ‥、
以上、『海藻の歴史・フランスの海藻バター「ボルディエ」・わかめバター』でした!ではまた!
『珍しいお茶』①【アーティチョークティー】ベトナム②【ハス茶】③花粉対策茶【杉ひのき茶】④【赤しそ茶】(島根県産)
先日、アーティチョークのお茶が売られているのを初めてみました。いったいどんな味がするものなのか?飲んでみた感想、効能などを書いています。その他、現在飲んでいる、少し変ったお茶(ハス茶、杉ひのき茶、シソ茶)も合わせて紹介しました。
①『アーティチョークティー』(ベトナム)
アーティチョーク、最近はスーパーで、普通に見かけるようになりました。
でも、みためがギザギザしていて、実にまずそうなシロモノです。
先日、カルディで売られているのを見て、お茶ならば?ということで、買ってみました。
【値段】298円 【内容量】25P
箱を開けると、もう変な匂いがします(何かの草の匂い?)。
実際に飲んでみます。
ゴクっ。あれ?意外と飲みやすい。
すこし甘くて、香りと味は、何かの豆か草‥、ハブ草茶*1にも似ています。
不味くはない‥、豆茶の仲間的な‥。飲めるな、ということが分かりました。
効能はどうなのか、拾ってみました。
◯ カリウムが豊富で、塩分を排出する効果がある(むくみやすい人に)。
◯ コレステロール値・中性脂肪値を下げる。高血圧に効果がある。
◯ 肝機能を強化、胆汁の出をよくする(お酒を飲む人、二日酔いにも)。
◯ 脂肪を分解したり、便を柔らかくする成分が含まれている。
◯ 抗酸化、デトックス
という具合です。
実を言うと、アーティチョーク自体、何かよく知らなかったのですが、和名は「朝鮮アザミ」。これ、アザミだったのか?、と驚愕しました。
そして、食べるのはつぼみの部分で、ガクの付け根や芯の部分を食べる、ということも分かりました。
味は、芋、カリフラワー、ゆり根に似て、甘みがあるということで、それなら、食べれそう。今度見つけたら、youtubeを参考に調理してみようと思います。
②「ハス茶」(ベトナム)
「ハス茶」は、今回紹介した4つの中で一番好きなものです。甘い匂いがあり、ほっこり癒される、不思議なお茶。
ティーバッグの他、茶葉で売られているものなど何種類かあり、継続して飲んでいます。
③花粉症対策茶「杉檜茶」(中郷屋/福島県郡山市)
さて、これは、杉ひのきの香りが好きで買ったものですが、このお茶がどういうものなのか、これまた、全く理解していませんでした。
『花粉対策茶』という、福島のお茶屋さんが販売しているもので、他には「ぶた草茶」「背高泡立草せいたかあわだちそう茶」「カモガヤ茶」「ススキ茶」「イヌムギ茶」「白樺茶」など。なるほど、全部、花粉飛ばす系でした。
「中郷屋」さんのサイトを見てみると、
その季節の花粉(抗原)を吸った場合、アレルギー体質の人は、その花粉に対する抗体を体内で作ってしまいます。次に花粉を吸い込んでしまうと、体内で抗原体反応が起こり、これが症状として出てしまうと言われます。体内にはないその「花粉」に体が反応しているのが花粉症。
そこで花粉を作る、その草木の葉や茎を製茶して、飲みやすくほうじ茶にブレンド。「お茶」として飲めば、疑似的にですが、外からの花粉を体が異物として感じさせないようにすることができると考えました。
2009年10月に、東京都が舌下減感作(ぜっかげんかんさ)療法の研究成果を発表し、約7割の花粉症患者で有効性が確認されました。 引用:「中郷屋茶舗」のページより
とあり、異物として体に感じさせないように、取り込んで、飲んでしまおう、という考え方のようです。花粉症に効くといいですね。
さて、飲んでみると、
ほぼほうじ茶で飲みやすいのですが、最後に突き上げてくるのが杉・ヒノキかな?
確かにふつうのお茶でなくて、香りのある何かが潜んでいます。
少しクセがありますが、そんなに飲みにくいものではない(ほうじ茶単体の方が、もちろん飲みやすいけど‥)。
私は花粉症ではありませんが、お茶として「白樺茶」とか「ススキ茶」とか、飲んでみたいなぁ、興味あります。
【値段】1000円(販売しているサイトで価格差あり) 【内容量】15P
【買える場所】ことと屋(イオン内)、中郷屋さんのサイト、楽天など。
④「赤しそ茶」(島根県産)
これは以前、島根で、珍しさもあり、買ったのものですが、なかなか飲み進まず、賞味期限も切れて、残っていました。
飲み進まなかった理由は、シソすぎるから。シソの風味が頭までのぼってくる感じで、ほんの少し酸っぱさ(ビタミン?)もあります。
シソ茶は、リラックスするというより、違和感に目がさめる感じです。
色の変化が、青→赤→茶色、と楽しめるとあるのですが、うっすらピンク→茶色になるようにも思いました(変化はあっというま)。
最後に
1人で買って、10包、20包消費するって大変ですが、飲んでみたい!、という好奇心には勝てません。
「アーティチョーク茶」も、もしかしたらダメかな?と思っていましたが、意外と飲みやすく、調べる中で、欧米でアーティチョークが好まれる食文化などが分かり、面白かったです。
ただ飲むだけでなく、調べてみると、愛着も湧き、お茶がより美味しくなる気がします。
『あいち朝日遺跡ミュージアム』【2020年オープン】【弥生時代を代表する巨大環濠集落】【旧貝殻山貝塚資料館】(愛知県清須市)
『あいち朝日遺跡ミュージアム』は、弥生時代の遺跡・遺物を展示する資料館です。最大の見どころは、出土品の状態の良さやその完成度の高さで、膨大な出土品のうち、2000点以上が重要文化財の指定を受けています。また開館したてで、展示棟や、整備された敷地内の復元住居・解説展示などが新しく、綺麗であることも見どころとなっています。
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- 「あいち朝日遺跡ミュージアム」とは(ジャンクションの下の弥生村)
- 【見所①】「弥生村」が楽しめる、きれいな公園
- 【見所②】「弥生村」の大パノラマ
- 【見所③】質・量ともに素晴らしい出土品
- 出土人骨(史跡貝殻山貝塚交流館)
- おみやげ
- さいごに
「あいち朝日遺跡ミュージアム」とは(ジャンクションの下の弥生村)
「朝日遺跡」は、愛知県清須市~名古屋市西区に広がる、弥生時代から古墳時代前期までの長期間、居住が続けられた大集落遺跡です。環濠で防御された、南北2つの居住域、4つの墓域がある巨大なものですが、名古屋の人間ですら、「貝殻山(かいがらやま)っていう貝塚があるだけじゃないの?」という認識です。
これは、遺跡を覆って建つ「清洲きよすジャンクション」や、地表に出ていないせいで、おかげで、大集落があった、ということはあまり知られていません。
上の写真のジャンクションの真ん中が、ちょうど大集落の真ん中にあたります(青丸は、「あいち朝日遺跡ミュージアム」)。
朝日遺跡の規模は、東西1.4km、南北800m。北東から南西に谷があり(川の跡?)、また、南は干潟で、今とは違い、海のそばでした。最盛期には、1000人の居住があった、といいます。
【見所①】「弥生村」が楽しめる、きれいな公園
メイン(?)の貝塚は、形も崩れているのか、土の盛り上がりくらいにしか思えません。
時おり、親子が遊びにくる位ののどかな場所で、明るくて綺麗、広さもある、復元施設もある、解説も充実していて、学ぶことができる、おすすめの公園となっています。
【見所②】「弥生村」の大パノラマ
本館の方に入ります。
本館の見どころの1つは、パノラマ展示です。
見ることのできない、大集落遺跡の全貌をせめてパノラマで‥ということでしょうか。
でも、分かりやすいです。ちょっと遠いかな?、と思っていたら、本来は望遠鏡の貸し出しがある、ということでした(新型コロナ対策で、貸出は中止中)。
乱杭らんぐい、逆茂木さかもぎ、柵、環濠、土塁、柵と‥、何重にも防御しています。
出土した逆茂木の本気度がすごい!しかし、こんなに防御しないといけないって、いったい‥?
【見所③】質・量ともに素晴らしい出土品
展示室2や企画展示室では、収蔵している出土品を見ることができます。
左は「円窓付まるまどつき土器」、右は「パレススタイル(赤彩土器)」と呼ばれる尾張地方独特の土器です。なぜ穴が開いているのか気になりますが、はっきりとした使い方は分かっていないそうです(ロウソクとか灯火を入れてみたくなりますが)。
「パレススタイル」は華やかな赤色で、見ると明るい気持ちになるものです(材料はベンガラ)。
また、骨角器など、彫刻をされたものの出来が素晴らしいです。弥生時代の作とはとても思えず、最近作った、と言われても納得してしまいそうです。
状態が良くて感動してしまいます(本当に弥生時代なの?)。
沈線文の由来の、口縁部と本体に描かれた縄文土器ぽいデザインが面白いです(時代は弥生前期~中期)。
出土人骨(史跡貝殻山貝塚交流館)
居住域を囲む墓域群は、たいへん面白そうなのですが、見学することはできません(埋め戻されている)。
発掘された遺体の一部を、同じ敷地内にある「史跡貝殻山貝塚交流館」*1 で見ることができます。
写真の遺体ともう1体あるのですが、両遺体とも同じ方角、同じ向き(右側を下に)の屈葬で、埋葬の仕方にも意味合いがあったことがわかり、興味深いです。
おみやげ
黒曜石製の「石鏃せきぞく」が気になりました。
さいごに
数千年を感じさせない出土品の素晴らしさは必見です。たくさんの人間と長期間の居住が生活用品の精度を上げているのだろうか、と感じました。
「吉野ヶ里」のように、「弥生村」として整備して、「弥生村巡りツアー」「墓域群巡りツアー」などしたら、楽しそうなのに、現状はほど遠く残念です。
また、近くには、織田信長の城「清須城」があり、弥生から中世まで居住が連綿と続く土地柄ということも面白く感じます。興味のある方はぜひ、『あいち朝日遺跡ミュージアム』を訪れてみて下さい!
【仏教グッズ】①王朝風の図柄の『散華』 ②チベット仏教の塗り絵『癒しの塗り絵 美しい密教の仏とマンダラ』扶桑社
今回は、仏教の綺麗なグッズ2つを紹介したいと思います。1つは、蓮のはなびらの形をした「散華さんげ」で、もう1つは『美しい密教の仏とマンダラ』という仏様と曼荼羅の塗り絵です。仏教に興味の無い人も綺麗なものなので、見て楽しんでもらえたら、と思います。
【仏教グッズ①】蓮の花びらを模した「散華」
先日、ネットで「散華」が売られていることに気がつきました。そんなものまで‥、と驚いたのですが、いくつかの商品があり、どれもカラフルな絵がプリントされて、なかなか綺麗でした。試しに取り寄せてみると、
本当は数枚で良かったのですが、100枚あります!値段はお店によって違いますが、900円ほど。紙は、少し厚めの厚紙です(サイズ:縦8.6cm、横7.2cm)。
建物の上から散布する場合には、軽い方がよく飛ぶので、もっと薄く作ったりと、工夫があるようです。
上から、鳳凰。多宝塔、天女。金・銀地に、極楽浄土な図柄が素敵です。
王朝風の素敵な図柄に大満足なのですが、問題は使い道です。100枚もどうしよう、です。
額に入れて飾る、本のしおりにするのほか、私は裏にテプラで、好きな言葉を貼ろうかと考えています。
(実際、100均のトランプの裏にテプラで貼っている。)
また、実際の法要でまかれたものを頂いた場合は、ご利益のあるものなので、お守りにするのがおすすめのようです。
この後、紹介する奈良の「美術散華保存会」の 【散華の楽しみ方】に、散華の活用法が載っていて、そちらも参考になります。
『散華』とは
散華さんげは、蓮の花びらの形をした紙で、1枚1枚に美しい絵が描かれ、仏事に使うものです。散華をまく目的は「仏様を供養する」ためで、昔は生花を使ったそうですが、痛みやすさ・集めにくさなどから、紙が代用されるになったのだそうです。
紙吹雪のように散華が乱舞する、そうした実際の法要の様子を見たことはないのですが、奈良・京都などの古いお寺で、お守りなどとともに授与されているのを見ることがあります。
最初に入手したのは、唐招提寺であった気がするのですが、今見ると情報がなく、どんな図柄だったのかも探せませんでした。
そして、「散華」を調べるうちに気がついたのが、奈良の「美術散華保存会」のホームページでした。
散華保存会は、散華を収集し、散華の情報を発信しているサイトで、Q&Aや散華のコレクションの写真など、とても参考になるサイトでした。
そしてここで、奈良のお寺で散華を見かける理由も分かりました。日本画壇の大家たちが、お寺とつながりがあったこと(寺院の壁画修復などを協力をしたり)。修復や落慶法要で、こうした画家による散華が撒かれたこと、だと。
確かに!奈良の散華には、日本画風の、いぶし銀のような、本気の図柄が多い、と思っていました。日本画家とご縁があったのですね。
【仏教グッズ②】『癒しの塗り絵 美しい密教の仏とマンダラ』扶桑社2006
さて、こちらは、仏様と曼荼羅を塗るぬり絵です。
綺麗な仏画に興味があるのですが、何冊か見た「仏画ぬり絵」の中で、1番きれいなものでした。
(仏画集になると高いけれど、ぬり絵なので905円というお値段です。アマゾンでは、510円で売られていました)。
この仏さまたちは、チベット仏教の絵師によるものということで、日本の仏様と雰囲気が違います。官能的で、ぐっとカラフルです。
最初数ページに、仏教の歴史と仏画の塗り方の説明があり、10の仏*1 と2人の聖者、3つの曼荼羅のお手本のページあり、あとは塗り絵という構成です。
説明を読んで分かったのは、チベット仏教の仏さまの容姿・色・持ち物には厳格なルールがあり、その色に近い色(お手本)を塗るのが望ましい、ということでした。
好きな色で塗ればいい、と思っていたのですが、塗るうちにそうしたルールが分かるのも良いのかもしれません。
例えば、日本では、薬師如来には色のイメージはありません。
が、チベット仏教では、薬師如来が東方の瑠璃光るりこう浄土に住んで、朝や日の出を象徴することから、東の空色をイメージした瑠璃るり色にその体を塗り、表現するのだそうです。
最初は、青色の体が何だか怖く思えたが、空の色ということが分れば、少し落ち着いて鑑賞できます。
また、対になる西方の阿弥陀如来は、日没の赤で表すのだそうです。
最後に(仏教はとっつきづらいところがあるけれど)
仏教に関して、お寺巡りをしたり、何十年と見ている割には疎いなぁ、と思います。
それは、経典や理論が難しかったり、説法くさかったりと、どうもとっつきにくいからだと思います。こうした末端のものから、仏教の1部分づつ知っていくやり方の方が、自分には気軽で合っているのかもしれない、という気づきもありました。
‥ということで、今回は気になって手に入れた仏教グッズ2つを紹介しました。以上、『散華と癒しの塗り絵 美しい密教の仏とマンダラ』でした!ではまた。
謎の山・野犬山(ヤケンヤマ)を探す旅。そして、その結末(愛知県瀬戸市)
愛知県瀬戸市に、通称「ヤケン山」と呼ばれる山があります。その由来は昔、野犬がいたことから。何年か前に瀬戸市在住の人にその話を聞いて以来、その山をずっと探していました。今回、やっとそのヤケン山を見つけることが出来たのですが‥。その結果を書いていきたいと思います。
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①野犬山とは?
最初に聞いた話はこうでした。「ヤケン山という山があって、小さいころそこで遊んだ。野犬が住んでいたからヤケン山と呼ばれていた」
(野犬山、何というキケンな響き‥)、野犬山というフレーズが耳に残った私は、もっと詳しく話を聞きたかったのですが、その時はそれ以上聞くことはできませんでした。その後も、瀬戸出身の人に会えば、さりげなく聞いたりしていたのですが、野犬山を聞いたことはあっても、場所までは知らない、という人ばかりでした。
②ネットで情報を探す
最初に聞いてから数年、ネットで何か情報が得られるかもしれない‥、とうことで、検索をしてみました。すると、
◯昭和36年当時、立派な山だった。今は造成が進み、一部宅地に。残ってはいるが、昔はなかった柵が設けられた。
◯狂暴な犬(チャウチャウ犬?)がいた。(ただし、野犬に食い殺されたり、襲われたりした人はいないらしい)
◯授業で地層を見に行った。葉っぱの化石がとれた。
◯小さな池があり、ザリガニやカエルの卵をとった。
◯アケビや自然薯が採れた。
‥といった情報が得られました。
ほんとに存在したのです!しかもアケビや自然薯とか、想像していたのより、はるかに自然豊かな山のようです。
そして、なにより興味がわいたのは「地層がみれる」「化石がとれる」でした。
こうして、是が非でも行ってみたくなった私は、最初に話を教えてくれた人にもう一度戻り、野犬山の話を尋ねました(今はネット情報をすぐ見せれたり、googleのストリュートビューで場所の確認ができるので、本当に便利です)。
その結果、やっと野犬山の場所が分かりました。
③ついに、まぼろしの野犬山へ
判明したその場所は、聖カピタニオ女子高校(瀬戸市)の東側一帯で、今も山の一部が残る、ということでした。
期待にワクワクしながら、さっそく現地へと向かいました。
高校の入り口から見えました。あれかー、ということで近づいてみます。
確かに地層のような(ただの断面にも見えますが)、化石はあるのかな?
う~ん、礫ばかりにみえます。
しかもここは周囲は住宅地で、断面観察には不向きです。斜面を見て佇む私はどうみても不審者で、人にも聞きづらいし‥。とりあえず、ぐるっと山を1周して、化石と断層を探してみることにします。
投げ捨てられたお菓子のカラとか空き缶とか、不法投棄のゴミとかが気になります。ゴミが多いのは、山奥ではなく、周囲が住宅地で人が住む場所だからでしょう。
こんな大きな山なら、確かに野犬も住んでいたかも。子どもの秘密基地もいくつも作れたことでしょう。奥まで分け入れば発見もありそうですが、大人の私は不気味なのもあり、周回するだけにとどめます。
‥ということで、1周してきました。
わかったことは、想像以上に広く、昔は本当に山であっただろうこと。化石もあけびも自然薯も中に入って少し探さないといけないかもしれない、ということ。投棄されたゴミが多いこと、でした。
せっかく手頃ないい山なのだから、整備して、みんなが散策できる山にしたら素敵なのに‥、などと一瞬思いましたが、そういえば、所有者は誰なのかというのもありました(ゼンリンや登記を見てみようかな)。
最後に
個人的なことですが、私は町中で育ったため、田舎や帰省、田んぼに裏山、秘密基地などというものとは全く無縁に成長しました。
小さい頃、「田舎のおばあちゃんちに行くんだ」などというセリフを驚きと羨望の気持ちで聞いたものです(両方の祖父母ともに市内で、帰る田舎はなく、帰省を体験することはできなかった)。市外に住む友達の「裏山に◯◯があって~」などいう発言も(裏山ってなんだろう?)と、貧困な想像力をフル回転させて聞いていたものです。
また、ネットの情報を読んでいて分かったのですが、この野犬山が昔の小学生たちの遊び場であり(今も?)、彼らの共通の思い出の山として語り合われているのをみると、そんな場所を持たなかったことに、とても切ない気持ちになりました。
しかし、その思い出の山がゴミだらけではいけない。野犬山と限らず、ゴミ拾いボランティアなどを探して参加してみようか、と思った今回でした。
‥ということで、『謎の山・野犬山を探す旅。そして、その結末』でした!以上です、ではまた!
絵本『ミイラ学 エジプトミイラ職人の秘密』 ミイラ職人一家のミイラ作りがリアルで面白い!(ライデンの「古代エジプト展」会場で買えます)
昨年から、ライデン国立古代博物館所蔵の「古代エジプト展」が巡回していますが、その会場で見かけて気になった『ミイラ学 エジプトミイラ職人の秘密』というミイラの絵本について紹介したいと思います。4月16日からいよいよ東京展が始まりますが、会場で、「あっ、この本か」と思って、目に止めてもらえたら嬉しいです。
- ①絵本『ミイラ学』は何が面白いのか?
- ②あらすじ
- ③ミイラ作りの知識
- イウヤとチュウヤのミイラについて
- 【絵本】アリキ『エジプトのミイラ』佑学社1981
- 【図鑑】てのひら博物館『古代エジプト』東京美術2015
- 最後に
①絵本『ミイラ学』は何が面白いのか?
最大の特徴はその視点です。本の説明文にも「ミイラ職人の目線で描かれた本」とあり、読みだすと、まるで自分がミイラ職人一家の中に入ったようなエア体験が味わえます。
そして、40pにも満たない本ですが、2019年発行の新しい本ということもあり、知らなかったミイラに関する知識に驚きます。
②あらすじ
あらすじは簡単です。王室御用達のミイラ職人パネブ一家が、亡くなった王妃の父のミイラ作りを担当し、ミイラを丁寧に仕上げて埋葬するというもので、最後は葬儀と宴会のシーンで終わります。
そして、面白いのは、この絵本に出てくるミイラがちゃんと実在していることで、ミイラの名前はイウヤとチュウヤ(イウヤの妻)といい、有名なツタンカーメンの曽祖父にあたります。
(葬儀のシーンでは、イウヤの娘(王妃ティ)、孫のアメンヘテプⅣ世(後のアクエンアテン)と妻のネフェルティティら王族の参列が描かれています)
また、知らなかったのですが、このイウヤとチュウヤの墓は王家の谷にあり、ツタンカーメン王墓の発掘以前は、状態の良いこと・埋葬品が残っていたことでとても有名だったのだそうです。
③ミイラ作りの知識
面白く感じた、ミイラ作りの知識を本から拾っていきます。
◯ミイラ職人は、大都市テーベの西岸「死の町」に住み、神官と同階級とみなされ、尊敬されていた。
◯ミイラ作りは口伝によって伝えられた。
◯仕事中は、強烈なにおいに耐えなければならなかった、などの記述。
また、肝心のミイラ作りですが、
「バネブはまず、遺体の右側に立ち、長くて先のとがったまっすぐなブロンズのシャフトを手に取った。それをイウヤの鼻の穴にゆっくり差し込み、それで少しづつ骨をたたいてくだく。」引用:『ミイラ学』(14P)
など、脳をかきだすために、まず細い金具で骨をくだいて取り出せるようにする、という描写など個人的にリアルでした。
脳・内臓を取り出した遺体はその後、ナトロン溶液*1 やヤシ酒などで洗われ、体の形を保つためにナトロンの詰め物をします。
そして、そこにまた粉末ナトロンをふりかけて、斜めのテーブルに置き、遺体から水分を排出します。こうして、戸外でナトロン干しすること40日間。今度は、仕上げをする「美の家」という作業場に遺体を移します。
ここでは、遺体を柔らかくするため、香油マッサージが施され、肌は生前のような柔らかさを取り戻すのだとか‥。また体内に詰められたナトロンの詰め物を取り出し、新しい物にとりかえ、鼻の穴・お腹の切り口から熱い樹脂を入れて、開いた体の隙間をつめて原形を保つ作業をします。
最後に、15日はかかる包帯を巻く作業に入ります(包帯巻は、水除け・虫除けの樹脂を塗る作業も含む)。ミイラ作りは2ケ月はかかる長丁場。数多くの工程の繰り返し、ということが分かります。このほかには、
◯液体の一滴まで、体液のついたものは体の一部とみなされ、壺に入れられ、お墓に納められた。
◯左腹部の切り口から腸をとり出すが、最低限しか傷口を開けないため、手を差し込み、手の感覚でとり出した。
◯ミイラの両手を交差させるスタイルは王などのスタイルで、一般の貴族は両手はまっすぐ生殖器を隠すように置かれた。
といった、頭に思い浮かぶようなリアルな描写で、こうしたミイラ作りの知識がこの絵本の魅力になっています。
(1994年、古代エジプトの技法で、人間をミイラにする実験が解剖学者らによって行われた、などの記述がさらっと書かれていましたが、どんな人がミイラになることを了承したのか、その実験結果も気になりました。)
イウヤとチュウヤのミイラについて
さて、絵本の最後にイウヤとチュウヤのミイラのついて詳しく述べられているのですが「状態がいい」という通り、生きていた時そのままのような写真に驚きます。
2人はシリアなど外国出身だったのではないかという説があるそうで、高い鼻、くぼんだ眼窩、顔立ちからなるほどそうかも、と思えます。優しく穏やかな容貌で、品があって、私たちの知る王様のミイラとは異なるミイラのように感じました。
最後に2冊、ミイラと古代エジプトの本を簡単に紹介して終わりにしたいと思います。
【絵本】アリキ『エジプトのミイラ』佑学社1981
この『エジプトのミイラ』の発行から40年、新発見も増えました。今回の『ミイラ学』を読んで特にそう思いました。『エジプトのミイラ』でも、ミイラ作りや葬儀の話が同様に取り上げられ、ピラミッドや古代エジプトの神様についても描かれています。
【図鑑】てのひら博物館『古代エジプト』東京美術2015
こちらもライデンの「古代エジプト展」会場で買うことができます。フルカラーで見やすくコンパクトで、古代エジプト情報が網羅されていて、おすすめの1冊です。
最後に
今回は「古代エジプト展」でみかけて、気になっていた本を紹介しました。私は、名古屋展の会期終了後、最近、図書館で見つけて、その面白しさに気づき、購入をしました。
会場で面白そうな本を見つけても、慌ただしかったり‥、そんなに何冊も買えないし‥、で心残りになってしまうことってありますね。
これから「古代エジプト展」は、東京、仙台、山口、兵庫と巡回していきますが(静岡展は3月末まで)、会場で売られている本をチェックする際の参考になれば幸いです。
‥ということで、「『ミイラ学 エジプトミイラ職人の秘密 』ミイラ職人一家のミイラ作りがリアルで面白い」でした!以上です、ではまた!
*1:ナトロンは塩のような鉱物。水分を排出する。
【レビュー】①トラタニ『好循環シャツ』②「ダイエットスリッパ」(バランスサンダル) ③「ソイプロテイン」で美肌になるは本当か?
今回は、ネットで購入した健康関連グッズ3つを使ってみた感想を書いていきます。 着るだけで姿勢改善『トラタニ 好循環シャツ』。履くだけで体幹トレーニング『ダイエットスリッパ』。お肌が綺麗になるという、『ソイプロテイン』の噂は本当か?の3本立てです。
①トラタニの『好循環シャツ』
好循環シャツとは?
「好循環っていったいなんだろう?」ですが、この不思議な言葉につられて買ってしまいました。
結局、「好循環」の意味は、上半身(肩や肩甲骨、腕周り)の動きがよくなる、ということのようです。
【商品説明】
サイトを見ると、「肩甲骨周りの筋肉がほぐれ、猫背・巻肩・肩こりを軽減。背筋が伸びて、肋骨・胸が広がるので、呼吸がしやすく・深くなり、代謝もよくなる可能性がある。」という説明がされていました。
その最大の特徴は、袖が背面向きに取り付けられていることで、そのおかげで腕が後ろに引かれ続け、巻肩・猫背の解消になる、との話。
着るだけで労せずして、姿勢が改善されるなら、こんなにいいことはありません!
【実際着てみる】
早速、着てみると腕が後ろにひっぱられ、「すごい矯正力だ!」と正直驚きます。これはすごい!、と思ったのですが1日持ちませんでした。徐々に矯正力が落ちてきて、普通のシャツに‥。
(効果を実感する為に、半袖タイプは1サイズ小さ目がおすすめなのだそうですが、私はSサイズで、そのS以下は無く、私の体にそもそも合ってなかった?)
(※また、長袖は矯正力が強いのでジャストサイズがおすすめだそうです。)
【よくない点】
◯化学繊維で暑い
(今でも暑いのだから、夏の季節は絶対ムリです。姿勢を直したいのに、1年中着れなかったら、意味がない気がします)
◯化学繊維感が強く、乾燥肌の人には不向き。
(乾燥肌の私は乾燥がすすみ、かゆく感じました)
‥ということで、
【個人的な判定】✖ でした。
【値段】 3800円(女性用半袖)
【サイズ】男女あり。S~LLなど。半袖・長袖などタイプあり。
【素材】ナイロン 53%、綿 25%,、ポリウレタン 22%(素材比は商品によって違う)
②ダイエットスリッパ(バランスサンダル)
職場のスリッパを健康サンダルに変えたい!(ダイエットでも、ツボ押しでも、姿勢矯正でも、効果があるのなら何でもいい)という思いつきでネットで買いました。
履いてるだけで健康になるのだったら、こんなに楽なことはありません!
【商品説明】
◯履くだけで、体感トレーニング
◯お尻と足の筋肉に効き、美しいスタイルになる
◯綺麗な姿勢になる。骨盤の歪みの改善。O脚改善。
実際はいてみる
◯歩けます。歩けますが、歩くより難しいのはじっと立っていることでした!(特に足を開くと難易度が高くなる) 歯みがき・皿洗いなど、その場でしばらく立つこと自体が難しい!
◯しゃがみこむのは、バランスを取るのがさらに難しく、筋肉がプルプルします。
(これを履いてのスクワットは結構いい運動だ、ということにも気がつきました)
【良い点】
◯バランスを取るため、足のふだん使ってない筋肉が使われる。
(太ももの内側・ふくらはぎなど、ふだん使わない場所がプルプル震える)
◯負荷がかかっているのが自分でもわかる。
(最初履いた日の翌日はうっすら筋肉痛?に)
【悪い点】
◯スリッパよりは(高さがあるぶん)音がする
◯最初は動きにくくて少しイラッ、と(でも徐々に慣れます)
そしてもう1つの短所は(?)、人前では履きづらいこと。
足が1/3くらい飛び出すので、当初の目的「職場ではく」は諦めました。
(ふざけてるようにみえてしまうかも?)
【個人的な判定】◎
痩せるというより、体幹を鍛えるのにおすすめ。また、バランスに気をつけて歩くため、姿勢もシュッと伸びる感じです。
【サイズ】S(22.5~23.5)、M(24~25)の2サイズ。
(23.5の私はSを購入し、サイズ的に大丈夫でした)
【重さ】1足290gと軽量。
【カラー】ブラック・ピンク・レッドの3種。
購入したのは上のものですが、ネットで探すと似た商品がいくつかでてきます(どれでも良さそう)。女性用が多いですが、男性用も何かは見つかります。
③ソイプロテイン
旦那さんが、お医者さんから食生活改善の指導を受けたことから、食事に関して色々と試しています。
「たんぱく質やその他のビタミンを補うため」に飲みだしたものですが、ソイプロテインは大豆由来でお肌が綺麗になる、という噂があります。
まだ、2~3週しか飲んていなくて、レビューするには少し早いですが、気づいたことを書いていきます。
【良い点】
Kentaiというメーカーのココア味とストロベリー味を買いました。
豆乳・牛乳で飲んでいますが美味しい!(水でもたぶん十分美味しいと思う)。
味が美味しくて、続けられることって重要です。
先に牛乳、後から粉の順で入れて振るときれいに溶けます。(氷を入れて振ると溶けやすくなる、という話も聞きました。もう少し暑くなったら、氷でシェイクを試してみようと思います)
【悪い点】
私は大変美味しく感じますが、旦那さんのように「飽きた。粉ぽい。大豆ぽい」と感じる人もいるので、個人差があります。
【効果】
旦那さんの肌が陶器のように白い美肌になりました!(でも、食生活の改善もしているので、いったい何が効いているのか断言できない‥。旦那さんはそもそもが美肌の持ち主で、ここ数年、皮脂過多で荒れていたのが、昔の美肌へと復活しました。驚)。
後から飲みだした私はというと、まぁまぁ肌調子がいいかな?というくらいの感想です(私はもともと汚肌の肌質で、成果が出ても美肌はムリかもしれない)。
でも、感触は悪くないので、これからに期待しています。
【値段】約3300円 【量】1kg。1回20g(77.5kcal).。
【成分】ビタミン11種、ミネラル(カルシウム、マグネシウム、鉄)、食物繊維など。
【個人的な判定】 まだわからない
最後に
‥ということで、最近買った健康関連グッズを紹介しました。
みなさまの購入時の参考になれば幸いです。以上です、ではまた!
高座山の磐座と「水晶の崖」(愛知県春日井市高蔵寺)
先日、高座山たかくらやまという山に登ってきました。自衛隊の駐屯地として知られる山ですが、いくつか面白いポイントがあります。
1つは山頂に磐座いわくらがあること。*1 山麓に、地名の由来にもなった高蔵寺という古刹があること。
2つ目は別名・水晶山。水晶がとれる山として古来有名で、今でもラメのような細かい水晶が地面にキラキラとする珍しい光景が広がっています。
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①高座山(愛知県春日井市)
高座山への登山自体は容易ですが(標高は194m)、山の東側には空自の分屯基地があり、最高峰は基地内にあります。*2
また、高座山は、そのすぐ南にある東谷山(とうごくさん。198m・名古屋市最高峰)とそっくりな山で、植生も雰囲気も似通っています。
名古屋市民には、この東谷山の方がフルーツパークなどの施設があることもあり、お馴染みです。
②山頂の磐座
さて、この岩クラに降りたった神様は誰だったのかというと、天香語山命あめのかごやま(かぐやま)のみことといわれています。*3
天香語山命は古代豪族・尾張氏の祖先神で、向かいの山・東谷山の尾張部おわりべ神社にも祀られていますが、最初この場所に降り、川を渡って東谷山に移ったといわれています。
その東谷山の山頂には尾張氏の墓とされる2つの前方後円墳や山麓にたくさんの古墳があるのですが、その反対側の高座山には古墳はなく、伝説と磐座のみなのは何だか不思議で面白いです。(その住み分けには意味がある?)
③水晶崖と水晶
ということで、参道を下り、途中の案内板まで戻ります。
分岐点から、五社大明神社の方へ少し下ると水晶崖と呼ばれる場所に出ます。
調べてみると、水晶の産地としてこの春日井市かすがいし・中津川市なかつがわしがあげられていて、意外と自分の住む場所の近くが産地であるということが分かりました。
また、取りつくされていて小さなカケラのような水晶しかないという話だったのですが、光を浴びた地面がラメのようにキラキラ光っています。
スゴイ!小さな小さな水晶が光って、キラキラしたじゅうたんみたいになっています!
最初は、小さな水晶をがんばって探す気は無かったのですが、キラキラに興奮して、結局、真剣に探していました。
ライトを持ってきて光をあてながら探せばよかったかな?と思ったのですが、探すのには結局、太陽光が一番のよう(よく晴れた日中に探すのがいい)。
また雨の日の翌日がいいというので前日降った後にちょうどきたのですが、泥・砂が洗い流されて、小さな水晶が浮かぶようでした。
大きな水晶は浮かばないから、軽く掘るものなのか?
その他、泥ごと持って帰って洗いだすという方法もあるそうで、そうするとタッパーやビニール袋が必要で、本気で採集するなら、いくらか準備も必要なんだなということも分かりました。
赤色は鉄なんでしょうね、やっぱり。少し色のついた(ピンク水晶や黄水晶みたいな)ものがとれました。
自分で採ったものがこんなに嬉しくて、こんなに思い入れを感じるとは思いもよりませんでした!(小さな水晶なんかと思っていたけれど)
④水晶崖での注意
以下の文章は事後、分かったことで、水晶崖はいったいどういう場所であるのか、関係の方にお話を聞いたりして少し調べました。
◯所有権については高蔵寺ではないということ(所有権がどこか調べきれず)。
◯水晶崖には銅の採掘権が設定されていること(掘ったりとったりは採掘権の侵害に)。
◯崖を削る人がおり、ここ20年で崖は1/3のサイズに。土砂が崩れて危険なため、土留めをしていること。
◯採れたのは大昔の話で乱獲され尽くしていること。
というお話で、山下にも迷惑がかかることなので、これ以降、水晶採りはやめようと思っています。
私は土留めの手前で拾っていたのですが、土留めの向こうに行く人がおり、崖を削ったためあんな変な形になっているということにも気づいてませんでした。
そのほか(堰堤、高蔵寺、五社大明神社)
現在の高蔵寺という地名の由来になっているお寺で、平安時代に開かれ、斯波武衛しばぶえい家の祈願所でもあったとか。
最後に
愛知の人間でも高蔵寺といえば、高蔵寺ニュータウンや通勤電車の高蔵寺行きくらいの、地味なイメージを持たれる方も多いと思います(私も長い間そうでした)。
でも、実は太古から人が住んで、古代氏族・尾張氏の古墳や神社があり、最近ではそれらは「志段味しだみ古墳群」として整備が進んでいます。
また高座山では水晶が採れたり、前を流れる庄内川(しょうないがわ。昔は玉野川と呼ばれた)ではめのうや珪化木が取れたりと地質的にも面白い場所だなと思っています。
落ちてる水晶を拾える場所ってなかなか無いと思うので、今回貴重な体験をさせてもらったことに心から感謝しつつ、以上、『高座山の磐座と水晶の崖』でした!ではまた!
『古代メソポタミア飯 ギルガメシュ叙事詩と最古のレシピ』を読んでみる。感想と気になるレシピ
先日、『古代メソポタミア飯』という面白い本を見つけました。古代メシレシピを紹介する本で、料理の写真もとても美味しそうでした。古代エジプトなどに比べるとイメージの薄い(?)「古代メソポタミア」ですが、何食べていたのかとても気になります。本の内容と気になったレシピなどを紹介していきたいと思います。
- 本の構成
- 「古代メシ」レシピについて
- 「古代メソポタミア」の食材(食料が豊富だからこそ古代文明が起こった)
- レシピ① 今のパン屋でも売ってそう!美味しいそうな『パン』
- レシピ② 圧巻の『肉料理』
- レシピ③ 今すぐ食べたい!『ドライフルーツ入りケーキ』
- ビールとパンは常食?
- 最後に
本の構成
本は3章に分れ、第①章は『ギルガメシュ叙事詩』の物語の内容。*1 第②章が古代メソポタミアの地理、第③章がレシピ集となっています(①も②もたいへん面白いです)。
「古代メシ」レシピについて
紹介されるレシピは28種類(パン④、野菜添え物②、だし①、煮込み料理⑤、魚料理②、肉料理⑥、お菓子④、飲み物④)。レシピの出典は、イェール大学所蔵の粘土板(古バビロニア時代)などからです。
レシピのページには楔形文字の原文も添えられ、どのように書かれていたかがわかります。しかし、現代のクックパッドのように書かれているわけではなく、意味不明な言い回しもちらほら(カタコト?)。ここから、実際使えるレシピに仕上げるのはなかなか大変だったと思います。
「古代メソポタミア」の食材(食料が豊富だからこそ古代文明が起こった)
これは想像以上に豊かで驚きました。
古代メソポタミアの野菜はタマネギ・にんにく・(ポロ)ネギが3大定番で、豆料理(ヒヨコ豆・レンズ豆)も多かったそうです。その他の野菜は、コリアンダー・クレソン・エシャロット・ビーツ・カブ・ルッコラ・レタスなど。
肉は、牛、羊*2、ガチョウ、鶏、鴨など。また、魚の種類はたいへんに豊富で、淡水魚・海水魚の両方が獲れ、2500種以上(!)の魚の名称が見られるそうです。
それ以外の食材として卵、ゴマ、ピスタチオなど。
また、果物はサクランボ・プラム・アプリコット・ざくろ・ぶどう・レーズン・いちじく・デーツなどと豊富でした。
乳(羊、ヤギ、牛)も飲まれましたが、冷蔵庫の無い時代、消費期限はかなり早く、それもあって一般の人の口には入らなかったようです(そのため、チーズやバター、サワークリームなどの加工品を製造していたのだとか。)
こうした豊かな食材を調理する調味料として、塩・酢・魚醤・ビールなどがありました。(砂糖だけはまだ無かったそうで、それでもハチミツや果物でお菓子も作っていました)
そして、少ない調味料を補うのはハーブでした。コリアンダー、クミン、マスタードシード、ミント、フェンネルシードなどが再現レシピに見られます(昔の人は、美味しい草や香味草についてすごい目利きだったことでしょう)。
‥ということで、これだけの食材があればもう何でも作れそう!無いのは複雑な調味料くらいでしょうか?
以前読んだ『ファラオのレシピ』でも、古代エジプトが食料の宝庫であることにたいへん驚いたのですが(川の氾濫の時期は魚を捕る必要もない。うち上げられてピチピチしているなど)、今回も「古代メソポタミア」の食の豊かさには本当に驚きました。
食料が豊かだからこそ人が増え、古代文明が起こった、という成り立ちを(当たり前なのかもしれませんが)この本を読んで改めて感じました。
レシピ① 今のパン屋でも売ってそう!美味しいそうな『パン』
さて、実際に紹介されているレシピを数品取り上げます。
長ネギミルフィーユパン「セベトゥ」は、今のパン作りと同じような要領で大麦粉・小麦粉や牛乳、オリーブオイルの他、すりおろした長ネギをいれて焼いたパン。巻いた形がとても可愛いのですが、「形のよいパン」としか手がかりがないのだそうです。
また、セベトゥは無発酵パンですが、発酵したパンや肉パイのレシピなども紹介されています。
レシピ② 圧巻の『肉料理』
煮込んだ肉や牛肉のオーブン焼きも実に美味しそうだったのですが、
古代メソポタミアぽい(?)「羊の香草焼き」を取り上げました。当時は、神様と王様くらいしか食べれないご馳走でも、今では簡単に家で作れるのも嬉しいです。
クシ切りにした玉ねぎ・羊肉をオーブンの天板に並べ、みじんにしたルッコラ・コリアンダー・長ネギを加えて焼けば完成です。塩だけでもう十分いけますね!
レシピ③ 今すぐ食べたい!『ドライフルーツ入りケーキ』
こちらも神様用の高級スイーツ。今売られてても上等なお菓子の類いです。小麦粉、バター、牛乳、塩、ハチミツに、デーツ・干しリンゴ・ザクロの豊富な果実が入っていて、間違いなく美味しいケーキだったことでしょう。
ビールとパンは常食?
さて、『ギルガメシュ』にはビールとパンの記述が多く、確かにこの2つがあれば食事になるな、と個人的にも思います。ちなみに主食は大麦から作ったパンであったとか。
また、古代メソポタミア人はビールが好きだったようで、多種多彩なビール醸造の記述は読んでててうらやましくなりました。*3
ビールのほかワインも飲まれましたが、こちらは輸入品であったようです。
本の中でビールやワインの「古代メソポタミア風」飲み方が紹介されていました。これはすぐにでも実践できます。お酒にデーツやハーブ(コリアンダーやヨモギほか)を入れてしばらくおいてから飲む、という簡単なもので不味いビールやワインがあれば試してみてもいかもしれません!
最後に
本の著者は遠藤雅司まさしさん。「歴史料理」の再現に取り組んでいる歴史料理研究家の方で、他にも「歴メシ」本を何冊か書いてみえます。
今回、取り上げさせて頂いたレシピ以外を見てみたい方は是非、実際の本で確認してみて下さい。総じて美味しそう!今でも似た料理食べてるなとか、きっと色々と感じることがあると思います。
断崖の上に造られた窟屋「奥の院」に感動する【「内々神社」「内津妙見寺」】(愛知県春日井市内津峠)
内々うつつ神社という愛知県春日井市にある神社に行ってきました。
この神社はヤマトタケル伝説や神社庭園で有名なのですが、もっとも印象的なのが崖に作られた「奥の院」です。
まるで三佛寺投入堂(鳥取)を彷彿とさせる「奥の院」と巨石「天狗岩」、星の神「内津妙見寺」について書いていきたいます。
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庶民の道「下街道」と難所・内津峠
この「内々神社」はそもそも、昔の下街道*1沿いにあり、尾張と美濃の国境で難所だった内津峠うつつとうげをのぞむ場所にあります。
峠道はロードバイカーに人気の場所となっていました。
車はこの北の19号を走るため、交通量が少なくひっそりしているのも嬉しいところ。
①「奥の院」(=巌屋いわや神社)
さて、この「内々神社」の地図、かなりファンシーだ!と思っていました。
庭園からちょろっと行ったところに奥の院がある(?)というので、庭園から道を探しますがよく分りません。庭園裏はゴロゴロした岩場で、イノシシ除けの電気柵が巡らしてあり、道があるのかないのか?という感じでした。
いったん社務所に戻り、「奥の院」のことを尋ねると地図を頂けました。西側の川沿いの舗装路を行くのが初心者には分かりやすいそうで、神社からは数百mの距離とのことでした。
昔はこの鉄階段はなく、鎖やハシゴだったといいます。(高所恐怖症で怖いものの)立派な階段を使って上がり降りできることに感謝しなくては。
こんな崖の穴に社があるとは、にわかには信じられません。昔の人はよくこんなところを見つけたなと思うし、この場所をずっとお祀りしてきたというのも驚きです。
さて、内々神社のご祭神は健稲種命たけいなだねのみこと*2といい、最初に祀られたのがこの場所であったといいます。
(ここが最初の地かと思うと感慨もひとしお。訪ねてきた甲斐があるというものです)。
この健稲種命は古代の尾張国造で、ヤマトタケルの義理のお兄さんにあたります。妹はヤマトタケルの妃になった宮簀媛みやづひめです。
ヤマトタケルは、ここ内津で、義理の兄が駿河の海で水死した、という早馬の知らせを聞き、「うつつかな、うつつかな(現哉現哉)」と泣き悲しんだという伝説が残されます。*3
その水死した健稲種命を祀ったのが、この「内々神社」の始まりなのだとか。
②巨岩「天狗岩」
もう1つ見過ごせない岩があります。それは、庭園の背景にもなっている「天狗岩てんぐいわ」という巨大な岩です。
全くサイズ感が伝わらない写真ばかりで申し訳ないのですが、高さ数m(?)の切り立った岩盤でここにも岩穴が開いています。
「天狗岩」も「奥の院」と同様に神聖な場所ではなかったかと思うのですが、素朴なお庭の中に自然とたたずんでいます。
また、この「天狗岩」はお庭の影向石ようごういし*4であるという説明もみました。影向石が庭園の一部になっているようなものを私はよく知らないのですが、京都の西芳寺(苔寺)などにはあるようで、なにしろこんな大きな影向石自体、珍しいものだと思います。
③武運の星神「内津妙見宮」
さて、ここを訪れた最大の理由は、中世、妙見菩薩を祀る「妙見宮」として名高く、「3大妙見の1つ」であったという説明を見たからです。*5
江戸時代、内津神社の主役でもあった妙見様ですが、明治の神仏分離により、現在は神社とお寺という形で隣り合って建っています。ひっそりと佇むお堂からは、往時の様子はあまり分かりません。
当初、神社にお祀りしていたのは水死した尾張氏の祖・健稲種命たけいなだねのみことでした。中世に妙見菩薩をお祀りするようになり、神仏習合をして「内津妙見宮」をなのるようになります。
④神社庭園と立川流
さて、内々神社庭園の作庭者は、夢窓疎石(むそうそせき 1275-1351)と伝えられますが、江戸時代の作庭(本殿建築時の1804年-18年)ではないか?という考察もいくつかみられます。*6
作庭だけでなく、神社本殿の造作も見どころの1つとなっています。
社殿の完成は文化年間(1804-18)で、分業体制をしいた立川流*7によるものだとか。上手ですね!
③「内々神社」のお守り
「内々神社」の境内には、サルスベリに松が共生した木があり、「すべらずの松」と呼ばれてそのお守りは受験生などから人気となっていました。また、「妙見寺」のお守りは北斗七星と月といういかにも星神・妙見様らしいデザインが嬉しいもの。
最後に
「内津」という場所は平地が少ない、狭隘な場所です。それはここが山中の峠道だったから、当然なわけですが、神社は狭い場所に建てられ、せっかくの庭も見通しが悪く、押しこめたような印象です。
庭の正面にあれば、しっくりくる「天狗岩」も庭の右側、視線の外へずれていたり。崖地に建つ「奥の院」といい、狭すぎることが奇妙な感じを受ける理由の1つなのかなと考えています。
また、「神社庭園」自体珍しいものですが、その成り立ちは少し複雑です。
①古代の巨岩・岩屋信仰があった場所に、中世、妙見信仰が入り、庭園が造られた。
②天狗岩を背景とした池や島のある庭園で、神仏が来臨する場でもあった?
③明治になり、妙見寺が隣地へ移り、庭園は神社の庭園となった。
という感じでしょうか。
参考にさせて頂いた内津神社の報告・考察からは、いくつかの謎を秘めた庭園であることが分かり、一言には言い切れません。
このミステリアスな場所は、修験場でもあったそうで、まだまだ内津の山には発見がありそうだと思いながら、以上、『断崖の上に造られた窟屋「奥の院」に感動する』でした!ではまた!
【参考にさせて頂いたサイト】
◯佐田春男『愛知県春日井市「内々神社」と「内々神社庭園」、さらに隣接する「内々妙見寺」における「神仏習合」についての考察』
◯高橋敏明氏「妙見菩薩の庭 ~内津の庭園4つの謎~」『郷土誌かすがい』第77号(2018年)
◯岡田憲久「内津神社庭園現況調査に関する報告」