『戦国武将メシ缶詰』~明智光秀~【武士のもてなしメシとは?】(デアゴスティーニ)
先回、織田信長の「戦国武将缶詰」を買った際、同時に明智光秀の缶詰も買い、こちらも食べてみました。
タイトルには「武将のもてなしメシ」と書いてあります。どんな味、中身なのでしょうか?
明智光秀「武士のもてなしメシ」
信長ver.と同じスタイル(ペラペラ本+缶詰+家紋・名言コースター)。
この調子で、今後も発刊していくのかな?
「こ、これは‥、普通に美味しそうな煮物?みためも普通だし‥」
レンコン、ネギ、銀杏、豚肉の煮物ならまずいわけが無いのでは?
という想像通り、おいしいです。白みそベースに黒糖・しょうゆなどで味付けした美味しいお惣菜でした。(信長の「肉味噌」の方がインパクトはあった?)
この料理の由来は、光秀が貧乏浪人時代に仲間と「汁講」という持ち寄りパーティの会をやっていたという話から。
「汁講」のホスト役(順番に回ってくる)は、「鍋」を用意し、その他の人間は「食べ物」を持参するというルールだったものの、光秀は貧乏で「鍋」の用意ができない。
「鍋」役が回ってきたら、断ろうと思っていたところ、光秀の奥さんの機転で美味しい鍋物をふるまえたというエピソードによるものなんだとか。
こんな大きい猪肉が入ってたら、それはお客も喜ぶはず。
何だか普通においしくて拍子抜けしてしまった。
おそらくセンスのいい光秀のことだから、食事も洒落た趣向こそあれ、奇をてらうことは無かったのではないかなと想像。
しかし、もっとマズイ缶詰求めているのか、自分でもよくわからなくなってきた(困惑)
上の『戦国、まずい飯!』を読むと、「喉をとおらない」「味がない」「モソモソ‥」と言葉にならないマズイ飯がいくつも出てきます(赤米、糠の味噌汁、干し飯、スギナ‥)。
人間が栽培して収穫して加工して、おいしく口に運ぶまでがんナント大変だったのか。
どれだけ長い時間、粗食とかマズイ飯を食べてきたのだろうか?とか考えると愕然とします。
今マズイもの自体が駆逐されて、ほとんどないからなぁ。
というわけで、もし戦国にこの「汁」があれば、上の上であったろう『戦国武将メシ缶詰・明智光秀・武将のもてなしメシ』でした!以上です、ではまた!
明知光秀からの『謀反に関する大切なお知らせ』ハガキ(京都府福知山市)がふるさと納税でもらえました。
京都府福知山市に「ふるさと納税」することでもらえるパロディグッズ「謀反に関する大切なお知らせハガキ」が届きました。
これは、もともとスエヒロさんという方がtwitterで作ったパロディはがきで、これに目をとめた福知山市が採用して話題になっていたものです。
「謀反に関する大切なお知らせ」ハガキ(京都府福知山市)
もともと、今年イベントをたくさん行う予定だった福知山市。
福知山市は、「麒麟がくる」の明智光秀ゆかりの土地で、ドラマに合わせて「福知山光秀ミュージアム」も開館中でした。
福知山にきてくれた人たちに「ハガキ」を配布するつもりでいたところ、
→新型コロナの為、計画中止。
代わりに5月、「本能寺の変原因50総選挙」をネットで開催。
投票してくれた人の中から、抽選で「ハガキが当る」という話だったので、投票したのですが、かすりもせず(倍率240倍だったとか)。
もう手に入らない、と諦めていたところ、
7月から「ふるさと納税の景品につけるよ!」というので、納税してみると(3000円から)、福知山市からお礼の景品が届きました。
よく見ると、デザインが「謀反」の「謀」の字で市松模様になっていたり、芸が細かい。
ハガキの宛名「明智秀満」って誰なのか気になっていたのですが、光秀の娘の旦那さんということもこれを読むと分かりました。
「さとふる」の「ふるさと納税クラウドファンディング」ページ
「福知山城」(福知山市郷土資料館)
【営業時間】 9-17時 【定休日】 火曜
【住所】 福知山市内記5
【期間】 ~2021年1月11日まで(期間限定) 【営業時間】 9-17時・年中無休
【場所】 福知山城公園内
さて、このパロディ葉書を作ったスエヒロさんですが、twitter面白いです!
デザイナーさんだからパロディのクォリティーも高かったのかと納得。
幕末に学習雑誌があった場合を考えてみました。 pic.twitter.com/hEYn28Gi0Y
[http://
関ケ原の合戦に遅刻した徳川秀忠の「遅参」を、お知らせハガキにしてみました。 pic.twitter.com/DXtUAJtmTf
— スエヒロ (@numrock) May 6, 2020
:title]
[http://
新撰組の人が知恵袋に相談していた場合を考えてみました。これから入隊しようかな?と思っている方は是非ご参考に〜。 pic.twitter.com/pepb2EMKRi
— スエヒロ (@numrock) July 20, 2020
:title]
また、本も何冊か出版されていてこちらも面白そう。
ということで、今年、福知山に行きたかったのもあり、「謀反ハガキ」かなり嬉しかったです。
「福知山ミュージアム」にもぜひ行きたいのですが、来年1月の会期終了までに行けるかなぁ?
というわけで、明知光秀からの『謀反に関する大切なお知らせ』でした!ではまた!
「うだつの町並み②」 金森長近の隠居城「小倉山城跡」と美濃町のおみやげ(岐阜県美濃市)
前回のブログからの続きです。戦国武将・金森長近の居城・小倉山城などをめぐり、後半は、美濃町のお土産についてのせています。
①小倉山城跡
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お城は2代目藩主が夭折後、改易・廃城となり、現在は石垣・土塁が残るそうですが、この日は暑さとこの後のスケジュールのため、とりあえず展望台で景色を見ることに。
「松鞍山」(316m)山頂には平安以前の古い神社があるそうで、なるほど、お祀りしたくなる山容をしています。
小倉山を下り、町に戻ります。
②旧今井家住宅・美濃資料館
【入館日】9-16時:30(4-9月) 9-16時(10-3月)
【入館料】300円 【休館日】12-2月の火曜日など
今井家住宅は江戸中期の建造で、幕末から紙問屋だったお家。
写真左下の敷居の木わくは取り外しが出来、荷車を中に搬入できたそうです。
古くて、どっしりとしたいいお家でした。
③NIPPONIA美濃商家町
さらに歩くとNIPPONIA美濃商家町という施設があり、こちらはマスキングテープのアート展や美濃和紙の販売をされていました。
インテリアに使える美濃和紙。今はこうしたアートな和紙がたくさんあるのだなぁ、と感心。まるでレースな風情が素敵でした。
NIPPONIA美濃商家町には宿泊することもできます(下記)。
④ 美濃市のお土産
【美濃和紙】
町並みの中に美濃和紙のお店がいくつかあるのですが、美濃和紙製のコースターとトレイを買いました。
【花みこしのお花】
上は、美濃資料館で頂いてきたもの。
4月に行われる「美濃まつり」の花みこしの飾りで、ピンクが愛らしい。
祭りの後、家に持ち帰り、縁起物として部屋に飾るのだとか。
美濃まつりは江戸時代、雨ごいの祭りとして始まり、昭和初期に今の形に統一。
30数基出る神輿の総数300本以上の竹に、10万枚~12万枚のお花が飾られるのだとか(なかなかの重量そう)。
【鍾乳洞熟成酒】(今廣酒販店)
大滝鍾乳洞で寝かせた「鍾乳洞熟成酒」は、年500本の限定品と珍しいもの。
お店の方がとてもよい方で親切にして頂きました。1.8L(2980円)のサイズもあります。
最後に
ということで、歴史のある美濃町の川湊・うだつ・和紙を中心に見て回りました。
今は河畔の小さな町並みですが、町に繁栄をもたらした川の流れは変わることはありません。町並みと長良川河畔のセットで回られることをおすすめしつつ、以上、『うだつの町並み②』でした。ではまた!
「うだつの町並み①」 戦国武将 「金森長近の城下町と上有知湊」(こうづちみなと)(岐阜県美濃市)
美濃市と言えば、郡上八幡の南に位置する川湊と和紙の町のイメージです。そして、和紙や水運で栄えたうだつのある街並みで有名です。
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①長良川鉄道と名鉄・美濃町線
美濃市駅で下車して、少し歩いたところに名鉄の旧美濃町駅を見ることができます。
勢ぞろいしている列車が微笑ましい。
そして、駅前から7・8分も歩くと、伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に入ります。
②うだつのある町並み
8時からの営業なので、8時台でもコロッケを買うことができます。
特徴はジャガ芋と玉ネギに、飛騨牛・豚の旨みがシミシミしているところ。あっというまに食べてしまったのですが、食べやすかった。
旨味があるのでソースも不要なコロッケでした。
③金森長近の城下町「美濃町」
ここ美濃町は、金森長近(かなもりながちか・初代 飛騨高山藩主)によって、城下町として整備をされました。
長近の居城が小倉山城で*1、その城下町が美濃町です。町づくりの際、美濃町は目の字型(東西2本の通りと4つの横町でつないだ通り)に整備をされました。
飛騨高山の城下町を作ったのもこの長近ですが、飛騨高山の方は養子に譲り、自分はここ上有知(こうづち・今の美濃市)に移り、上有知藩2万石の初代藩主となりました。
そして長近は、85歳という長命で亡くなります。
2代目藩主になったのは、長近82歳の時の子供(⁉)ですが、7歳で夭折してしまい、上有知藩は断絶してしまいます(その後、幕末まで尾張藩領)。
という小さな城下町の始まりを想像しながら、散策していきます。
1772年から酒造業をされている小坂酒造場さんで、この伝建地区で「最も優美なうだつ」と説明がありました。
両側に綺麗なカーブのうだつがあがっています。優しい曲線。
左側が平田家住宅で、右側が古川家住宅です。
ほぼ同時期ですが、建築年は古川家が少し後だそうです。
両方とも明治時代のうだつで、とても立派で張りがあってかっこいいです。
ここ美濃町はすぐ横を流れる長良川の水害をさけるため、少し高い場所に築かれました。その分、水利が弱く、防火対策としてのうだつが作られはじめたといいます。
その後は「美濃町」の発展とともに、商家の経済力の誇示としてうだつが盛んに上げられるようになったそうです。
「卯建は一生に1度あげれるかどうかというしろもの」という話を聞いたことがありますが、当時は、商人としての一生の甲斐性の証しだったのでしょうか?
現代ではどうもピンとこないところもありますが。
江戸時代まで家屋の建築制限があり、明治に入ってそれもなくなり、以降うだつに乗る瓦は大きく、装飾も華美になっていったそうです。
現在、伝建地区では20数軒がうだつをあげているそうで、確かにうだつだらけでした!
「経済力のある商家ぞろいの町だったんだなぁ」と感心しながら見て回る。
③川湊・上有知湊
幕末の川湊の灯台が残っているのは珍しく、高さ8mの威風堂々としたもの。
明治末に電車が開通して船運が廃れるまで、相当に繁華な湊だったのでしょう。
うだつがそれを証明していると思うのですが、今では想像しづらい。
川湊から、今度は金森長近の小倉山の城跡に行ってみることにします。
『うだつの町並み』②へ続きます。
「逆柏手(裏拍手)」「逆さごと」「逆打ち」「逆さの埋葬」「養老天命反転地」【逆さの本能的な恐怖を考える】
風習や葬送などで「反対に行う、逆さに行う」事例をしばしば見ます。
逆さということに本能的にすごく怖さを感じるのですが、今回は逆さについて思いつくままにあげ、なぜ怖いのかを?探ってみたいと思います。
①「逆柏手」と「天の逆手あまのさかて」
『古事記』の「国譲り」の章にみられる一文です。
「すなはちその船を踏み傾かたぶけて、天の逆手を青柴垣に打ち成して隠りましき」
国を譲るように強要された事代主命ことしろぬしの神は*1、あっさりと承諾をし、「逆さに柏手をうって、(乗っていた)船を青柴垣に変えて隠れられた」と書かれます。
これは訳も意味も難しいのですが、「隠れられた」とは「幽界に行った」とも解釈されます。
この「天の逆手」が、現代の『怖い話』の裏拍手と同じもの。起源が同じというように一般的にみられているようです。
「裏拍手」は、手の甲と甲とを打ち合わす音の出ない拍手で、相手を呪うしぐさと言われます。ネット上では、ライブ会場の観客席で裏拍手をする不気味な観客の姿が話題となりました(現在でもその画像を拾うことができます)。
正直、この新旧2つの「裏柏手」のつながりに、いまいち釈然としないところはあるのですが‥。
『古事記』などに見る、天の逆手は何らかの呪術といわれますが、それは甲と甲をうちつけるのか、手先を地面に向けてうつのか、背中に手を回してうつのか諸説あり、詳細は不明です。
この「天の逆手」が出てくることで有名な古典が、もう1つあります。
〇『伊勢物語』の96段
「かのおとこは、天の逆手をうちてなむのろひ居るなる。むくつけきこと。人ののろひごとは、負ふものにやあらむ、負はぬ物にやあらん。「今こそは見め」とぞいふなる。」*2
会う約束をしていた女性に反故にされた恨みから、男が「天の逆手」を打って呪うというシーンですが、『古事記』と全く同じスタイルの打ち方だったのでしょうか?
時代の違う2つの書に記された「天の逆手」は、果たして同じものだったのでしょうか?今となってはよく分からないのですが、とても気になる記述です。
②葬送にみる「逆さごと」
逆さごとは、土地土地で色々なものがあるようですが、代表的なものだけを取り上げました。
「逆さ屏風」 故人の枕元の屏風をひっくり返す。魔除けにも。
「左前」 通常の着方とは合わせ方を反対にして着せる。
「逆さ着物」 スソ側を顔に、エリ側を足にして、被せる。
「タテ結び」 腰ひもなど、わざとタテ結びに結ぶ。
「逆さ水」 水にお湯をいれてぬるくし、湯かん用に使う。
「外柄杓」 柄杓の水は左側にあけるのがふつうで、右側にあけるのが「外柄杓」。やはり、湯かん用に使うそうです。
「逆さぼうき」 死者の枕元に逆さに箒をたてる。魔を払うためとも。
これらの逆さごとは、この世とあの世とを隔絶させるため。また、「あの世はこの世とは逆さまの世界である」という観念による、といわれています。
③お遍路さんの「逆打ち」
これは、映画『死国』で初めて知りました。
もともと閏うるう年に「逆打ち」(「四国88ケ所」を順番とは逆周りに参拝すること)を行えば、弘法大師に会えるという伝承があり、映画はそこからの着想と思われます。*3
亡くなった人の年齢分、逆打ちで回れば死者が蘇る、というのが映画の内容でした。
(いっけん荒唐無稽な話の気もしますが、「立山信仰」にも「立山に行けば亡くなった人に会える」というものがあり、霊場にはこうした話が割と多い気がします。)
「逆に行なう」「困難をともなって行う」ことで、尋常ではない何かに出会える、というわけなのですが、それを行う人間の情念を感じてゾクッとしてしまいます。
④「逆さにして埋める」
変死した人間、恨みを持って死んだ人間をす巻きにし、逆さにして辻や橋のたもとに埋める、ということがかってされた、といわれます。
「逆さにする」のはやはり、出てこられないようにするためで、辻や橋のたもとという境界*4を選んで埋めたそうです。
往来の激しい辻に埋めることで四六時中踏み固められ、「さらに出てこられなくする」のですが、これまた恐ろしい気がします。
⑤「養老天命反転地」
不気味な話が続きましたが、最後に「逆さ」つながりで、「養老天命反転地ようろうてんめいはんてんち」をあげたい、と思います。
「養老天命反転地」は、岐阜県養老町にあるアートなテーマパークで、公園内にはいくつもの不思議な建物が建てられています。
土地がまっすぐじゃない(まっすぐ歩けない!)。建物の中に入ると、上下左右がおかしい!家の家具がヘンなとこにある、天井から何か生えている?、といういつもの感覚が脅かされる場所です。
「通常」や「ふつう」とはいったい何だったのか?を考えさせてくれる楽しい施設で、個人的にはとてもオススメな場所です。
「極限で似るものの家」 Kikuhiko Mizusaki/ Link
最後に
公園のことを書いていて思ったのですが、逆さに本能的に不気味を感じるのは、まず私たちの平衡感覚にそぐわないというのが、大きいようです。
上下左右がきっちりとした世界に生きている私たちには、何かが「逆さである」というのは、とんでもない違和感です。
以前、昔話で化け物が縁側の屋根の上から逆さに覗く、という記述を見たことがありますが、こうした異様な出現が脳に違和感を与え、さらに心臓にも影響を与えるのだと思うのです。
また①②④にみる人間が意図的に行う「逆さの事柄」には、「異常な状態に相手を追いやりたい」という、人間の強い意志を感じてぞくっとするのでしょう。
‥ということで、『逆さの本能的な恐怖を考える』でした。まだ事例を全然探し出せていないので、これからも探していきたいと思いながら、今回は以上です!ではまた!
【食レポ】海亀を食べることが難しいので、かわりに「すっぽん卵の焼酎漬け」を食べてみた(料亭やまさ)
この「海亀を食べたい」ですが、現在では口に入ることはほぼありません。
どうしたら食べれるのかを調べ、また、入手しやすい同じカメ目のすっぽんの卵を今回は取り寄せて食べています。
①「海亀」の肉や卵を食べたい
ウミガメ自体、1億年以上前からの存在と言われ、太古から近年まで食べ続けられてきた伝統食。
大昔から身近にあり、日本人に深く親しまれた歴史を考えると、なんとしても食べてみたい。
以前、「亀卜」(亀の甲羅占い)を調べた際は、「亀卜は、中国起源で殷の時代に盛んに行われた」という記述をよみ、占いにも使うし、「ガッツリ食べてたんだろうなぁ」と想像をふくらませていました。
②「ウミガメ」について
① 現在、地球上に7種(6種は絶滅危機)
② 日本で特におなじみのウミガメは、「アオウミガメ」「アカウミガメ」など。
③ 「ワシントン条約」で取引規制中。
④ 日本では、いくつかの法で規制がかけられている。
(「水産資源保護法」がらみでは、都道府県の海区漁業調整委員会で承認が必要など。)
世界では乱獲・環境の変化などにより、個体数が減少している地域もあり、日本ではやや増加傾向にあるという話も。
③食べれる場所
①小笠原
小笠原諸島では、年間135頭まで捕獲が許可されていて、島のお店でアオウミガメのお寿司などが食べれるそうです。
上記の記事では、上品で美味しそうな「カメ寿司」の写真と記事がのっています。
アオウミガメは特に美味しいのだとか。はー。
見た目も可愛いアオウミガメ Bernard DUPONT / Link
沖縄も年205頭の捕獲制限をもうけていて、食べれるお店があるそうです。
③海外
中南米や東南アジアほか。
国内であれば少し遠いし、または海外で食べれる、ということが分かりました。
④昔、近所のスーパーで亀の卵を売っていた
食べれる場所が少し遠いな、と考えているうち、昔みた「亀の卵のビン詰」をふと思い出しました。
20年くらい前の話ですが、よく行くスーパーに置いてあった「亀の卵のビン詰」。
ビンの中には10個くらいピンポン玉のような卵が入っていました(値段は1000円位)。
当時、興味はあったものの、結局買わずじまい。
その後も数回見た記憶がありますが、それ以後、全く見なくなりました。
多分、あれは亀といっても入手しやすい「スッポンの卵」だったのでしょう。
「そうだ!まずは、同じ亀のスッポンの卵を探してたべてみよう!」と思いつきました。
⑤「すっぽん卵の焼酎漬け」(料亭やまさ)
ということでネットで探してみると、もはや「スッポンの卵」自体がほとんど売られていない状態。
その中から、大分の料亭「やまさ」さんが「すっぽん卵の焼酎漬け」を販売しているのを見つけました。昔スーパーで見たのと同じような見た目です。
すっぽん料理専門の料亭さんのだったら、おいしいかもと期待をしつつ、取り寄せることにしました。
そして、注文した「すっぽんの卵」がおくられてきました。
まさに、昔見た感じの卵です。
「ニワトリの卵や魚卵は大丈夫で、亀の卵がダメなんて偏見だろう」と卵を目にするまでは、そう思っていたのですが。
ひゃー、これかぁ。卵がまるい!口に運びにくい。そして、なんかこわい⁉
しかも、これは焼酎づけの生卵。そもそもハードルが高かった?
しかし、「食べたい」と言って注文したのは自分だし、がんばって食べなくては。
勇気をだして、口にいれてみます。
薄氷のような食感の卵の殻(ただし、卵の殻はむいて食べるということが後に判明)を噛むと、卵くさい、とろっとしたものが口にぶわっ~、と広がりました。
小さな小さな卵の、匂いの強さに驚愕。
(これは個人的にダメかもしれない。そういえば、私はピータンも苦手だった!)
多分ですが、卵の周囲が焼酎だから、卵臭さがきわ立つので、ミソ漬けとかしょう油漬けなら、また全然違ったかも。
しばらく呆然として、その日は寝てしまいました。
翌日、「生がダメなら、茹でればいいんじゃないの?」と気を取り直し、今度は茹でてみることに。
「亀の卵の卵白は固まらない」という話どおり、凝固が弱いです。
結局、10分位茹でました。
食べてみると今度はカチカチで、味は「パッサパッサの、味の抜けたビーフジャーキー」みたいになり、食べれるようにはなりました。
(多分、「すっぽん卵」の良さは一切なくなったことでしょう。申し訳ない)
最後に
「海亀」が食べたければ、小笠原か沖縄へ。
また、「すっぽんの卵」はクセがあるということがわかりました。
そしてもう1つ、最後に思ったのは「浦島太郎」の昔話。
子供達にいじめられている「亀」を浦島が助けるあのお話ですが、あれは砂浜に産卵しにきた「海亀」のメスだったのかなと遅まきながら、思い当たりました。
太郎をのせる位の大亀ならば「海亀」しかないし、その海亀は産卵以外、上陸しないからで、亀が泣いていたというのも産卵時のそれだったのでしょう。*1
卵も取らず、捕まえて食べようともしない「浦島」は、実に奇特な人間ということで、「竜宮」にも招待され、伝説になれた、ということだったのでしょうか?
煩悩むきだし、「捕まえて食べよう。べっ甲細工も作りたい」、というような人間ばかりの中で浦島の動物愛護が光った、という話だったのかもしれません。
そんなわけで、『すっぽんの卵の焼酎漬けを食べてみた』でした!以上です、ではまた!
下記では、亀の体の構造に興味をもって調べています。
*1:塩分濃度の調節と上陸時の目の乾燥を防いでいる。
深海魚・メヒカリ(アオメエソ)の唐揚げを作ってみたら、おいしかった!(サルサソースがけ)
先日、イオンでメヒカリ(三河湾産)を売っているのをみつけました。深海魚とは書かれていないので、以前だったら気づかずスルーでしたが、
これは今年、食べ逃した深海魚(蒲郡がまごおり市で)ということに気づき、買って食べてみることにしました。
①メヒカリの唐揚げ
数日後、「よし、唐揚げにしよう!」とヤル気になったところで解凍、調理をしていきます。
すでに頭が切り落とされ、内臓も洗われ、ウロコも取られている状態で、粉をつけてあげるだけでした(調理も要らなかった。大きな目だという頭を見てみたかったなー)
ということで、できたての唐揚げの味ですが、旦那さんいわく「芋みたい。ホクホクしている」とのこと。芋?
翌日、残った唐揚げにサルサソースをかけて自分も食べてみます。
②感想
おいしい!メヒカリ自体はあっさりしたくせのない白身魚な味で、骨も無く、生ぐささも無く、非常に食べやすい魚ということが分かりました。
わかさぎフライみたいな雑味があるタイプを想像してたけど。
このメヒカリ(目光)、水深200-600mにいる深海魚で、おすすめの食べ方はやはり、唐揚げ・天ぷらなのだとか。
「食味としては身の柔らかさと脂の強さが特徴で、味の良さと流通量の少なさから、かつては高級魚に含まれることもあった」
と、上にあるように確かに柔らか!(脂っぽくはなかった)
食べてみて、なかなか美味しい魚ということが判明しました。
最後に
料理が得意ではなく、面倒くさくてたまらないのですが、こうした珍しい食材・珍しい料理を作る時だけ、やっとテンションがあがるという。
一瞬、光が差すように料理を楽しくしてくれたメヒカリに感謝をしつつ、
『深海魚・メヒカリの唐揚げを作ってみたら、おいしかった!』でした!以上です。ではまた!
『戦国武将メシ缶詰』【織田信長】【桶狭間の戦い出陣メシ~肉味噌の味は?】(デアゴスティーニ)
先日、「戦国武将メシ缶詰」(デアゴスティーニ)の織田信長ver、明智光秀verが発売していたことに気がつきました(7月上旬発売)。
近所の本屋さんで購入し、缶詰の肉味噌はどんな味だったのか?を書きました。
①開けてみる
本を手に取ってその異様な感じに驚くのですが、「まさか缶詰しか入ってないんじゃないの?」という予感はほぼ正しいのです。
缶詰とペラペラ本(ページ数12p)のみの構成。
えぇっ(困惑)。
後で気がついたのですが、紙の「コースター」が1枚ペロンとついています。
つまるところ、1個900円(税抜)の缶詰を買った感じ。
900円かぁ。試される「信長愛」。試される「昔の食べ物への興味」。
でも、460年前の食への興味には勝てません。
肉みそはぱっと見、ふつうに美味しそう。
コースターはひっくり返して、書いてある文章に総毛立ちました。「名言コースター」だったのか、これ。*1
けっこうネットリと脂っぽいです。
お湯をかけて、「湯漬け」にして食べるのが「信長流」とありましたが、なるほど、お湯をかけるの分かる気がします。さっぱりと食べれそう!
また、小口ネギや大根の葉、白菜の浅漬けといっしょに食べるのも合いそう。
②食べてみる
〇 味噌味がシッカリ。塩味が強い。
〇 みりんや砂糖が入ってない昔風(今だと確実に、砂糖を入れて「甘辛味」にしてしまいそう)
〇 ショウガ、山椒で味を調整。
〇 缶詰の肉は鶏むね肉使用していますが、当時は鶴の肉。
(鶏はどうかというと、当時は神話に登場する鳥として神聖視されていて、肉も卵も食べなかったのだとか。)
〇 そして、この「肉みそ」、今とは違って特別な料理で一部の人の口にしか入らない、贅沢なご馳走であったようです。
「ほんとにこんな美味しいもの食べてたの?」という疑惑も。
お店で出てきたら、今だってふつうに美味しいレベル。現代人向けに美味しく食べやすくしてあったりはしないか?
③【疑問】信長の「出陣メシ」は、ほんとに「肉味噌」なのか?
「桶狭間の前に食べたのは肉味噌」とペラペラ本には書いてありましたが、何かしら出典、推測する根拠はあるのでしょうか?
『信長公記』には、「‥御物具を召され、たちながら御食をまいり、御甲を召し候て御出陣なさる」とあり、何を食べたかは分からない書き方をしています。
一般的に、この信長出陣時のごはんは「湯漬け」のイメージです。*2
お芝居では、信長が「湯漬けをもて!」と命じ、出てきた菜っぱでも浮いてるのをお茶漬け的にかっこんで、慌ただしく出陣していくシーンがうかびます。
簡素な食事をとって、急いで出陣していったのかな?と今の今まで思っていたのですが、「肉味噌」を食べているうちに、戦国武将らしく、げんをかついだ物を食べたり、栄養のある物を食べて、桶狭間に向かったのではないかな?とも思えてきました。
桶狭間に向かう途中も意外と複数の社寺に戦勝祈願したりと戦国武将らしい行動を取っています。
実際に清州城にのぼってみると、周囲が平たんなため、見通しの良いことに気が付きます。*3
写真の右端あたりが名古屋のビル群で、けっこう近くて驚きます。熱田まで約12㎞。何かあったら、異変も分かったことでしょう。
ちょうど、戦国時代の食事の本を読んでみよう思っていたところだったので、個人的にはタイムリーな「戦国武将メシ缶詰」でした。
最後に
読むだけでは「そうなのか」で終わってしまい、しかもじき忘れるので、実際に食べる経験ができてよかった戦国武将メシでした。
これ以後も続々と、伊達政宗、上杉謙信、徳川家康と発刊されるらしいので、何十人も出てきたら困るなぁ、と怯えたり(笑)
ということで、『戦国武将メシ缶詰』【織田信長】【桶狭間の戦い出陣メシ~肉味噌の味は?】でした!以上です、ではまた!
下記では、明智光秀メシも食べています。
【追記】
と書いて1年以上たちましたが、続巻の報せはありません。意外と不評だったのか?
サイトはあるので、気になる方はチェックしてみて下さい。
『うにまんじゅう』黄金いろに輝くウニのお菓子【お菓子工房 幸ふく】(下関市)
今回、「黄金いろに輝くウニあん」「磯の香り豊かなおまんじゅう」のキャッチコピーにひかれ、下関の「うにまんじゅう」(「お菓子工房幸ふく」さん)を取り寄せました。
果てして、ウニとあんこの親和力はどれ位なのか?
とても気になります。
①「うにまんじゅう」(お菓子工房 幸ふく)(下関市)
下関はウニも有名だったのか(フグのイメージだけど)。
ねっとりとしたあんの奥から、最後に確かに「ウニ」の味がします。
特徴のあるあんは、白あんに練りうにを混ぜたものだとか(だからねっとり)。
生臭さや磯くささはなく、上手にブレンドしてあり、美味しいです。
甘いあんこに若干の塩味は元来合うものだし、そこに最後に確かに「ウニ」が顔を出すという。
下記はお店のサイト。
「うにまんじゅう」
【値段】696円(税込・5個入り)
バラや10個入りなども。
【買える場所】上記「幸ふく」さんなどのサイトから
【賞味期限】常温で60日
【製造】「お菓子工房 幸ふく」さん
②うにまんじゅうの田村菓子舗(愛媛県西宇和郡)
もう1軒悩んだ、うに饅頭のお店「田村菓子舗」さん。こちらのお饅頭と食べ比べしてみるのも面白いかもしれません。
ということで、『うにまんじゅう 黄金いろに輝くウニのお菓子』でした!以上です、ではまた!
『可愛いお守り集めました!』(京都編②)【天下無敵守り】【大将軍八神社】【大原野神社】【本能寺】【懸想文】など
『可愛いお守り集めました!京都編①』の続きです。前回は綺麗なお守りを中心に紹介しましたが、今回は個性的な、珍しいお守りを取り上げています。そして、どれも京都らしい歴史を感じるお守りとなっています。
- ①『天下無敵のお守り』【霊光殿天満宮】(京都市上京区)
- ②『北斗七星12支お守り』 【大将軍八神社】(京都市上京区)
- ③『叶守』『ちえまもり』【大原野神社】(京都市西京区大原野)
- ④「本能寺のお守り」(京都市中京区)
- ⑤『懸想文』【須賀神社】(京都市左京区聖護院)
- ⑥『楊貴妃観音のお守り』【泉湧寺】(京都市東山区)
- ⑦『結定往生之秘印』【真如堂しんにょどう】(京都市左京区)
- 最後に
①『天下無敵のお守り』【霊光殿天満宮】(京都市上京区)
インパクトのある「天下無敵必勝利運」は、この神社に贈られた後宇多天皇(1267-1324)の額に由来しています。
蒙古襲来時、天皇が夷敵退治の祈とうを行わせたところ、蒙古の船が沈み、効果抜群だったことから、贈られた言葉だとか。
京都御所の近くにある小さな神社ですが、言葉の破壊力がずばぬけています。
(管理人さんが常駐されているわけではないので、1本電話を入れて行くのがおすすめです。)
②『北斗七星12支お守り』 【大将軍八神社】(京都市上京区)
「大将軍八神社」は、平安遷都の際、平安京や大内裏の北西の守りとして勧請された神社で、大将軍神*1という方位の神、星の神をお祀りしています。
北斗の7つの星のどれかは自分の守護星になり、それは干支えとに対応するのですが、
自分の干支のお守りを頂くと、その守護星が赤く目立ったデザインになっています。
③『叶守』『ちえまもり』【大原野神社】(京都市西京区大原野)
長岡京遷都(784年)の際、奈良の「春日大社」から勧請されたのが「大原野神社」です。藤原家ゆかりの神社で、藤原氏の祖先神をお祀りしています。
藤原家では、女の子が生まれると大原野神社に「皇后や中宮になれますように」と祈願の参拝をし、望み通りになるとお礼詣りをしたということですが、平安時代の情景を想像させるお話です。
④「本能寺のお守り」(京都市中京区)
黒地に赤の「織田木瓜もっこう」、シンプルでかっこいいお守りです。
本能寺の変後、この本能寺の焼け跡には光秀の首と胴体、そして光秀の手勢3000の首代が手向けに晒されたという話(すごい情景ですが)。
現在の本能寺は移転した場所にあります。
⑤『懸想文』【須賀神社】(京都市左京区聖護院)
節分(2/2~3)限定のお守りです。
当日は、烏帽子に水干、覆面姿の「懸想文けそうぶみ売り」が神社に出現します。
異様ないでたちにギョっとするのですが、勇気を出して呼び止めて、持ってる「懸想文」をわけてもらいます。
「懸想文」の起源は、貧乏公家の代筆のアルバイトからといわれます(文字を書けない人のために恋文などを書いてあげていたという話)。
江戸時代には、お守り・お札としての「懸想文売り」が、京都の風俗・行事となっていたそうです。
「懸想文」は人に知られないように鏡台やたんすの中にいれておくと、容姿が美しくなって、着物も増えて「良縁」に恵まれるといわれ、もちろん女性に人気のお守りです。
⑥『楊貴妃観音のお守り』【泉湧寺】(京都市東山区)
歴代天皇・皇族のお墓があることで有名なお寺。
泉涌寺せんにゅうじ境内には、楊貴妃観音堂というお堂があります。このお堂にある楊貴妃観音(重文)は南宋からの渡来仏で、楊貴妃の顔をモデルにした、という伝説があります。
彩色が美しいのですが、もともと100年に1度の秘仏だったそうで、それが発色のよさの理由かもしれません。
「楊貴妃観音お守り」や楊貴妃写真など、いくつかの授与品があります。
⑦『結定往生之秘印』【真如堂しんにょどう】(京都市左京区)
「横死除け」と「極楽往生」のお守りです。
安倍晴明(921-1005)が1度亡くなった時、アチラで閻魔王から金印を授かった、という話が伝えられています。
この時は(持仏の)不動明王が、「寿命はまだ尽きていないから!横死(不慮の死)だから!」と口ぞえをしてくれ、晴明は助かり、蘇生をします。
その時、閻魔王からもらった「印鑑」で押した印紋が有難い護符になった!、という面白い由来のお守りです。
最後に
ということで、7つのお守りを紹介しました。
どんな寺社にも深い歴史があってすごいな、京都は、というのが、京都に対するいつもの感想です。古くから人が密集して住んだこと・政治の中心であったことが、文化・伝説、お守りすら濃密な内容にしているようです。
また次回行ける日を心待ちにしつつ、以上、『可愛いお守り集めました!』(京都編②)でした!ではまた!