『下街道を歩く⑤』(完結)(槇ケ根の追分まで)(岐阜県恵那市)
名古屋・栄から歩いてきた下街道ですが、やっと中山道へ合流します。
最終区間は、「稲荷神社」「釜戸かまど地名発祥の地」という下街道屈指の名所と中山道の南側を行くため、もう1つの中山道を歩くような不思議な気持ちになる区間です。
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①謎のご神体をまつる「名滝稲荷神社」
この辺りの下街道からみえる山の上に点々とつづく岩石。
あれはいったい何だろう?と気になっていましたが、正体は「屏風岩」とよばれる、現在はクライマーに人気の岩場でした。
この屏風岩を見ながら、しばらく歩くと「名滝稲荷神社」という神社に出ます。
この神社の本殿の向こうには先ほどの屏風岩が遥拝できます。
あっ、そいうことかー、とこの時は思ったわけですが。
屏風岩に気をとられ、この境内に「奥の院」と呼ばれる巨石がゴロゴロする場所があったということにはまるで気づきませんでした。
どこにあった?そんなところ、ということでグーグルをみると、右側にもこもこと森が広がっています。
どうもここに知る人ぞ知る巨石の磐座いわくらがあったようす。また再訪した際は、ブログにあげたいと思います。
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ちなみに屏風岩も気になる石ですが、登りたい方は下記サイトなどが参考になります。
しかし、この稲荷神社が屏風岩を遥拝する神社ではなかったのか、という考えは完全に否定できません。
また、説明には稲荷神社の創建は1768年とあり、「奥の院が稲荷神社を最初に祀った場所ではなかったか」あるのみで、拍子抜けするほどの情報の少なさ。
この神社の古い時代の祭祀などについては、さらに調べてみようと思います。
ちなみにこの神社の目玉はもう1つあり、それがこちら。
江戸末期に建てられてたという村芝居用の「舞台」。もともと違う場所にあり、この場所へは明治10年に移転したといいます。
こんな野武士みたいな’村芝居の建物’、なかなかお目にかかれません。すごい凄みがあり、ぞぞっとしましたが、これを見れただけでもありがたい。
この「舞台」についても情報が少なく、瑞浪市の観光協会はもっとアピールして欲しいと思ってしまう。
②釜戸の由来
さて、稲荷神社の先に続くのが釜戸かまどという場所。
駅名くらいでしか知りませんでしたが、地名の由来となった場所があり、それがちょっと面白い場所でした。
「釜戸地名発祥の地」とあり、なになに?と読んでみると、時代は古く、平安時代。
この場所の岩がご飯を炊く「竈かまど」に似ていることから、そう呼ばれはじめ、西行法師(1118-1190)の歌にもこの「かまど山」を詠んだ歌があるということなどが分かりました。
写真は緑が生えてわかりづらいのですが、確かにカマドというかコの字型に巨岩が囲む場所で、そしてその真ん中は何だかじめっとしています。
巨岩の高さは、写真からは高さ8mとかそんな感じか?
これはすごい場所。隠れた名所とたいへん感心しました。
この巨岩の横には’中桐八幡神社’という神社があり、こちらもいわくありげなので参拝させて頂きます。
神社の古い由緒はこれまた分からず、誰も人がいないので聞けないし、情報も少ないと。狐につままれたような気持ちになりながら、さらに先を進みます。*1
下は建物の下を流れる水路が気になる旅館・水月館さん。
そして、さらに進むと竹折たけおりという場所にでますが、ここにも目をみはるような素晴らしいお屋敷が。
1823(文政6)年創業の「いとう鶴酒造」さんの建物で、残念ながら、2006年廃業と稼働を終えた姿でした。
③中山道に合流「槇ケ根の追分」
さて、もう恵那市に入っていて、合流地点はもうすぐそこなのですが、下街道の最後の部分をJRが削り、道が消えています。
とりあえず、北側の国道19号を渡ろうとしても渡る場所がない、車の往来が激しく横断もできないで焦りました。
結局、だいぶ行き過ぎてから渡り、中仙道に入って道を戻り、「槇ケ根の追分」に到着。
そう広くもないこの場所に立て場があり、9軒もの茶屋があったとは、狸に化かされているような気持。
当時の往来が偲ばれますが、今は昔の物語の、たいへん静かな場所となっていました。
現在の追分には、下街道側は完全に道がありません。手入れをされ、ハイキングコースになっている「中山道」との差を感じた最後でした。
最後に
というわけで、下街道を名古屋から恵那市まで歩いた感想としては、
①道が平たんで歩きやすい。
庶民の道、ショートカットの道というのも納得。
②難所がない(内津うつつ峠くらい)
③高山宿辺り(土岐市)からは、特に街道の面影が残る
④北を走る中仙道との並走感が面白い(恵那市)
⑤驚くような見どころもあるのに(内津峠、内津神社・奥の院、穴弘法、稲荷神社、釜戸地名発祥の地など)、あまり知られておらず、情報も少ない。
ということで、歩かれる方には内津神社、高山宿~槇ケ根などが雰囲気が残り、特におすすめです!
次回は、見逃したケ所に行き、今回分からなかったことを調べようと思いながら、
以上、『下街道を歩く⑤』(完結)でした!ではまた!
【レトロで可愛いお菓子】「くじら餅」と海の幸風「雲平餅」(ヤマイいと福)(青森市)
先日、いと福さんのレトロ可愛いお菓子を取り寄せました(2回目)。
いと福さんにはまる理由。それは菓子箱からすでに青森風で、「くじら餅」や色どりの愛らしい「祝い菓子」など昔ながらのお菓子があること。
そして、郷愁をさそう素朴なあじわいであることの3点。
①鯨の肉ではないけど「くじら餅」
「くじら餅」という面白い名前のこの食べ物。
青森や山県で作られる郷土の名物お菓子です。
名前の由来は、クジラ肉の断面に似ていたからとか*1、日持ちのする食べ物であるからとかいわれいます*2。
【日持】 冷凍で送ってくれるので、しばらく冷凍保存も可。解凍後6日。
【値段】 518円
みためは羊かんに似てますが、材料にもち粉・上新粉・こし餡を使い、もっちもっち。食感はどちらかというとういろう寄り。
うわぁ、美味しぃ。
ほどよい甘さでもっちもっち。食べ応えもあって、なんかほんのりと幸福感を感じるお菓子です。
このくじら餅、職場で出したところ、好評でした。優しい小豆の味なので、嫌いな人はあまりいないかもと思ったり。
②昔ながらの可愛い祝い菓子「雲平餅」
下は同じくいと福さんの「雲平餅うんぺいもち」。
こちらも青森の郷土菓子で、結婚式の引き出物としても親しまれてきたといいます。
すてきな漆塗り風の外箱を開けると、
色鮮やかな海のご馳走が目に飛び込んできます。
なんだ、この可愛いの!おままごとみたい!
クール便で送られてくるので、冷凍しといて1個1個解凍しながら、今日は鯛、今日はエビというように楽しんで食べることもできます。
「雲平餅」はもち粉と砂糖を練り合わせたもので、ジャリジャリとした砂糖がアクセント。
もちと砂糖の甘みのみですが(けっこう甘い)、シンプルでこれはこれでくせになる美味しさ。
【日持】 賞味期限15日
【値段】 900円
これらのお菓子は、下記のいと福さんのサイトで購入することができます。
最後に
ということで、美味しく、箱もみためも可愛いいと福さんのお菓子でした。
「くじら餅」の発祥は、その昔、北前船によって地方に運ばれた京菓子であったとか、新庄藩(山県)の兵糧食が始まりだったとかいわれます。
各地の「くじら餅」を食べ比べることで、何か分かることがあるかもしれないな、と想像したり。
また機会を作ってくらべてみようと思いつつ、以上、『くじら餅と雲平餅』でした。ではまた!
いと福さんの可愛いお菓子箱について、下記ブログでもふれています。
「ご朱印」の仲間が多すぎる(御城印、御陵印、鉄道印、御墳印、御酒印、御書印‥)。いったい何を集めたらいいのか?
2010年頃より、御朱印ブームということで、御朱印グッズはもう目もくらむほど。もう何だかよく分かりません。
そして、ここにきてさらに参入してきた各種「ナントカ印」の数々。
いったい印はどれだけあるのか?これから何を集めたらいいのか?
少し整理してみました。
- 御朱印帳を買う時に気がついた
- 「御朱印」の仲間が多すぎな件
- ①御城印・武将印・合戦印(古戦場印)
- ②鉄印てついん
- ③御陵印ごりょういん
- ④御墳印ごふんいん
- ⑤御酒印ごしゅいん
- ⑥御書印ごしょいん
- 最後に
御朱印帳を買う時に気がついた
「御朱印帳」を探してて気づいたのだが、最近は御朱印の本だけではなく、「御朱印帳の本」まである事実。なんかもう衝撃だった。はへー。
「御朱印」の仲間が多すぎな件
そして、ここにきて雨後のタケノコのように増えてきた、ご朱印の派生種の数々。
「御城印」「鉄印」位まではまだ分かったが、最近は「御墳印」「御酒印」「御書印」とかいう、よく分からないものまで出ているのにも驚いた。
以下、何があるのか調べたので、興味のあるものだけどうぞ!(まだまだあるかもだけど)
①御城印・武将印・合戦印(古戦場印)
「御城印」は、今ではポピュラーとなった城に行くと頂ける登城記念証だ。それ専の「御城印帖」も売られている。
跡だの砦だの馬防柵の御城印だの、これも城の印なのか?とクラっとする時もある。
下記の本では、各武将にちなんだものを『武将印』と呼んでいたし、
下記では『合戦印(古戦場印)』という呼び名で、合戦くくりの御城印その他を紹介していた。
あっ、そんなに細かくやってるの?
②鉄印てついん
「鉄印」は2020年、40の鉄道会社(主に第3セクター)が参加して始められた企画だ。
参加している鉄道会社の駅に行き、「鉄印帳」(2200円)を買うことから始まる。
乗車すれば、その鉄道会社の「鉄印」を求めることができる(1枚300円)。
しかし、北海道から九州まで鉄道会社がちらばっているので、難度はかなり高い。
③御陵印ごりょういん
「御陵印」は意外と古い。
大正から昭和にかけて、(天皇)御陵の参拝記念に求める人が多く、「ご集印帖」が売られるほど人気だったという。
でも、みためが渋すぎて、(文字だけだし)どうもね、なのだ。
しかし、全国5ケ所の陵墓管区事務所(東京・京都×2・奈良・大阪)に行って、セルフで押して96ケ所分の陵墓印があっというまに集まるので、なんかお得感があるものだ(無料だし)。
上記などの専用の「集印帖」を買えば、歴代天皇順に押すことができる。
④御墳印ごふんいん
愛知県の3大古墳を巡って、「御墳印」(1枚300円)を集めようという企画。*1
あっ、3ケ所なの?もっと多くて、全国規模かと思ってた。
⑤御酒印ごしゅいん
参加している酒蔵を巡り、お酒のラベルを集めるもの。
専用の「御酒印帖」(1500円)を買って酒のラベルを貼り、味の感想などを書き込むことができる。
ラ、ラベル?それは、もう印でもないんでは?という気もするけれど。
⑥御書印ごしょいん
参加している本屋さんを巡り、オリジナル書印を集めるもの。
本のタイトルや一節、趣向をこらしたスタンプなど、ひょっとすると1番個性的なご朱印かもしれない。
参加書店に「御書印帖」(無料配布)があり、そこに「御書印」(1枚約200円程)を頂く仕組み。*2 なんかおしゃれ感もあるし、本が好きな人にはよさそうだ。
参加書店は下記サイトで確認できる。
最後に
きっとこれからも、「御朱印の仲間」は爆増していくんだろう。
全くキリが無いし、欲しいものだけ貰ったらええ、なんだけど。
御朱印ブーム以降、ずっと感じていたこのモヤモヤ感。原因はいくつかある。
そもそも、そんな字面だけのものを心底欲しいのか?見返すのもたまにだし、まずそんなに信心ある?というね。
そして集めきらなければ集めきらないで、不完全・不達成の気持ちが何となく残ってしまい、モヤモヤの原因にもなっていた。
この先、ご朱印をどうしていくか、少し整理してみた。
①こまめに情報をチェック
チェックしてないから、変化についてけなくて、動揺しちゃうわけで。
②「御朱印帳」はもう必要ない
(今のご朱印帳を使いきったら)、今後は小さめのファイルにもらったチケット・パンフ・写真・メモなども入れ、目次をつけて管理をする。
入れ替えもできるし、色々なものが入るのもいい。
自分にはこれが合うことが分かった。
③書置きのみもらう
「ご朱印帖」を持ってくのも面倒だったから、身軽になるのは嬉しい。
(「ご朱印帖」のあの変な厚みもイヤだった。)
書置きにすれば、待つこともないし、字も綺麗というメリットもある。
④何だったら、もうご朱印画像のダウンロードでもいいんじゃない?
DLしたカラーコピーを貼っとく。もうご利益とか関係ないけど。
私は、ブームに押されて数年前に始めたクチだけど、ずっとモヤモヤした感じで、自分のやり方で集めたらいいんだ、とここに振り切るまでに何年もかかってしまった。
情報集めや頭の整理は必要だな、と改めて思いながら、
以上、『御朱印の仲間が多すぎる。いったい何を集めたらいいのか?』でした!ではまた!
『下街道を歩く④』美濃源氏・土岐氏発祥の地「一日市場八幡神社」(土岐市~恵那市)
(前回勘違いしており)残りは30㎞。
旧街道の雰囲気を最も残し、面白い建物や一見に値する旧跡のある区間です。今回も目についたところのみ、取り上げていきます。
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上記の街道歩きのサイト「Network2010」の地図を参考に歩いていますが、下街道の土岐市以降の情報はルートのみ。
何もないのか?のせてないのか?不思議に思いながら、前回終えたところから歩きます。
①戸狩荒神塚古墳
【所在】瑞浪市明世町戸狩地内
遠くからでも分かる印象的な古墳。こんもり可愛いので、近寄ってみます。
未発掘なこともロマンがあるし、2段墳丘がみてとれる状態の良い古墳のようです。
この北側には横穴古墳群と100ほどの円墳があり、その盟主となる人物のお墓とのことで、かなり大きな立派な円墳でした。
下は途中みかけた「瑞浪鉱物展示館」
開館前なので素通りですが、ここ瑞浪みずなみ市は「瑞浪市化石博物館」などもあり、産出する化石・石の面白い場所。
土岐川の野外学習地では、化石採集体験ができたりと心躍るものがある。
②美濃源氏・土岐氏発祥の地「一日市場八幡神社」
さらに進むと、一日市場ひといちばという場所に建つ八幡神社という神社に出くわします。
新しく綺麗な看板は大河ドラマ『麒麟がくる』(2020-2021)に合わせ、設置されたようす。
「土岐明智一族発祥の地」の幟りもはためき、お参りしたくなります。
土岐氏の庶流という明智光秀の像と、左側に美濃土岐一族の祖・土岐光衡(ときみつひら・1159-1206)の像が並びます。
手を振りかざした光衡の像が印象的なのですが、よくみると兜に桔梗の花をさしています。
なぜに花?というと、説明には、
土岐の桔梗紋は、ある合戦で桔梗の花を手折って兜に挿したところ、大勝利を得、これを嘉例として土岐家の定紋にしたことが始まりです。
引用:神社境内の説明板より
とありました。この桔梗の花を挿したのが光衡であった、という確かな資料はないそうですが、たいへんと粋な感じがします。
しかし、どちらかというと、生死をかけた合戦の武運を祈る真剣な所為であったのかもしれません。
「かざす」行為には、植物を挿して身に付けることにより、自然の持つ霊力を自分に感染させる意味があったと思われる。
引用:精選版 日本語大辞典「挿頭」の解説より
この一市場に、土岐氏一族の祖・光衡が舘(一市場館跡)を構えて本拠地としたといいますが、現在、明確な館の跡は分かっていないそうです。*1
そして、1番印象的だったのは神社前の風景。
土岐川を望む小高い立地。
中世の市場は、河原や中州に多くたったといいますが、土岐川沿いに1のつく日(1日、11日‥)に市場が建ち、それを眺めるように舘もあったのかもしれません。
③「鶴ケ城跡」
【遺構】曲輪、土塁、堀切、大手門跡、井戸
さきほどの光衡が築城したといわれる城跡がすぐそばにあります。
ここも『麒麟』に合わせて、登山道をきれいにしたようす。
地元の商店で話を伺うと、春の草刈りなどからだいぶたち、草ぼうぼうの蚊もぶんぶんだろうとの話。
今回は諦め、次回改めて挑戦することにします。
光衡の時代に築かれ、関ケ原の戦い後、廃城とあるので、だいぶ長い間機能したお城であったことにも興味を引かれますが、さらに道を進みます。
ということで、長くなったのでいったん切り、最終の部分に続きます。
以上、『下街道を歩く④』でした。ではまた!
下記は最終編になります。
【レビュー】異常安眠は本当か?①ナイトミン「耳ほぐタイム」②騒音軽減耳栓「LOOP-Qwiet」③耳鳴り薬「ナリピット」
今回は、難聴・耳鳴りの人向けの記事となっています。
昨年より発売が楽しみだった耳を暖めて安眠できると話題の①「耳ほぐタイム」。
使いやすく、美しいデザインの②ベルギー発の耳栓「LOOP-Qwiet」。
そして、耳鳴り薬として市販されている③「ナリピット」ついて書きたいと思います。
①「耳ほぐタイム」(小林製薬)
2021年8/20日から、アマゾン・LOHACOで発売。10/7より店舗発売ということで、アマゾンで発売されるのと同時に入手し、使ってみた。
【感想】
◯ 8月使用時も思ったけど、発熱体がけっこう熱い(暖かいお風呂位の熱さ)。
◯ 10月の現在でも同じく熱い。かなり寒くならないと有難みが感じられない商品かもしれない。
◯ ホッカイロを耳に入れたような不自然な熱さが、なんか気になる。
◯ 耳の形に合わず、痛い人がいるかも。
ということで、まだ使うには早いみたい。かなり冷え込んだら、また使ってみよう。
今のところ、SNSで見るような「異常安眠」という感想はなく、「不自然に熱い」という感じ。
②「LOOP-Qwiet」
職場での騒音が気になり、(完全な防音でなく)騒音を軽減するものがはないかと探した結果、見つけたのが「LOOP-Qwiet」。
ベルギー製だからなのかの、デザインの美しさも「LOOP-Qwiet」が気になった理由の1つ。
シンプルでただ単純に円というデザインがおしゃれで、アクセサリー的。
そして、これをつけてるモデルの男の子の姿も素敵だった。
適度な遮音性
すべての周波数で27dBの音をナチュラルに低減することで、より充実した自分の時間を作り出すことができます。 引用:LoopのHPより
とあり、真ん中にあるフィルターが低~高音のバランスを保ちつつ、ボリュームを低減する仕組みなのだとか。
作業中、過度な音を防音してくれるなら、これは嬉しい話。
5色のカラー展開(黒・白・ピンク・ミント・青)で、1980円という買いやすい値段も嬉しい。
サイズの違う(S・M・L)シリコンチップが付属し、自分の耳のサイズに応じて取り換え可能。
また、このシリコンゴムがスベスベに柔らかくて、ちょっと気持ち良かったりして。
【感想】
◯ かなりの音が軽減される
◯ 完全防音でないので、人の声・物音などほどよく拾う
◯ 違和感のない見た目
◯ 装着しやすい。付け心地も柔らかで、なんの問題もなし
と、大満足。携帯して、会社や電車の中で使っている。*2
仕事中は騒音が気になる時に使い、人がいたら外す、という使い分けをしています。また、レビューをみると安眠用に使う人も多いよう。
音が気になる、難聴を悪化させたくない、という方にはおすすめの商品。
商品は、アマゾンなどのサイトで買うことができます。
また、騒音計測のアプリなどもあるので、どれくらいの環境か計測するのもいい。
③「ナリピット」(原沢製薬工業株式会社)
耳鳴りの市販薬「ナリピット」。耳鳴りが止まった、というレビューも散見され、気になっていました。耳鳴りが苦になる時があり、試しに購入。
しかし、もの凄く眠くなる。もう眠くて眠くてたまらない!
睡眠作用が強すぎて自分の体に合わず、効果を確認することはできなかった。
夜だけ飲んでみたりしたが、効果は不明。
「ナリピット」(第2類医薬品)
【値段】2200円(100錠)
【有効成分】ニコチン酸アミド、パパベリン塩酸塩
【処方】(15歳以上)1日服用回数:3回(1回につき2~3錠) 長期運用しないこと
【副作用】 眠気が出ることも
最後に
ということで、難聴・耳鳴り対策グッズ3種類を試してみました。
1番良かったのは「LOOP-Qwiet」で、後2つは、残念ながらでした。
今、1番耳にいいかも、翌朝の状態が違うかもと思っているのは、耳に耳あてをして7-8時間眠るだけというシンプルなもの。でも、さらに良い方法・ものがあれば、どんどん試してみたいと思っています。
というわけで、以上、『耳ほぐタイムなど3種類試してみた』でした。ではまた!
下記は、難聴・耳鳴り用のグッズについての記事です。
「バタフライエコバッグ&サナギポーチ」【蝶になれるバッグ】(伊丹市昆虫館とフェリシモのコラボ)
先月、本物そっくりな蝶の羽根のバッグ(バタフライエコバッグ)がフェリシモから発売されました。
これは、伊丹市昆虫館とのコラボ商品で、柔らかくすきとおった美しい羽に目がくぎづけになるものです。今回はこの、まるで蝶みたいなバッグを載せたいと思います。
①まるで蝶そのものエコバッグ
2バージョンあり、どちらも甲乙つけがたい美しさ。
しかし、この写真だけでは、素材感や容量がどうも分かりません。
このモデルさんのように、本物そっくりの蛹さなぎのポーチを嬉しそうにぶら下げる人っているのかな?
すごい昆虫好きの人のためのグッズなのかもしれませんが。
蝶の羽のデザインはかなり街中で目を引くし、使い勝手もなんだか悪そう。
でも、なかなかない商品なので、買ってみました。
②実際の商品
値段:4510円(税込)
蛹のポーチのサイズ:H19cm×横10.5cm
エコバッグ収納部分:H32.5cm×横45cm(羽根全体の長さ:約37~50cm)
想像どおり、蛹のポーチはちょっと気持ち悪い。
ぶらさげた姿がリアルすぎて、ちょっとね。
でも、エコバッグ本体の方は想像以上に蝶の羽!
とっても綺麗で繊細です。
このバッグのモデル「オオゴマダラ(大胡麻斑)」は沖縄の県の蝶で、羽根を開いた時のサイズが約13cmにもなる、日本最大級の大きな蝶なのだとか。
そして、正直、ものはあまり入らない(A4ノートサイズ)。
シースルーの羽根にしてリアルを追求したため、いかにもやぐい。
口の方が細く、台形の形をした袋になっています。
耐荷重約5kgとありますが、そんなに入れて大丈夫なのか。
あまり無理させないほうがいいような(正直、ペットボトルもあまり入れたくない気持ち)。
だから、「エコバッグ」と名前がついているのにはちょっと違和感。
自分のイメージするエコバッグはスーパーで使うエコバッグですが、「蝶エコバッグ」は財布と携帯いれてコンビニに行ってちょっと買い物して帰る、それ位の用途なかんじ。
【長所】
本物そっくりで綺麗
ヨソにはないデザイン
【短所】
物はあまり入らない
やぐい。ひっかけたら、すぐ破れそう
目立ちます!
リアルな蛹ポーチはどうなの?
商品は下記サイト、また伊丹市昆虫館で購入できます。
下記は伊丹市昆虫館のサイト(蝶エコバッグの通販はしてない。館のみの購入)。
③蝶のケープ
実は以前にもリアルな蝶の羽根ケープを買ったことがあり、たいへん綺麗なのですが、外出なんてとてもムリ、というしろもの。
これらの商品は、以前、ビレバンのオンラインショップで購入することができましたが、今は完売したようす(蝶ケープで探すと商品情報はみれる)。
フェリシモにしろ、この蝶ケープにしろ綺麗だけど、外に行ったら、注目を集めることは間違いない。
それでも、「蝶の羽のケープ」に比べれば、「蝶バッグ」のハードルなんてだいぶ低いかな?
最期に
というわけで、「バタフライエコバッグ」を買いました。
感想としては、蝶そのもの。すきとおって綺麗で、気持ちが浮き立つような、素敵なバッグでした。
とても気に入ったので、もう1つのデザイン「アサギマダラ」も買うことにしました。
アサギマダラは、写真で見るかぎり朱色と水色の色の組み合わせが色っぽく、どんな色目なのか、今から届くのを楽しみにしています。
ということで、以上、『バタフライエコバッグ&サナギポーチ』でした!ではまた!
下記は、以前、同じくフェリシモで購入した「クラゲの傘」の記事。
柴田勝家生誕地「下社城跡」「勝家坂」(現・明徳寺)(名古屋市名東区)~柴田勝家のふる里
織田信長の宿老・柴田勝家(1522?-83)の誕生地(伝承地)が名古屋市名東区にあると聞き、でかけました。
今その跡には明徳寺みょうとくじというお寺が建ち、寺に通じる坂は「勝家坂」と呼ばれています。
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柴田勝家が生まれたのは、現在の上社かみやしろ(名東区)の辺りとされますが、確実な資料はないといいます。*3
上社城の城主であったのが勝家の父という話もあり、この地に在住した土豪であったか、と推測するのみです。
その上社城跡から、数百m南にあるのが下社しもやしろ城跡です。
①立派な石垣のお寺・明徳寺
(自分も含めた)名古屋の人間は、地下鉄の駅である上社は知ってても、下社という地名があったことまで知りません(そこから驚き)。
この坂は、市政30周年を記念して制定されたとかで、具体的なエピソードがあるわけではないとのこと。
お寺は1662年の移転です。
ここには勝家の生年が1530年とあり、諸説あるみたいです。
しかし、説明にある「甕割り柴田」の昔の部活みたいなエピソード。「水はもう飲めない。死ぬ気でやれ!」には顔が渋くなってしまいます。
どうせやるなら、最後に水分けてくれ!
小高い所にさらに石垣を積んでいるので、ちょっと石段を上がっただけなのによい見晴らし。
閑静で、爽快な景色が楽しめ、勝家好きな人にはおすすめの場所かもしれません。
②下社城の立地
この柴田勝家の在所・下社という場所は、尾張の中心(清洲きよすなど)からは遠く、当時はさぞかし田舎だっただろうと想像します。*4
そして下社城は、末森すえもり城に近く*5、また近くにはいくつかの城跡がありますが、いずれも少し小高い場所にある平山城となっています。*6
城は、人の往来・街道を監視する場所に建てられることが多いですが、今の広小路ひろこうじや南の高針たかばり街道にあたる道を見下ろしていたのかもしれません。
また勝家の城から、もう少し東へ進むと岩崎・長久手方面へ出ます。*7
③家臣・毛受勝照
勝家の城を見て思いだしたのは、毛受めんじょう勝照(1558-1583)という勝家の家臣のこと。
毛受勝照は、賤ケ岳の戦い(1583年)で、勝家を落ち延びさせるため、勝家の身代わりとなり、壮烈な討ち死にをした若者です。
賤ケ岳に行くとお墓や説明板があり、勝家の退却戦にはそんな秘話があったのかとハッとさせられるのですが、毛受勝照の在所(現在の尾張旭市・稲葉町)もここからそんなに遠くはありません(6kmくらいか)。
戦国時代の人たちにとって、地縁・血縁、歳が近いことなどは、現代よりも人を強く結びつける要素であったようです。
最後に(柴田勝家の出遅れ感)
柴田勝家については、「甕割り柴田」やお市の方との婚姻、清州会議、賤ケ岳の戦いとピンポイントでは知っていてもどんな人なのかいまいち見えません。
今回は、つっこみどころの多い’柴田勝家’という人物のエピソードを拾って、終わりにしたいと思います。
1551年から1557年の6年間、29歳~35歳*9までは信長の弟(信行)の家老。
※この間の「稲生いのうの戦い」(1556年)では、信行に味方し、信長と戦うが大敗。
1557年、信行の再謀反を密告後は、信長の家臣に転じる。*10
1568年の上洛作戦から、勝家はようやく登用されはじめ、その後は信長軍として、数々の戦いに従軍、名をあげていく。勝家、46歳の再スタート。
また、「本能寺の変」(1582年)の際は、上杉軍と対峙をしていて、凶報を知ったのは数日後。この出遅れで、秀吉に先を越され、清州会議でもリードされ、上手くことを運ばれてしまう。
色々と出遅れている感じでつっこみたくなりますが、自分の人生に照らし合わせてよく考えると、勝家よりもよっぽど出遅れてる!
そんな勝家の最期ですが、賤ケ岳の戦い後、毛受の奮戦のおかげもあり、居城・北の庄城(福井市)に戻ることはできたものの、数日後には秀吉軍に城を包囲されます。
衆寡敵せず、これまでということで、腹を十文字に切って切腹しますが、優美な辞世の句とのギャップも印象的です。
「夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ やまほとゝぎす」*12
さらに臣下が火薬に火をつけ、天守ごと爆破・消え去るという、まるで花火のような幕切れこそ、勝家という人間を1番感じられる出来事かもしれません。
死ぬ前にはその人らしさって出るんだろうな、と思ったり。
ということで、そんな柴田勝家の46歳までの日々を何となく想像できる場所、『柴田勝家生誕地・下社城跡』でした。以上です!ではまた!
【参考にさせて頂きました!】
◯池田誠一『名古屋の古道・街道』【16】高針街道
◯『現代語訳 信長公記』新人物文庫
◯本郷和人『戦国武将の解剖図鑑』(2015)
◯『フロイスの見た戦国日本』『回想の織田信長』(いずれも中公文庫)
*1:1460-1500年頃の築城とする説明もあり(出典は不明)。
*2:西の天白川を堀とし、その内側に一重堀の54m四方の方形の城だったとする説明もあり(出典は不明)
*3:wikipedeia「柴田勝家」の項では、父母不詳となっている。
*4:同じく、信長の宿将・佐久間信盛(さくまのぶもり・1528?-82)が、現在の名古屋市・南区生まれなんていうのを考えると、あちらの方が都会っ子か。
*5:6kmほど離れた信長の弟・信行の城。一時期、勝家は信行方。
*6:上社城跡、下社跡、高針城跡、一色城跡など。
*7:賤ケ岳の戦いの翌年の「小牧・長久手の戦い」(1584年)は、勝家の在所近くの戦闘でもあった。長久手の戦いの敗残兵が、名東区のこの辺りまで逃げてきたという話もあり、実際、距離が近いため、十分ありえる話。wiki「極楽」。
*8:この肖像画の由来は、『福井の肖像画』(福井市立郷土歴史博物館)に詳しい。
*9:1522年の生まれとすると
*10:この後の大きな戦い(桶狭間、美濃・斎藤氏との闘い)に用いられていないのは、こうした敵方であった経緯のためという。
【書籍】美装丁本『神秘のユニコーン辞典~幻獣の伝説と物語~』(まるまる1冊ユニコーンの本)
今年、刊行されたばかりの『神秘のユニコーン辞典』(2021年7月刊)という本があります。
まるまる1冊ユニコーンの本ということも珍しく、外装のキラキラさ、美本っぷりに思わず手に取り、買ってきました。今回はこの本の内容について書いています。
①美本『神秘のユニコーン辞典』
フランスで出版されたこの本は総ページ185p、フルカラーでさし絵もふんだんに挿れられ、表紙にもプックリと厚みをもたせたリッチな感じがするものです。
ユニコーンについてまるまる1冊書いたという本はあまりなくて珍しいです。
目次を見ただけでは(特に④⑤⑥)、「何だそりゃ」ですが、本にはユニコーン伝説の起源から、現代のユニコーン事情までが書かれています。
②ユニコーンの起源
本は、ユニコーンの起源から始まります。
もともと一角獣はアジアにいると思われた生き物でした。
ヨーロッパ側の最古の記述(BC5)では、そうした生き物がインドにいると記述されています。*1
しかし、読んでいるとどの伝承も曖昧模糊として何だか霧の向こうの話を聞いてるよう。
おなじみの外見も随分と時間をかけて、今の姿に落ち着いたことも分かりました。
最初の頃は、その姿はロバとも言われ、体は馬で頭は鹿とも言われ、ヤギ+羊+小鹿などとも書かれています。ルネサンス時代には馬に近づき、おなじみの螺旋型の角を持つようになったのもこの頃なのだとか。
体色も白とか茶とか黄土とか青とかまちまちだったものが時代が下るにつれて白色化、イメージが統一されていきます。
幻想動物の1つであったユニコーンが、ヨーロッパで永く伝承されたのは「聖書」にあったということもこの本から分かりました。
聖書をギリシャ語に翻訳する際*2、水牛・鹿などの生物を一角獣と誤訳した結果、聖書にユニコーンの記述が載ることとなります。
その後、「聖書にあるから」とユニコーンは長く信じられることとなり、そして、その姿・特性は変容をしはじめます。
③ユニコーンの特性・特徴
①角の薬効
シンボルの角には薬効がある(解毒など)とされ、誰もがこぞって欲しがったのだとか。
②気性は荒いが純粋で清らか、優しさの象徴とされる。
「若い清純な処女に誘われてユニコーンが現れる」と伝承され、これが捕獲する唯一の方法といわれた。
この「若い処女とユニコーン」というロマンテックなモチーフは好まれて、ユニコーン単体でも19C以降の絵画・小説・映画・アニメ・ゲームに用いられだします。
有名な6枚連作のタペストリー「貴婦人と一角獣」の解説にもページがさかれています。
その他、国章のデザインとしてのユニコーンや現代のユニコーン企業、MLP(マイリトルポニー)などについても解説があります。
最後に
というわけで、美麗なユニコーン本から読む「ユニコーンの歴史」でした。
ユニコーン自体は、うわさの1人歩きというか、正体の無い蜃気楼のような感じ。その実体の伴わないものに、人間が憧れや創作・イメージで色づけをしたものが今の美しいユニコーンという印象です。
この本に何か空虚を感じても、それは仕方がないことなのかもしれません。
ちょっと正直にいうと、「ユニコーンの絵がきれい」以外の感想は特になかったり。
ということで、以上、『神秘のユニコーン辞典』でした。ではまた!
グラフィック社の出版している一連の小さな美本はどれも気になるものばかり。
【鬼太郎グッズ】「目玉おやじの箸置き&お風呂茶碗」を買う
国民的アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」。
鬼太郎が好き!という人もきっと多いことでしょう。
先日、昔欲しかった「目玉おやじのおふろ茶碗」を買いました。
目玉おやじがお風呂として使い、鬼太郎がご飯茶碗に使う、2wayのあの欠け茶碗です。
①「目玉おやじの箸置き&お風呂茶碗」
約10年ぶりの再会(昔、ビレバンで見て以来)。
当時買わなかったのは、付属の「目玉おやじの箸置き」が可愛くない、クオリティがいまいち(2310円という値段には見合わない)という理由でした。
しかし、ずっとこの「かけ茶碗」のことは覚えていて、最近、気になってネットで探すと、もうほとんど売ってない状態。
10年もたてば、さすがに在庫も尽きる。
うーん、買おうかである(しかも、1694円(税込)に値下りしていた。もう買う最後のチャンスかも)。
ということで、購入して開けてみた。
立派な欠け茶碗だなぁ。
ふつうのお茶碗ではなく、大きく重さのあるどんぶり椀で、椀の丸みが手にしっくりとはまり、意外と使いやすかった。
気になったのは、電子レンジがダメなこと(致命的にダメである)。
ご飯が似合う器だから、牛丼なんか盛ってみたいところだが、サラダボールにしようと思っている。
そして、10年前と同じく、「目玉のはしおき」は相変わらずいけてなかった。
実は、別の「目玉のはしおき」を持っているが、そっちは可愛い。
デザインが違う、可愛さが違う。
(付属の箸置きは可愛くはないが、もうしょうがない。)
めだま親父が乗っかった別タイプの茶碗もある。
②もののけ本舗
ちなみに可愛い箸置きは、数年前に購入したもの(880円)。今探すと、ゲゲゲグッズを扱う「もののけ本舗」で見つけることができた。
「もののけ本舗」は、ゲゲゲグッズに興味のある人には楽しいサイトだ。
一反もめんのタオルとか妖怪神社のお守りとかちょっといいなぁ、と思う。
自分が買った「おふろ茶碗」を探す時によく出てきた商品が下記商品(こちらは加湿器)。
5478円はいい値段と思ったら、喋るらしい(「お~い、鬼太郎!」っていうのかな?)
他にも「ちゃんちゃんこカラーのマフラータオル」とか帆布トートとか心がそそられるような商品が揃っている。
興味のある方は覗いてみて下さいな。
最後に
というわけで、「目玉おやじのおふろ茶碗」を買いました。
でも、私はゲゲゲファンなのではなく、欠け茶碗という昭和なアイテムに心をくすぐられて、実は買ってたりして。
(かけたボロボロの茶碗をつかう家は、さすがに今の時代にはないだろう)。
ちゃぶ台・欠け茶碗、さんまにたくあんみたいな、今はない昭和の食卓が、「ゲゲゲ」からは見てとれて、何だか懐かしいような、面白いような気がするのだ。
ということで、以上、『目玉おやじの箸置き&お風呂茶碗を買う』でした!ではまた!
面白い呪文・呪いの言葉、呪いについて考える。
有名な呪文、「アブラカタブラ」「ちちんぷいぷい」「エコエコアザラク」。
こうしたおなじみの呪文以外に、なにか興味深い「呪文」や「呪いのことば」はないだろうか?と探しています。
今回は、まだ収集の途上ですが、興味深く感じる「呪文」「呪いの言葉」、呪いについてを載せました。
①「ビビディ・バビディ・ブー」(シンデレラ)
ディズニー映画「シンデレラ」に使用され、誰でも1度は聞いたことのあるあの曲。あれが、魔法の言葉をイメージして作られた楽曲だとは知らない人もいるだろう。
作中で歌われる「ビビディ・バビディ・ブー」。
耳に残るこのフレーズ、たしかに呪文ぽい。
(しかし、この言葉には特に意味はないのだとか。)
Salagadoola mechicha boola bibbidi-bobbidi-boo
It"ll do magic believe it or not
Bipptyーboppity-boo *1
引用:「ビビディ・バビディ・ブー」1952(ディズニー映画「シンデレラ」より)
魔法使いが、「サラガドゥーラ・メチカブーラ・ビビディバビディブー 信じても信じなくても魔法の言葉なのよ」と歌いつつ、
シンデレラにドレスやガラスの靴、かぼちゃの馬車を出してくれる魔法のシーンは、劇中の最も重要なシーンだ。
呪文というと暗いイメージを想像しがちだが、「シンデレラ」の明るく輝くような呪文は、魔法の使い手が良い魔法使いで、白魔術の呪文であるからなのかもしれない。
②「ウラウラベッカンコー!」
昔、「ジャングル黒べえ」(藤子・F・不二雄)というアニメがあった。
主人公の男の子・黒べえはピリミー族の王子で、ふとしたことから、日本人の少年の家に同居することとなり、珍騒動を巻き起こすという内容だ。
子供のころの記憶で内容はウロ覚えなのだが、この黒べえの使う魔法の呪文「ウラウラベッカンコー!」はインパクトがあり、何十年たった今でも覚えているくらいだ。*2
当時は呪文の意味など考えたこともなかったが、「ウラウラ(占占)、ベッカンコー(あっかんべー)」の意味であったのか?とか、今は原作者の意図をしりたいと切に思っている。
③蛇皮の呪い
呪術の本の記述から。
もし汝、憎き相手をじわじわと苦しめたいと望むなら、次の呪文を唱えよ。
「手を縛る、歯を縛る、骨を縛る、舌を縛る、口を縛る、へびの皮で縛る、いつも不幸があるように」
引用:『西洋呪い術秘伝』(ビーバン・クリスチーナ)(二見書房)1974
色々縛ったあげく、だめ押しに「いつも不幸があるように」が効く感じ。
ただ「死ね」ではなく、「歯を縛る」など具体的なところが印象的で、妙に感心する。
④金神七殺
有名な金神こんじんさまの祟りの話(神様だと呪いでなく、祟りである)。
金神さまは方位の神様で、その金神様がいる方角で何かをすると、祟られるという信仰があった。*3
これは「金神七殺ななさつ」と呼ばれ、家族7人を皆殺しにするという無茶苦茶なものである。
家族が7人いなければ、足りない分は隣の家の人間を殺すという非道ぶりも凄い。
あまりの無茶ぶりに、隣の人は関係ないからやめたげてー、とつっこみたくなる。
これに似たのに「7代祟ってやる~」というのがあるが、7代前・後の先祖や子孫の話なんかこっちだって誰だか分かんないよ!と思ったり。
⑤我を頼めて来ぬ男『梁塵秘抄』
『梁塵秘抄』の有名な歌より。
我をたのめて来ぬ男
角三(つのみ)つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ
霜雪霰降る水田みづだの鳥となれ さて足冷かれ
池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け出典:『梁塵秘抄』(巻第二・四句神歌・雑)
本気か戯ざれ歌か、判別はつかないが、これも立派な呪いの言葉と思える。
相手の悲惨な末路のイメージが具体的であるところが素晴らしく、情景が詩的でセンスがある。*4
⑥磯部浅一『獄中手記』
磯部浅一(あさいち・1905-1937)は、226事件(昭和11年)の際、決起した皇道派将校と行動をともにし、後に死刑になった元陸軍将校である。
彼は獄中で手記を残しているが、その内容を読んで正直たいへん驚いた記憶がある。
そのあからさまな生の呪いの言葉には、磯部浅一という人間がすぐそばに感じられ、親しみを持つくらいだ。
以下、少し長いが、『獄中手記』から引用。
「何にヲッ!殺されてたまるか、死ぬものか、千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、
死ぬることは負ける事だ、成仏することは譲歩する事だ、
死ぬものか、成仏するものか 悪鬼となって所信を貫徹するのだ、
ラセツ(羅刹)となって敵類賊カイ(魁)を滅尽するのだ、余は祈りが日々に激しくなりつつある、
余の祈りは成仏しない祈りだ、悪鬼になれる様に祈っているのだ、
優秀無敵なる悪鬼になる可く祈っているのだ、必ず志をつらぬいて見せる、
余の所信は一分も一厘もまげないぞ、完全に無敵に貫徹するのだ、妥協も譲歩もしないぞ」
「西寺、寺内、南、鈴貫、石本等々、後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるのだ、
ユカイ、ユカイ、余はたしかに鬼にはなれる自信がある、地ゴクの鬼にはなれる、
今のうちにしっかりとした性根をつくってザン忍猛烈な鬼になるのだ、涙も血も一滴ない悪鬼になるぞ」
引用:磯部浅一『獄中手記』
この磯部浅一の手記ほど、生の呪いの声を聞かせてくれたものを今のところ読んだことはない。
最後に
ということで、呪文、呪い、呪いの言葉について、興味あるものを取り上げました。
呪いの言葉も「死ね」をたくさん連ねただけの、そんなありきたりではつまらない。
人間らしく奇妙で複雑、浅くて深いものが見てみたいと思うのです。
そうしたものに今後出会えることに期待しつつ、以上、『面白い呪文・呪いの言葉、呪いについて考える。』でした!ではまた!