山に降る雪のような『ストームグラス』【フェリシモFERLISSIMO】を買いました(19世紀の気象予報道具)
ストームグラスをご存じでしょうか?見たことある人もきっと多いかと思います。
ガラスの中に透明の液体が入っていて、液の中の結晶の沈殿具合や形状で天気を占うというものです。
その気象予報の真偽はさておき、見た目の面白さや動きがあることから、現在ではインテリア感覚で楽しむことが多いようです。
- ①「ストームグラス」とは
- ②【フェリシモFERLISSIMO】の「ストームグラス」よかったワケ
- ③実際の商品 「天気によって結晶が変化する雲海から山頂がのぞくストームグラス」
- ④「ストームグラス」の気象予報
- 最後に
①「ストームグラス」とは
使われだしたのは19C初頭のヨーロッパで、航海時の気象予報の道具として船に積んだのだそうです。
発案者の名前はCorti という人物であったとか、あまり詳細なことは分かりませんが、当時のヨーロッパで様々な実験を行ううちにその特性が注目されたのでしょう。
透明な液体はエタノールで、そこに樟脳、硝酸カリウム、塩化カリウムを溶かしたものが「ストームグラス」の正体です。*1
②【フェリシモFERLISSIMO】の「ストームグラス」よかったワケ
完全に見た目の美しさ。しずく状のストームグラスなどを目にすることがあり、面白いなとは思っていたのですが、ある日、届いたフェリシモのパンフ。
まるで、雪山の山頂を切り取ったようなストームグラス。
どこかの山頂に積もる雪のイメージ、この素敵なイメージにつられて買ってみることにしました。
③実際の商品 「天気によって結晶が変化する雲海から山頂がのぞくストームグラス」
手のひらサイズの水晶玉みたいな感じですが、逆さにすると水晶玉とは違いがあることが分かります。
写真ではみづらいですが、球ではなく、凸型にえぐれています。
(その方が重くなくていいのかも)と思いながら、「取扱いの注意」を読むと、
◯ 火の側に置かない
◯ 直射日光をさける(発火の危険性を避けるため)
◯ 絶対に加熱したり、急冷しない。
◯ 割って、中の液体が肌についた場合、流水ですぐに15分以上洗い流し。
◯ 衣服にかかったら、流水で洗い流し。放置すると化学火傷の原因に。
◯ 吸い込んだ場合、すぐに新鮮な空気の場所へ移動。大量に吸い込むと呼吸困難になる場合も。
◯ 誤飲した場合、痙攣を誘発する恐れあり。
「シーン」
(子供やペットがいなくてよかった)と一瞬思いましたが、樟脳が問題なのかな?何が問題なのだろう?と考えてしまいました。
樟脳は、防虫剤でお馴染みのクスノキから生成される物質です。どちらかというと、硝酸カリウムの方が問題なのかな?よく分らないけれど。
「注意書き」の文言に怯えて、とりあえず絶対割らないようにと心に決めました。
④「ストームグラス」の気象予報
「解説書」には科学的根拠はないけれど、状態判断としては、
◯ 液体が澄めば「好天」
◯ 大きめの結晶が浮いたら「曇り、雪」
◯ 液体が曇る 「雨」
◯ 筋状の結晶 「強い嵐」
◯ 結晶が上部にある 「嵐」
とありました。またwikiには、
溶液は濁り、発酵しているように見える。この現象は天気の変わる24時間前に見られる。
- 天気が晴れるなら、ガラス管内の固形分は完全に底に沈み、液体は澄みきる。
- 雨に変わる前は、沈殿物の量が徐々に増え、星のような形のものが透明の溶液中を浮遊する。
- 嵐やひどい風の前には、固形分の一部が溶液の表面まで達し、大きな葉のような形になる。
引用:「ストームグラス」wikipedia
- 冬、特に雪や霜のときには、管の高い位置まで沈殿物が積もる。内容物はとても白く、浮遊する点状のものが見られる。
- 夏、とても天気がよく暑くなるときは、沈殿物は管の非常に低い位置までしか積もらない。
- 風や嵐が接近してくるときは、接近してくる方向の反対側のガラス管の壁に沈殿ができる。
とあり、真偽は分からないけれど面白いものだなぁ、と思ってみています。
窓際、玄関に置くと安定するなどの情報もあり、場所を変えながら様子を見ています。
結晶の変化の差は、温度、湿度、気圧などと言われますが、何が関係しているのでしょうね。
最後に
wikiを読むと「ビーグル号」*2や、小説『海底二万里』のノーチラス号にも搭載されていたということで、時代の息吹や「で、実際どうだったの?」という想像もふくらむ「ストームグラス」です。
家族からは「天気予報ならスマホやTVで見ればいい」と揶揄されますが、19Cや中世の錬金術への興味もあいまって、楽しんで観察しています。
そこだけまるで別世界のような「ストームグラス」の世界が好きな人はきっといるはずと思いつつ、以上、『山に雪が降るようなストームグラスを買いました』でした!ではまた!
【追記】
ブログを書いた後、小さいサイズも発売されました。
こちらの方が小ぶりで扱いやすいという長所もある。
『興味がない』は『愛情がない』ということなのかもしれない。人間関係はただ「愛」が全てなのかも。
「興味が無い」というフレーズ、ふつうによく使います。
「誰ソレに興味がない」「勉強に興味がない」「選挙に興味がない」「会社に興味がない」、というように。
私以外にも「興味がない」を使う人は多いのではないのでしょうか?
最近ふと思ったのは、「興味って一体なんだろう?」からの、
「興味がない」って、実は「愛情がない」にほぼ同じではないのか、ということでした。
①「興味が無い」は思考停止みたいでイヤだった
本当に若い頃、「興味ない」を多用していました。
「あれにも興味ないし。これにもそんなに興味ないし」、と。
実際にそうだったのかもしれませんが、ある時、はたっと思いあたりました。
「興味がないって、まるで「考えることすらしませんっ」て宣言してるみたい。「私、『思考停止』してます」って言ってるみたい‥」と。
それ以来、「興味ない」を多用することはなくなりました。
②『興味がない』は『愛情がない』ということなのかもしれない
「興味がない」について、それだけでは終わりませんでした。
会社や生活で出くわす嫌な人に対し、「あの人には興味ないから!」と心の中で憤慨して使っていました。
相手も同じように思っていたかもしれませんが‥。
そうして、自分が相手から「興味がない」と言われるのを想像して、やっとはたっと思い当たりました。
「あいつに興味がない」は、「あいつに愛情を感じない」に同じではなかったのかと…。
「興味がない」まではまだ「ははぁ」なのですが、「愛情を感じない」とまではっきり言われるとさすがにこたえます。
(愛情も親しみも湧かない人間で、ほぼ嫌いっていうことですもんね‥)
「興味がない」はとてもあいまい便利な言葉ですが、
実際は、「嫌い」に近い「感情」を含む言葉でもあったか、と。
そうすると以前、自分が書いたブログ、
などは、「人に対する愛情がない」「なかった」と公言しているようなもので、自分にとっては胸が痛い発見でした。
『愛の反対は憎しみではない。無関心だ。』(マザー・テレサ)
というこの言葉、目にされた方も多いと思いますが、
私の「興味(愛情)がない」は、この「無関心」に近いとても冷たいものである気がします(相手の存在を抹殺するような)。
…それ以降、『愛』ってなんだろう?と、その意味を調べるようになりました。
「哲学」での「愛」の意味は?「キリスト教」では?「仏教」では?‥というように。
はっきりとした答えを見つけれてはいないのですが、
シンプルに、「相手のことをまるで自分のことのように大切に思う気持ち」でいいのかな?と考えています。
最後に 『ただ愛こそが全てなのかもしれない』(自分がこんなことを書くとは思わなかったけど…)
ただ「愛情」だけが、人間関係を円滑にするのかもしれません。
そりゃね、相手だってバカじゃないから、言動の端々はしばしから「愛」の無さを感じてイヤになったりするのでしょうね。
こっちだって、相手の「愛」を感じられないと、これが相手への「憎しみ」に変わったりします。
相手の冷たい態度、疎外‥。
相手からの「愛」の無さが、普段の生活の「不快」の主な原因であった気がします。
すると、「嫌われてる」「憎まれている」位はまだましなのか?と。
(こちらからの「愛情」が足りてないので、相手も怒っているわけで‥。)
もしかすると、相手を抹殺する冷たい「無関心」よりは、まだましな状態であるのかもしれません。
ちょうど時期はクリスマスです。 何も持たない私は、せめて「愛情」を唯一の贈り物にするのがいいのかもしれないな、と思ったり。
相手に対する「愛」。 自分に対する「愛」。物に対する「愛」。対象は何だっていい。
「愛」のある素敵なクリスマスになりますように。
以上、『「興味がない」は「愛情がない」ということなのかもしれない』でした。ではまた!
『可愛いお守り集めました!』(愛知編その②)(津島神社・砥鹿神社・東照宮(鳳来寺山)・善光寺 東海別院・七尾天神)など
『可愛いお守り集めました!』(愛知編)の続きで、今年新たに頂いたお守りなどを中心に紹介しています。
津島神社、砥鹿とが神社、鳳来寺山(ほうらいじさん)東照宮、善光寺東海別院、七尾(ななお)天神などで頂いたお守りを載せました。
- ①「勝守」(津島神社・愛知県津島市)
- ②「本宮鈴」(砥鹿とが神社・豊川市)
- ③「東照宮」(鳳来寺山・新城市)
- ④「福銭」(豊川稲荷・豊川市)
- ⑤「善光寺 東海別院」(稲沢市祖父江町)
- ⑥「亀乗天神土鈴」(七尾天神・名古屋市東区)
- ⑦「勝守」(熱田神宮)
- 最後に
①「勝守」(津島神社・愛知県津島市)
津島神社のご祭神はスサノオ尊みことですが、上の「勝守」はそのスサノオノミコトが描かれた、切り絵の雲の色が美しいお守り。
手には八岐大蛇やまたのおろちを退治して手にいれた「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ(草薙剣)」が握られており、大蛇を退治した尊みことの武運にあやかれるかもしれません。
こうした「切り絵」のお守り、「真清田神社」(一宮市)でも見かけましたが、少しはやっているのかなー?と想像しています。
また津島神社には昔、大きな神社がそうであったように神宮寺じんぐうじがあり、今回初めて、神社の北側にある元神宮寺の「宝寿院」さんを参拝しました。
こちらでは「白蛇守」という白蛇の御守りを頂きましたが、この白蛇守は境内にある「泉龍神社」の竜神様の御守りで、ご利益は家運繁盛・金運とのこと。
また、宝寿院さんではカラフルな絵入り「御朱印」も人気のようで、発見でした。
◯宝寿院「絵入り御朱印について」
②「本宮鈴」(砥鹿とが神社・豊川市)
素ぼくで可愛いらしい土鈴のお守り。
本宮鈴って何だろう?ですが、神社の奥宮のある本宮山(789m)の地名からきており、本宮山はもともと神体山として信仰されていた山で、この山の神様が「砥鹿神社」の神様だといいます。
かってはこの本宮山の土で土鈴を作っていたそうで、今も同じ手法で作られていたら、さぞかし珍しい授与品であったろう!と思うのですが。*1
鈴は5個1組で、稲・麦・粟・キビ・豆の五穀を表し、陰陽五行の「木火土金水」の意味も持つのだとか。使い方としては、部屋の4隅に吊るして邪気払い・魔除けに。
また鈴を振ることで「五穀豊穣」を祈り、「五行の調和を整える」との説明がされていました。
上は「亀甲に卜象ぼくしょう」という*2、砥鹿神社のご神紋が面白いお守り。
鹿の角は本多忠勝?とも思ったのですが(三河だし)、神使が鹿であること。鹿に因む伝説があることからのようです(「砥鹿神社の伝説」) 。
③「東照宮」(鳳来寺山・新城市)
徳川家康の母・於大おだいの方が鳳来寺にお参りをし、家康を授かったという故事から、3代家光により建てられたのが鳳来寺山にある東照宮です。
家康のエピソードにあやかり、子宝・子孫繁栄のお守りを頂くことができます。
寅年、寅の日、寅の刻に生まれたいう伝説を持つ家康のお守りは、あいきょうのある「寅」の形をしています。
④「福銭」(豊川稲荷・豊川市)
豊川稲荷の福銭ふくぜにです。お財布に入れて、金運アップと商売繁盛のお守りに。
当山の授与品 | 豊川稲荷 豊川市 寺院 初詣 祈祷 精進料理 供養
⑤「善光寺 東海別院」(稲沢市祖父江町)
こちらは数年前に頂いたもの。長野や愛知などにはその土地の「善光寺さん」がありますが、祖父江町そぶえちょうにあるのもそうした善光寺の1つ。
長野の善光寺さんを模したお堂で、総本山と同じく地下の「戒壇巡り」を体験することができます。*3
祖父江善光寺の戒壇巡りでは、金色に輝く極楽浄土の再現(ジオラマ)が見られ、よそにはない驚きの光景となっていますが、この「戒壇巡り」をする人に頂けるのがこの畜光ブレスレット(プラスチック製)。
写真ではわかりづらいですが、うっすらと仏様の姿が浮かぶデザインとなっています。また仏様入りのネックレスは(ぐるぐる巻きで中はみれない)、総本山「善光寺」では見なかったもので、総本山と授与されるものに違いがあるのも面白いな~と思っています。
⑥「亀乗天神土鈴」(七尾天神・名古屋市東区)
なぜ亀に乗ってるのか?すごく不思議なのですが、この七尾天神には亀と天神様にまつわる伝説が伝えられています。
お話では文亀年間(1501-1504)に「池に7つの尾を持った亀が天神様(菅原道真)の木像をしょって現れ、像の周りを7回廻って姿を消した」といわれています。
7つの尾っぽのある亀を想像すると何だかユーモラスですが、神社の名前もこの伝説から「七尾天神」と名付けられています。
「亀乗り天神」の伝説も土鈴もよそではちょっと見ないな~と思うもので、名古屋の人間としては郷土愛を覚える可愛い授与品です。
⑦「勝守」(熱田神宮)
たくさんの「お守り」があって選ぶのにも一苦労な熱田神宮さんのお守りですが、
上は「勝守」というお守りでブレスレット代わりに身につけます(小さな本体のお守り部分もあり)。
こうした「5色の紐」を使ったお守りは結構あるのですが、色鮮やかで何度見ても可愛いな~と思うものです。
お札・お守り | 初えびす 七五三 お宮参り お祓い 名古屋 | 熱田神宮
最後に
ということで、今年頂いたものを中心に紹介しました。気になるものがあれば嬉しいな~と思いつつ、以上、『可愛いお守り集めました!』(愛知編その②)でした。ではまた!
「名古屋のマイナースポット 塩付街道を歩く」お馬さんが海岸から塩を運ぶ道・中馬ちゅうま(冨部神社・笠寺観音)
先日、名古屋市を南北に通る「塩付しおつけ街道」という旧道を歩きました。
塩付街道の魅力と道中立ち寄った「笠寺かさでら観音」「富部とべ神社」なども合わせて載せています。
- 「塩付街道」のルート
- 「塩付街道」とは?
- 【魅力 ①】「高低差」
- 【魅力 ②】「お馬さんの行く道」
- (道中寄り道①)「あゆち水」
- 【道中寄り道②】「冨部神社」と蛙(南区呼続)
- 【道中寄り道③】「笠寺観音(笠覆寺)」(南区)
- 最後に
「塩付街道」のルート
塩付街道は、名古屋を南北に縦断する街道で、その区間は古出来町こできまち(名古屋市東区)から星崎ほしざき(南区)です。
また、実際に「塩付街道」を歩きたい方には、Yamarecoの「塩付街道を歩く」がおすすめで、ルートも詳細、1つ1つの記録が丹念でとても参考になります。
「塩付街道」とは?
お馬さんが塩を乗っけて運んだ道でした。
星崎の浜で製塩した塩*1を古出来(集荷場があった)まで運び、ここで積み替え、さらに長野などの奥地へ運んだといいます。
その距離約10kmほど。昔の人の「中馬」のペースが分かりませんが、3時間位で行ったのかな?細い道のウネウネとした旧道らしい所も残っています。
【魅力 ①】「高低差」
毎回、北から南へ向かって歩くのですが、これは海へ歩いて行く感じが分かり、楽しいからです。
どんどん地面が下がっていく=海へいくを体感することができ、この高低差が塩付街道ならではの魅力となっています。
今回は、スマホアプリ「正確な高度計」で測りながら歩いてみました。
【上段】「GPS高度計」(数字が得られないことも多い。)
【中段】「場所ベースの高度計」(スマホから現在位置を測定しているらしい。正確と説明される。)
【下段】「気圧高度計」(圧力センサーを使用。こちらも正確と説明される。)
しかし、3者3様の数字を出してくるのでとまどいます(「場所ベース」の数字が一番近いのか?)。
途中、台地の真ん中を感じるところもあり(左右の両端が下がっている)、高台を通る昔の道を想像しながら歩きます。最終的に、だいぶ下がりました。
3mは妥当な感じもしますが、どうでしょ。
【魅力 ②】「お馬さんの行く道」
ちょこちょこと出くわすのが、馬頭ばとう観音やお地蔵さん。
馬頭観音は「中馬ちゅうばの道」ということで、道中安全であったり、牛馬守護の為であったかと思いますが、昔の人はいったいどういう気持ちでお参りしていたのか?
正直、想像するにはもはや隔世の感がありますが、点々とある痕跡を拾っていきます。
馬頭観音は、観音様の化身の姿とされ、馬の頭をのっけた怒った顔で表現されます。馬つながりから、馬(動物)を守護をする仏さまとして厚い信仰があったようです。
ということで、高低差を感じながら、あっというまに、かって製塩をしていた星崎までやってきましたが、現在ではここから海ははるかに遠くです。
かっては、下の星宮社の前でも製塩が行われていたというが。
下記ブログでは、星崎におちた隕石の伝説と星宮社(ほしみや)、呼続神社(よびつぎじんじゃ)について載せています。
ということで、塩付街道は高低差と点々とある祠などをたどり、(昔の)海へいきつく街道となっています。
また、以下は少し寄り道をしています。興味のある方はみてみて下さい!
(道中寄り道①)「あゆち水」
昔あった名水の跡地(伝承地)です(今湧水はない)。
愛知の名前の由来という「あゆち(年魚市)潟」は、この辺り一帯の遠浅の海を指しましたが、風景激変で、海なんて見えたの?という感じ。
また、「あゆち」の名の名残りは、阿由知あゆち通り(昭和区)などにも見ることができます。
【道中寄り道②】「冨部神社」と蛙(南区呼続)
この冨部とべ神社のあるところは、東海道沿いではないのか?と思いきや、この付近を塩付街道の起点とする説明もあります。
塩付街道は単純に1本の道では無く、複数の地点から塩が運ばれたと考えられている。
さて、東海道に賑わいがあった時代、冨部神社で蛙の郷土玩具のお土産を売っていたと聞いたことがありますが、今でもあるのか?ちょっと寄り道します。
見たところ、蛙細工は発見できませんでした(聞けばよかったかな?)。
瓦職人が余暇に作って売っていたということですが、昭和50年代には消えてしまったのだとか。
近年、復刻したものが授与されているという記事を見ていたので少し残念でした。
さて、なぜ蛙か?ですが、戦国時代ここにあった戸部城の城主のエピソードによるもので、城主・戸部新左エ門は、今川義元方の勇猛な武将で自分の前を横切る者を「無礼者!」と切り捨てることもあったのだとか。
ただ前を横切る蛙はさすがに切り捨てることができなかったという話があり、そこから「無事かえる」につながる玩具が作られ始めたといいます。
【道中寄り道③】「笠寺観音(笠覆寺)」(南区)
【所在】名古屋市南区笠寺町上新町83
ちょうど今、お寺は工事の真っ最中でした(令和4年まで)。また、本尊の11面観音は秘仏で、8年ごとの開帳(次回は2023年)があり、次回が期待されます。
雨の降る日、野ざらしの観音様に笠をかけてあげたというお姫様の伝説(平安時代)があり、そうしたお話から笠がこのお寺のシンボルとなっています。
最後に
ということで、少し地味な印象の旧道「塩付街道」を歩きましたが、今は名古屋の人も通しでは歩かない、知る人ぞ知る道となっています。
しかし、塩付街道の目的地・笠寺かさでら台地や、名古屋のある熱田あつた台地は、台地の起伏で昔の尾張の国をおぼろげに示してくれています。
空襲で焼け跡となり、埋め立てで海岸線は遠くなり、かってとは激変してるのはありますが。
というわけで、『名古屋のマイナースポット 塩付街道を歩く』でした!以上です、ではまた!
「隕石」のペンダントを買う、本物かは分からないが。(売られている隕石アクセサリー・ギベオン隕石・パラサイト隕石)
先回ブログで、隕石の落ちた場所を訪れました。
そうしたこともあり、隕石が欲しくなり、ペンダントを買ってみました。
隕石って黒っぽい鉄の塊りのイメージがあったのですが、探すうちに色々と種類があることも分かりました。後半は、隕石の種類についてを載せています。
- 購入①「ギベオン隕石」のペンダント
- 購入②「パラサイト隕石」のペンダント
- 購入③紅紀丁隕石
- どこで隕石アクセサリーを買うのか?
- 種類①「鉄隕石」
- 種類②緑色の天然ガラス「モルダバイト」
- 種類③「ギベオン隕石」(鉄隕石)
- 種類④「パラサイト隕石」(石鉄隕石)
- 最後に
購入①「ギベオン隕石」のペンダント
さて、さっそく買ってみた1つ目が下の「ギベオン隕石」です。
【サイズ】縦3.6cm×横2.6cmのオーバルタイプ
【値段】数千円ほど
独特の格子模様・ウィドマン シュッテンテンがあまりに綺麗に出すぎていて(本当に本物なのだろうか?)と動揺を覚えるほどです。
綺麗な「ウィドマン」を出すためには少し研磨して酸につけ、最後に錆止めのコーティングをするのだとか。
アクセサリーにした「ギベオン」はこうした処理のせいで、綺麗にピカピカと光っています。
購入②「パラサイト隕石」のペンダント
続けてもう1つ買ってみた、こちらは「パラサイト隕石」。
【サイズ】直径2.5cm 【値段】1万ほど。
石と鉄が混じった石鉄隕石のパラサイトは、みためがもっとも綺麗と思う隕石の1つですが、商品が届いた時、ちょっと微妙な感じでした。
ネットの写真と違い、黒くてすごく地味!
(亀の甲羅の破片が浮かんでるみたい。ちょっと気味が悪い‥)というのが正直な感想でした。
写真は強い日差しをあてているので色目も分かりますが、普通につけてたら、なんか黒い点々ペンダント。
「パラサイトって難しいなぁ」と思いました。
値段に差があるのも納得です。
緑のペリドットがたくさん浮かぶ、万華鏡のように綺麗なものもきっとあるのでしょうが、写真での判断は危険というか、難しいというか。
高額なパラサイトはお店で確かめて買うのをおすすめします!
また、見た目の美しさに加え、パラサイトはとても稀少で、それが値段にも反映しているようです。*1
購入③紅紀丁隕石
こちらは後日、購入した中国の「紅紀丁隕石」。
【サイズ】3.2cm×2cm【値段】800円(ヤフオクで)
この隕石についてはなんとなく買ったので、実はよく知らないのですが、写真のように綺麗な赤をしていて、「これ隕石?」と少し驚くものです。
商品説明には、「新疆ウイグル自治区、ゴビ砂漠で近年発見されたもの。火星を起源とした隕石といわれる。」とあり、値段も安いし、綺麗だし、火星というのがロマンがあるし、ちょっと面白いな、と思っているものです。
どこで隕石アクセサリーを買うのか?
どこで買うか迷いました。そりゃ信用できる石のお店などに出向き、買うのがいいんだと思います。
専門店の「東京サイエンス」さんなどでも取り扱いがあり、そういうところだと確実かと。
またネットでも買えますが、値段もピンキリで写真数枚では「分からない」というのが実際のところ。
「鑑定書」がつくわけでもなし(20万もするようなものにはついてるけど)、ニセ物もあるといいます。そもそも、隕石かどうかの判断は専門家でないと難しいと書かれていました。
リスクがあるのは承知で、私はお店のレビュー等を参考にネットで買っています。
【ネットで売られる隕石】
後半はネットで売られる隕石の種類について載せました。必要のない方は飛ばして下さい。
種類①「鉄隕石」
隕石というと、上の写真のような鉄の塊のイメージがあります。「鉄隕石」といわれ、いかにも隕石ぽくこれはこれで面白いもの。
また、知人が持っていて「隕石だよ」と教えてくれた緑いろの石がありますが、それが下記のモルダバイト。
種類②緑色の天然ガラス「モルダバイト」
てっきり隕石と思っていたこのきれいなモルダバイトですが、調べてみると隕石本体ではなく、隕石によってできた天然ガラスでした。
隕石が落ちた際、地表の物質が高温により溶け、生成された物質ということで、チェコのモルダウ川流域で採れることから「モルダバイト」と呼ばれています。*2
確かに、癒しの緑色でアクセサリーにうってつけな感じ。
種類③「ギベオン隕石」(鉄隕石)
ギベオンは、ニッケルなどを含む鉄隕石で、表面に「ウィドマン シュッテンテン構造」という格子状の模様を持っています。*3
鉄とニッケルが超高温で溶け、超長時間かけて冷却する際に2つの物質の冷却速度の違いが模様になるのだとか。
ナンビアのギベオンに落ちたことから、ギベオン隕石と呼ばれ、この名で売られているものをみかけます。
地上のものと思えない、宇宙ぽいSFぽい、隕石らしさ満点の石で、1つは手に入れたくなるもの。
ロレックスの文字盤には、この「ギベオン」を使用するものも(デイトナなど)。
種類④「パラサイト隕石」(石鉄隕石)
石と鉄が混じった「石鉄せきてつ隕石」という種類で、石の部分にかんらん石を含んでいます。*4
言われてみると鉄と石が混じり合うこと自体無い気がしますが、説明によれば「低重力の中で生成される」との話。
「パラサイト」はテリーヌのような、ステンドグラスのような、不思議なみための美しい隕石です。*5
ということで、売られている隕石には上記のような代表的なものがあり、
また、隕石は、①鉄隕石 ②石鉄隕石 ③石質隕石の大きく3つに分類され、さらにそこから細分化されるということも分かりました。
最後に
というわけで、隕石アクセサリーをいくつか買ってみました!
本物かどうか?ということはもちろん気になるところですが。
そういえば、誰でもできる「隕石」の見分け方があります。それは持ってみると異常に重いというもの。ただ、アクセサリーの場合、ペラペラにスライスしてたりするのでその重さがよく分らないという(悲)。
また隕石に興味のある方は、科学館や博物館に実物の展示があるので、そうした展示をとっかかりにするのがいいんじゃないかな~と思っています。
私も隕石に興味を持ったのは、科学館で大きな「ナンタン隕石」*6をさわらせてもらい、「隕石って面白い!」と思ったのが始まりでした。
ということで、『隕石のペンダントを買う。本物かは分からないが。』でした!以上です、ではまた!
星が降る土地「星崎」【落ちた隕石を御神体にする「喚續よびつぎ神社」、隕石の伝説】(名古屋市南区星崎)
星が降ったことからその名がついたと云われる星崎ほしざき(名古屋市南区)。
複数回の隕石の伝承があり、江戸時代に降った「星の石」は、呼続よびつぎ神社のご神体となっています。
ご神体の隕石こそ見れませんが、ロマンを感じる星崎の周辺とお土産を紹介したいと思います。
[http://:title]
①「喚續よびつぎ神社」
神社の創建は1523年(大永3)で、天照大神などをお祀りしています。
「喚續神明社しんめいしゃ」という名前の通り、お伊勢さんと同じ神明造りで建てられています。
縁起によれば、「神社西の海岸堤防が何度も決壊し、お伊勢さんに1万回のお祓いをしてもらったところ、神徳があって堤防が完成した」とのことで、
いっ、1万回のお祓い?にびっくりしますが、神社はそのお伊勢さんの方を向いて建てられています。
さて、1632年(寛永9)の旧暦8月の話です。
深夜に塩田で塩造りをしていると、突然、隕石が空から降ってきたといいます。
落ちた「星石」は、庄屋さんの家に保管されていましたが、1829年(文政12)にこの喚續神社に寄進され、同社のご神体となり、今に至っています。
実物を見れると嬉しいのですが、写真などで見ると重量約1kg、大きさは約14㎝×8㎝×7㎝で、
落ちた場所の名から「南野みなみの隕石」と呼ばれています。
隕石の写真など、下記サイトのスライドで見ることができます。
ちなみに「喚續社」の隣りは名古屋で有名なおそば屋さんの「紗羅餐さらざん本店」。上品なお蕎麦で人気のお店で、「喚續社」とセットで訪れるといいかもしれません。
②「星宮社」と尾張氏おわりうじ
上の写真は、喚續社の近くにある「星宮社」(ほしみや・ほしのみや)で、こちらも「星」の伝説のある神社です。
社説では637年(舒明天皇9年)、「七星が降り、神託があったので社を建てた」という説明がされています。
「七星が降り」などという文言を読むと、後から妙見信仰*1が入ってきたのかな?と思えます。
星宮社のご祭神は、星の神社にふさわしく、星神・天津甕星あまつみかぼし神を祀っています。
上は、境内にある上下「知我麻ちかま神社」で、熱田神宮にも同じ名前の神社があるのですが、その元宮ともいわれます。
今は「星宮社」と呼ばれますが、古くからあったのは、この知我麻神社の方かもしれません。
というのは、もともとこの辺りは、松巨嶋(まつきょじま・まつごじま)と呼ばれた島状の土地で、尾張の古代豪族・尾張氏おわりうじが住んでいた場所といわれているからです。
ここから近い熱田神宮そばの白鳥しらとり古墳(6c初)、断夫山だんぷざん古墳(6C前)などの埋葬者も尾張氏とされ、上知我麻社に祀られる「乎止與命おとよのみこと」も同じ尾張氏です。*2
尾張氏が住んだこの星崎の地は、当時は星がよくみえる風光明媚な岬だったのかもしれません。
③なぜ、星崎には隕石伝説が多いのか?(星崎の地名と伝承)
星崎の地名は、平安時代の記録にはすでに見えるといいます。*3
星が落ちた出来事・伝説が、星崎の地名の由来といいますが、複数あるので年代順に書いて整理してみます。
① 637年(舒明天皇9年) 七星が下り、神託があって「星宮社」を建てた。*4
② 935年(承平5年) 隕石が落ちた伝承がある。*5
この中の③は注目してもいいかもしれません。日付がはっきりしていることと、海中に落ちたので隕石の回収はできなかったのかもしれません。
なぜ、星崎ばかりに隕石伝説が残るのか不思議だったのですが、こうしてみると、やはり岬の突端で星がよく見えたこと。
また、星崎は塩田が盛んで、昼夜関係ない作業の中、流れ星などを目にする機会が多かったのも理由であるかもしれません。
④星崎のお土産
さて、最後に星崎のお土産を紹介したいと思います。
隕石があれば1番嬉しいのですが、昔の製塩に因んだお菓子を買ってきました。*8
両方ともほどよい甘さで、柔らかくてとても美味しかったです。
「温石おんじゃく」って隕石のことかな?と一瞬思ったのですが、昔、カイロの代わりにしたり、製塩の際に使った石のことなのだそうです。
昔に思いを馳せつつ、美味しく頂きました!
こちらは本星崎町の「本松」さんというお菓子屋さんで買うことができます。
最後に(星降る土地)
というわけで、星崎の地名に関連する喚續神社、星宮社を見てきました。
私の他にも隕石伝説にロマンを感じる人はやはりいるようで、同じ目的で「星崎」を訪れる人もいると聞きました。
こんなに複数の伝承があるので、もっとアピールして町起しに使ってもよさそうな気もするのですが!
ということで、以上、『星が降る土地・星崎』でした。ではまた!
行き詰まる、何もしたくない、やる気が出ない、無気力、全てのことに飽きた時は一体どうしたらいいのか?
「行き詰る」ということってないでしょうか?
人によって「行き詰り」の中味は違うかと思いますが、私の行き詰りは「もう何もしたくない!」「何にも興味が湧かない!」「全てに飽きた!」「毎日同じ繰り返し!(マンネリ?)」という類いのものです。
これはたまにやってきます。特に毎年12月はこうした末期な気持ちになり、ついでに風邪を引き、寝込んだりする始末。
今回はこうした「行き詰り・無気力」についての対策を書いていきたいと思います。
- 行き詰まりの症状「何もしたくない」「全部飽きた」
- 年齢的なものもある 「目新しいものは何もない気がしてしまう」
- とりあえずの対策①「寝る」
- とりあえずの対策②「時間がたつのを待つ」
- 対策③「自分の1番好きなことをする」
- 対策④「新しいことをやる」「別人格を生きる」
- 対策⑤「意味のないこと・理由のないことをしてみる」
- 対策⑥「やる気のある人間」を観察する。そして、何が今1番楽しいのか?を聞いてみる。
- 最後に(明日という日を取り戻すために)
行き詰まりの症状「何もしたくない」「全部飽きた」
それまで興味のあったものにも「シーン‥」という感じ。
気力が落ちたのか、心が疲れたのか。
【自分の場合】
- 「食べ物も要らない!」(そもそも「食」にあまり興味がない)
- 「近場に出かけるのはもう飽きた!」(これはコロナのせいですが)
- 「ポータルサイトの記事もつまらない!TVも面白くない!ネットの情報過多にもうんざり!」
- 「毎日同じことの繰り返し!」「毎回のごはん作りももうイヤ!」
- 「欲しいものも無い!」
というような感じで完全に行き詰っています。やさぐれています。
年がら年じゅう、目的をもち、明るい気持ちをもって興味のあるものを追いかけていけるわけではないので、やっぱり不完全なポンコツ人間だからしょうがない、というのはあるのですが。
年齢的なものもある 「目新しいものは何もない気がしてしまう」
「いろんなことに飽きた」「興味が湧かない」というのは、年齢的なものもあると思っています。齢をとり、そこそこ経験してきたのもあり、色んな事に飽きてしまうようです。
「あれもやった、これもやった」「それも知っている、これも聞いた」「もうそんなに面白くない」「目新しいことは無い」というような。
体とともに心も若さを失っている?
私は傲慢で退屈な老人みたいになってしまっているのかもしれません。
こうして書いていて、
「世の中が退屈なのではなく、人生をつまらなくしているのは自分」
と少し恥ずかしい気がしています。
とりあえずの対策①「寝る」
「なにもしたくないんだから、寝たらいいじゃん」ということで寝てみましょう。
ひたすら寝ます。冬だし、いつもより長く睡眠をとってみることにします。
確かに。これで治る場合も。
でも、今回の「無気力の病」はなかなか手強く、寝た位では解消されません。
起きても、寝る前と変わらずやる気の出ないそういうバージョンの時もあります。
(体の疲れでもないみたい?)
とりあえずの対策②「時間がたつのを待つ」
いつかは解消するだろうから、「時間がたつのをひたすら待つ」という。
確かにいつかは解消されるでしょうが、それがいつかは全然分かりません。
(かれこれ2週間くらいこんな感じですけど。)
しかし、これでは時間がもったいなさすぎる。強制的にでも自分を動かさなければ。
(誰かが喝破かっぱ*1してくれるといいんだけどなぁ)と都合のいいことを考えたり。
でも、大人の自分を正面から叱りつけてくれる人は誰もいません。
結局、「自助(自分で自分を助ける)」しかないのです。2-3日寝て治らないなら、もう自分でどうにかするしかありません。
対策③「自分の1番好きなことをする」
自分の1番のお気に入りを引っ張りだし(本でも映画でも服でも何でも)、もうそれしかしないという方法。
もともと愛着・愛情があるものだから、たしかに感情は少しづつ蘇ってきます。
対策④「新しいことをやる」「別人格を生きる」
「今までの日常に飽き果てている」のですから、「新しいことをやる」「したことのないことを敢えてやる」のもいいかも。
新しいことってもう何でもいいのですが、いつもは着ない服を着るとか、いつもは食べないものを食べるとか、いつもと違う道を歩くくらいのレベルの低さでもいいんじゃないかな。
(あまりに行き詰った私は、室内を後ろ向きに歩いてみたりもしました。)
また、会社の人間に対して、まるで今日初めて会った人間のように振舞うのかもいいかもしれません。自分にも飽き果ててるのだから、これを機に「新しい人格を生きる」のもアリかと。
対策⑤「意味のないこと・理由のないことをしてみる」
普段の生活では、自分にとって「意味のあること」「理由のあること」しかしないという人も多いのではないでしょうか?
「効率化」とか「時間短縮」とか「スムーズ」とか、「それって意味あるの?意味がないのならやめておこう」とか、そういうことばっかり考えているから、私はなんか疲れてくるのかもしれません。
そうして疲れてやさぐれて時間をムダにしているなら、普段やらない「無駄なこと・意味のないこと(?)」をいっそのこと、この機会にやってみてもよさそうです。
「ただただ夕日を追いかける」
「川の上流へひたすら歩いていく」
「全く知らない人の話をじっくりと聞いてみる」
などなど。
対策⑥「やる気のある人間」を観察する。そして、何が今1番楽しいのか?を聞いてみる。
人にヒントや熱をもらうやり方です。
私の場合まず家族を観察して、質問をしてみました。
「今、何が一番楽しいのか?」という問いに「八村塁」という答えが返ってきました。
うーん、これは驚いた、というのが正直なところ。
この八村塁の話はかれこれ数ケ月聞かされています。毎日、長い時間動画を視聴して楽しんでいることも知っています。
(えぇ、いまだに⁉)と思ったのですが、
そこで気づいたことは、私はどうも「消費が早すぎるようだ」ということでした。
すぐに結論だけ知りたがる。飽き性でパッパッと見てすぐ飽きる。分かったつもりになってもうお終い。
いくら「面白いもの」があってもそんな速さで消費してしまっては、いくらあっても足りないのかもしれません。
(私はアリのエキスだけを吸うアリジゴクみたいな生き物なのかもしれません。チュチュっと吸ってすぐペッみたいな。)
「好きなものへの愛情も感謝もまるで足りてない」
「好きなものはもっと時間をかけて、じっくりと楽しもう」
と、少し自分を見つめ直す機会にもなりました。
(こうした身近な人間でなく、『ガイヤの夜明け』『情熱大陸』に出てくる、熱のある人から熱をもらうのもけっこう効きます。)
最後に(明日という日を取り戻すために)
ということで、しばらく続く「無気力」「やる気が出ない」「全てに飽きた」「マンネリ」を解決するため、自分なりに方法を考えてみました。
もちろん「解決法」は人それぞれ(ほかに「好きな曲を聴く」とか「名言を読む」とか「運動をする」などもよく聞きます)。
こうして最後まで読んで下さった方は、きっと「全て飽きた、やる気でない」が思い当たる方ではないのかなと思っています。
周期的にやってくる「行き詰り・無気力問題」。寝ても解消しない強力な無気力に直面した時、いったいどうするか?を今回は書いてみました。
この記事を読んでも全解消にはならないかもしれませんが、何か1つでもかするものがあれば幸いだと思いながら、
『行き詰まる、何もしたくない、やる気が出ない、無気力、全てのことに飽きた時は一体どうしたらいいのか?』でした!以上です、ではまた!
*1:本当の正しいことをいってくれて、叱ってくれて、導いてくれる。
「先祖のルーツを探す。自称・森蘭丸の一族」(蓮台城跡)(岐阜県笠松町)
ご先祖様が何をしていたのか?どこにいたのか?
自分の「先祖」について興味のある人は多いのではないのでしょうか?
私は長年、この件について放ったらかしにしていました(興味も無かった)。
しかし、年々聞ける人が居なくなり、このうえ両親が亡くなれば、さらに追うのは困難になる限界ぎりぎりの今、自身の先祖を追いました。
先祖の追い方
◯聞けるうちに親族に聞いておく
ご先祖のことをチラッと聞くことありますね。一番よく知っているだろう祖父母や両親、親類、本家などに話を聞き、忘れないように書きとめておくのがいいと思います。
私は、祖父母に先祖を聞く機会を永遠に失ってしまったことを残念に思っています。
◯「戸籍」をさかのぼる
「遡れるだけ、遡りたい」という意図を役所に伝えるとその分を出してくれます。
どっかで「これ以上出ない」と打ち止めになります。
本籍を移してたりすると、その前にいた市区町村に請求していくことになり、移っている場合は少し手間がかかります。私の場合、父方は5ケ所に請求することになり、少し大変でしたが、父方母方とも明治の途中まで遡ることができました。
◯現地へ行き、近所に聞き込みをする。
ということで、
①母方の「森氏」を追う
今回は、母方の森氏を追います。
母いわく「森蘭丸の一族」と言っていたので、「またまた~」「森なんて名字いくらでもいるでしょ~」と本気にしていませんでした。
「何か伝わっているものは?」と聞くと、「明治24年の濃尾地震で全て無くなったらしい。曽祖母1人残して生き残りは誰もいない。」とのことで、
全く証拠のない「自称・森蘭丸の一族」なのですが、母があまり真剣に言うのもあり、謄本を遡って取り寄せてみることにしました。
【謄本を見て分ったこと】
◯追えるのは曽祖母まで(それ以前のことは「曽祖母」の両親の名前程度。)
◯その曽祖母は明治の初め、愛知県一宮市萩原で生まれ、明治19年、戸主を相続。*1*2
くらいでそこに住んでいたということが分かる程度だったのですが、
調べると、この近くの岐阜県・笠松町田代たしろには森蘭丸の祖父の城があり、代々居住をしていたことも分かりました(距離が近いため、同族であった可能性はありそうですが)。
ということで、明治以前にもご先祖が住んでいただろう萩原町と、森蘭丸の祖父が居住した笠松町・田代の城跡へ行ってみることにします。
②森氏の居城・蓮台城跡
[http://:title]
さて、実際に一宮市・萩原町の以前の住所に行ってみると、は現在は田んぼ、住宅が少しといった感じの場所になっていました。あまりに何もなかったので、今回写真も撮らずでした。
明治24年の当時、隣の起(おこし)も家屋は全壊という話だったので、この辺りも恐らく同じような惨状だったのかな?と思いつつ、
ここから数km歩き、森氏の居城へ向かいます。
この城あとは現在、「森越後守居城跡」と呼ばれています。しかし、城跡の碑などはなく、探すのに大へん苦労しました。*3
地元の方に「多分ここ」と教えてもらったのですが、いまだに半信半疑で、場所は下の地図の白髭神社の側になります。
[http://:title]
下の写真が城址のふきん。
城の何かが残っているということはない様子でしたが、でも、お向かいのお家をみると、なんと「森」と書いてあるではないですか!
地元の方に聞くと「ここは森姓多いですよ」との嬉しい答え。この辺りに住む森さんこそ、森蘭丸の血に近ったりして。
①この「田代」という場所は、以前は蓮台れんだいという地名で「蓮台城」という城があった。
②城主・森家はもともとは土岐氏に仕え、暦応年間(1338-1341)から200年、ここに居館を構えていた。
③(森氏の系図によれば)森泰可(蘭丸の祖父)が住んでいた(1501-20年頃)。
とあり、また蓮台は、
「天正14年(1586年)の木曽川洪水により流れが変わるまでは尾州に属し、尾張・美濃国境に在り両国の鬩せめぎ合いの地であった。」
引用:『戦国の雄 森一族と居城美濃金山城の軌跡』金山歴史同好会2016
とあり、かってはここは国境沿いの重要な土地であったことが分かりました。
「森一族(美濃森氏)」で有名な3人
ここで、蓮台寺城生まれとされる有名な3人をとりあげたいと思いますが、
あまり興味のない方はここは飛ばして下さってもかまいません。
①森可成よしなり
森可成(よしなり・1523-70)は信長より11歳年上。
最初期の戦い(桶狭間の戦いなど)から共に戦い、信長の信頼が厚かったといわれています。中美濃攻略のために奪取したのが美濃の金山城かなやまじょう(岐阜県・可児市)で、蓮台城からこの金山城に居を移しています。
さらに転戦を重ね、最後は京都と岐阜のラインをつなぐ重要拠点宇佐山うさやま城(滋賀県大津市)を任されますが、大軍の浅井・朝倉連合軍を相手に城を死守するため、自らは撃って出、討ち死にをしています。
この可成の死を信長は大変嘆いたと言われ、その子・蘭丸(正しくは「森乱」か)の登用はこの旧臣への哀惜もあったのでしょうか。
②森長可ながよし
長可(1558-84)は、蓮台城で可成の次男として生まれています(長男は戦死)。
1570年、父の戦死により、13歳で家督を相続し、織田信忠配下の武将として長篠の戦い、武田攻め、越後侵攻に活躍しています。
本能寺の変後は金山城に戻り、東美濃の鎮圧に努め、1584年「小牧・長久手の戦い」では、岳父の池田恒興とともに秀吉陣営につきますが、討ち死をしています(26歳没)。
勇猛果敢な逸話が多く、「鬼武蔵おにむさし」という異名で知られています。
③森蘭丸
可成の三男として、蓮台城に生まれています(金山城で生まれたという話も)。
12歳で信長の小姓となり、下2人の弟(坊丸、力丸)ともに信長の寵愛を受けます。
また短い間ですが、美濃・岩村城の城主にもなっています。
そして本能寺の変では、2人の弟ともに討ち死をし(1565-82・17歳没)、可成寺境内にお墓が建てられ、供養をされています。
こうして、森家の男児はほぼ討ち死したのですが、末弟・忠政(1570-1634)のみが戦国時代を生き残り、最後は美作・津山藩藩主となっています。
この末弟・忠政も信長の小姓として仕えていたのですが、粗暴を咎められ、幼少を理由に親元に戻されており、これが無ければ、森家の兄弟全員が戦死していたわけで、戦国時代とは‥という。
最後に
ということで、戸籍にあった土地とその近くの森家の城址を見てきました。
歴史上有名な人物とつながりがあったら嬉しいな、と誰しもが思うと思います。
でも逸話が残るだけで、会ったことも話したこともない昔の人の話。
実際会ってみたら想像とまるで違っていたということはよくあることで、歴史上の人物に憧れすぎは禁物かなと思っています。
また、永遠に「謎」のままだからこそ、飽き性の自分がこんなにも長い間、歴史に興味を持てるのだろうとも。
(もし、歴史上の人物を目の当たりにすることができ、「謎」が分かってしまえば、飽き性の私はとっくに興味を失っているような気がします。)
本当に最後に、結局のところ「自称 森蘭丸の一族」のままでした!
何の解決もないままに長々とお付き合い頂いて、本当にごめんなさい!
将来、日本でもDNA検査でもっと簡単に「自身のルーツを調べること」ができるようになるのかな?と想像をしているのですが、なんだかまだ先の話の気がします。*4
DNAの解析で「森蘭丸と繋がりなかったなぁ」とか、「あれっ、逆にこの人と繋がりがあるのかぁ」と解ったら楽しそうだと思いながら、以上、
『先祖のルーツを探す。自称 森蘭丸の一族』でした!ではまた!
「可愛いお守り集めました!番外編」【御守年賀(郵便局)、お守りかもエール、青森の久光社】など
郵便局の「御守年賀」「お守りかもエール」をご存じでしょうか?
郵便局のサイトから無料でダウンロードでき、お守りの形になり、メッセージを書きこめるというものでしたが、2021年の正月はどうも無いらしい、ということに衝撃を受けています。
今回はこれまでの「御守年賀」をあげ、後半にその他、可愛い「お守り」の形をしたものを少しだけ載せたいと思います。
「御守年賀」「お守りかもエール」
これらは2018年正月頃から、正月前と夏の年2回、郵便局のサイトにアップされていた無料テンプレートでした(掲載期間は数週間だったように思います)。
毎回10種以上のデザインがあり、自分でダウンロードし、ハガキに印刷して人に送ることができました。
折れ線にそって折っていくと、「お守り」の形になります。
ハガキだと厚紙のため折りにくく、お守り自体もだいぶと小さくなりました。
また自分で画像やデザインを取り込んで、オリジナルデザインの「お守り」を作ることも可能でした。
季節感あるデザインが素敵で毎年楽しみにしていました。しかも無料という有難さ。
でも、2021年の正月はどうも無い様子(ショック)。
悲しいですが、今あるものをあげて偲んでいきます。
2020年度正月が最後だったのでしょうか?
今夏は無かった?記憶が定かではありません。郵便局でも聞きづらいし(困惑)。
こうしてサービスが終了したらしいことを日本で一番悲しんでいるのは私かもしれません(?)
さて、この他にも「お守り番外編」ということで、その他「お守りの形」をしたものを少しあげたい思います。
寺社のお守りではなく、ネットやお店で販売されているお守りですが、売られているだけあってどれも可愛いいのですが、見だすときりがなかったりして。
①「芽恋袋」(久光社・青森県)
リンゴ豆絞りというオリジナル生地があまりに可愛くひとめぼれ。また制作元が青森というのも嬉しいポイント。
「恋が芽生えますように」という願いがかけられているということでした。*1
ちなみに、この久光社きゅうこうしゃさんのりんご柄グッズは他にも色々なアイテムがあり、トートバッグなどりんごのドットが尋常じゃないほど可愛いです。
②渡辺人形の「お守り袋」(愛知県豊川市)
以前、豊川稲荷(愛知)を訪れた際、お稲荷さんのぬいぐるみが売られているというので渡辺人形さんというお店に寄りました。
この’お稲荷さんぬいぐるみ’の他にもお店で使う金襴きんらん生地を使ったグッズが各種あり、立派な生地にひかれて1つ買いました。こちらは純粋なお守り袋(500円ほど)。
そういえば、寅さんが首から下げていた印象的な紫のお守りもこんな金襴生地を使ったお守りだった。
③「大神」のお守り(カプコム)
アニメグッズで、「お守り」が売られることもあります。
カプコムのゲーム「大神」のお守りがかって発売されており、欲しくて色々と探したのですが、時期が遅すぎてこれは入手できなかったもの。
個人的に幻のお守りとなっています。
写もを借りてこれないので、NO写真で申し訳ない。上のような「大神」が描かれたデザインでした。
④お守りのかたちをした文具
最近、100均でみつけたありそうでそんなにはない「お守り型のふせん」。全然文字が書けないのですが(特に右)、見る度にカワイイーと思うものです。
最後に
「御守年賀」「お守りかもエール」は数年に渡り、サービスを提供してくれたのでしばらくお休みという塩梅なのかもしれません。
年末年始の楽しみが1つ減ってしまい、大変残念なのですが、これ以外にもDLできる無料サービスなどないか探してみようと思案中です。
また、寺社以外のお守り(お守りの形をしたもの)にまで手を広げると際限なくなってきてしまうのですが、できる限り情報を集めて、また素敵なものがあればあげたいなと考えながら、
『可愛いお守り集めました!』の番外編でした!以上です、ではまた!
*1:どこかの寺社にご祈祷済みというわけではない。
「ブログを書く意味ってあるのだろうか?」(収益化を考えず、好きでブログを続けている人に読んで欲しい)
ブログを書く目的は人さまざまかと思います。
収益化を目ざす場合、目的は1つなのでそれに集約していけばいいと思うのですが、好きでやっている場合、「あれ、何のためにやってるんだっけ?」と時々思うことがあります。
今回はそうした、好きでやっている「ブログ」のモチベーションについて。
ただただ好きでやってるけど、時に不安を感じる、同じようなブロガーさんに読んでもらえたら嬉しいです。
①好きでやってるブログのいいところ
◯好きなことを書ける
もうこれに尽きます。
収益化を目指す場合、不特定多数の人に読んでもらわなければいけません。扱うテーマを普遍的なものに寄せたりと絞り幅が出てきます。
一般的でないものは受けが悪いですから、自分の「好きなもの」「やりたいこと」との乖離かいりが出てきたりで、これはこれで悩ましいところ。
また、こうしてブログを書けること自体が、幸せで恵まれた環境にいるのだと感謝すべきなのだろうと思っています。
(本当に逼迫したら、好きなブログを書いているどころではないのですから。)
◯同じ趣味・趣向の仲間を探せる
現実にはなかなか出会えない同好の士を探す場にも(ネットで「趣味友」を探している感じ?)。
◯ブログばかりを気にせず、本業ができる
ブログばかりに時間をとられて、本当に好きなことができなくなったら本末顛倒。
ブログはあくまで趣味の1つと割り切り、本業や好きなことするのが正しい気がします。
②好きでやってるブログの続け方(気持ちの持ち方)
収益という跳ね返りを喜ぶわけではないし、アクセスがあったからといって単純には喜べません。
クリック後、1秒で閉じられてるかもしれないし、読んだけど「フーン」かもしれないのですから。
何が本当かは分かりません。だから、揺らぐ時があります。
一応、人に読んでもらうのを企図して公開しているのに、本当に何か役にたっているのだろうか?
役に立ってないのならやる意味ないんじゃないのか?という。
でもやはり、何が本当かは分からないのです(来てくれた人に聞いてみないと)。
相手に聞けないのですから、もう自分が楽しむことが優先になってきます。
そして、「こういうブログだったら自分は嬉しい」「こういうブログはイヤだ」という自分基準を採用するしかありません。
◯自分が自分のブログ最大のファンに
自分で書いていて「面白くない」「あまり良くない」と思うようなものは、人はさらに「良くない」と思うのではないでしょうか?
最大のファンである自分が、納得のいくまで推敲していくしかありません。
しかし、そうして書いた本人ですら、過去記事を見て「恥ずかしい!」「だめだコレ!」と思う惨状だったりするわけですが。
1番のファンなのですから、こうした記事は早めにリライトするか消すかして、軌道修正しなければいけないのですが、過去記事が増えるにつれ、手が回らない状況が生まれてしまっています。
◯「唯一無二」のブログを
もちろん、誰ものブログが「唯一無二」のはずですが、さらに唯一無二を極めるべきでしょう。
人と同じことをやってもね。
特に「好きでやっている」ブログにはなんの縛りもないのですから、さらに自由にやれるはず。
◯読まれなくとも気にしない
誰もが自分の好きなものしか読みません。自分の興味のあるものしか読まないのはお互い様。
例えば、「モテテク10選」とか「モテメイク」だのの記事を読まないのも私にはその情報がもう必要ないからで、仕方がない話なのです(昔なら読んだ?)。
③何のためにやってるのか?
◯自分のために
私の場合は書くのも好きだし、発見があるからです。
ブログを書く以上、「人に伝える」という責任が発生するので頑張って調べます。
以前のように、疑問のままに残しておかなくなりました。そして調べる内に、思いがけぬ発見をし、1人で感動することもあります。
調べる中で稀有な素晴らしいブログやサイトを発見することも、これまた大きな喜びになっています。
◯誰か1人のために
こうして一生懸命書いたブログを世の中の誰か1人位は真剣に読んでくれているのではないかな?と想像しています。
その「たった1人のために書く」ということがあってもいいのではないのでしょうか?
最後に(いつものお店のホッ)
もともとブログを読む方だった私がブログを始めたのは、それまで読んでいたブログのおかげです。
憂鬱な通勤電車の中で、毎日更新されるブログを楽しみにしていました。
「会社に行きたくないな」と、思いながら読むブログの与えてくれたもの。
それはいつものお店に感じるホッや安心感だったのだと思っています。
(あの時のブログの支えがあったからこそ、私は何とかかんとか会社に通えていたのですから。)
ブログを書き始めた原点がきっと誰しもあると思います。
「あれ、何のためにやってるんだっけ?」とゆらいだ時は、もう1度初心を思い出すといいかもしれません。私の原点でもある、
通勤電車の疲れた誰かに「いつものお店のホッ」をこのブログが与えることができたら、こんなに嬉しいことはありません。
(といっても、このブログはうす気味悪い内容も多く、同じ癒しを与えられてないかもですが。笑)
ということで、『ブログを書く意味ってあるのだろうか?』でした!以上です、ではまた!